2話 目覚めと兆し
アリアが再び目を覚ましてから、数日が過ぎた。
森の中には、彼女の魔力が少しずつ流れ始め、風が柔らかく吹き、空気が澄み始めていた。
――そして、その変化に最も敏感に気づいたのは、森のふもとに暮らす人々だった。
「森が……また、目を覚ましたぞ」
「風の香りが変わった。精霊様が、戻ってこられたんだ」
「ついに……祈りが届いたのだ!」
村人たちは、半ば熱に浮かされたように森へ向かい、花を摘み、果実を捧げ、祈りの唄を口にした。
その瞳には涙が滲み、顔は歓喜に染まっていた。
*
アリアは、村の境界に近い森の小径で、ゆっくりと歩を進めていた。
百年ぶりに見る空。百年ぶりに感じる風。
すべてが、どこか新鮮で、けれどどこか寂しかった。
「……知らない世界みたい」
そんな彼女の前に、ひとりの少女が現れた。
年のころは十歳ほど、両手に野花を抱えている。
「……あなたが、精霊様?」
少女の声は震えていた。恐れではなく、圧倒と、熱に浮かされたような信仰の震え。
アリアは戸惑いながらも、頷く。
「たぶん、そう……かも。あなた、村の子?」
少女は膝をつき、頭を深く下げた。
「お会いできて、光栄です……! わたし、あなたにこの花を……村のみんなが、あなたに感謝しています!」
「え、あ……ありがとう……?」
アリアは困惑しながらも、そっと花を受け取る。
その背後から、大勢の足音が近づいてくる。
老若男女、村の者たちが列をなしてアリアの元へと集まり始めていた。
「精霊様!」
「ご加護を……どうか我が子に祝福を……!」
「あなたが戻られたことで、我らはまた生きられます……!」
誰もが口々に言葉を捧げ、涙を流し、膝をつく。
まるで神の降臨に出会った信徒のように。
アリアはその様子に、圧倒された。
「……私、何もしてないのに……」
「いいえ、精霊様。あなたがいてくださるだけで、我々は生きていけるのです」
「どうか、この地に留まり、再びお導きを……」
「あなたの魔力が、命を与え、土地を清める……あなたこそ、この世に遣わされた奇跡なのです」
――奇跡。
――導き。
――精霊様。
その言葉はどれも、柔らかな信頼と、ほんの僅かな熱狂を孕んでいた。
人々の目に宿る光は、どこか危うく、まるで“信じたいもの”にすがるような渇きがあった。
アリアは、そんな人々を見て、ふと胸がざわつくのを感じた。
これまで他者に求められたことなどなかった。
それは決して悪い気持ちではなかった――けれど、どこか、息苦しかった。
「私……そんな立派な存在じゃないよ。私は……ただの――」
「違います、精霊様」
村長が、一歩前に出て口を開いた。
彼の声には、確かな確信が宿っていた。
「あなたは“この世界の祝福”です。謙遜なさることはありません。
我らはあなたに尽くし、あなたの言葉に従い、この森を、世界をお守りします」
そして村人たちが再び一斉に跪いたその光景は、
どこか――アリアの知る“優しい村”の姿とは違って見えた。
*
その夜。
アリアは静かに森の聖域へ戻り、巨木の根に腰を下ろしていた。
「……なに、これ。すごく……こわい」
風が吹く。夜の森は静かで、それでもどこか、重苦しかった。
まるで、彼女が目覚めたことを喜ぶ誰かと、恐れる誰かが、同時にこの世界に存在しているような――そんな気配。
「私……眠っていればよかったのかな……」
そう呟いたとき、どこからか風が答えるように葉を揺らした。
彼女の長い耳がそれをとらえる。
“まだ始まってもいない”――そう告げるように。