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よろしくお願いします

臨終の場にいたのは医者と看護師だけだった。


「家族を待ちましょう…」医者がそう言うと俺はまだ死んでいないことになった。

息子がやってきたのは俺の心臓が止まって10分後だった。俺はそれを上からぼんやり眺めていた。黙って医者に頭を下げる息子に対し医者は「今、13時20分です。この時間をご臨終とさせていただきます。」そう言って看護師と共に深々と頭を下げた。「ありがとうございました」とこたえた息子は大きく息を吐いた。近寄ってじっと俺の顔を見る息子。俺は半目で口をぽっかりと開けた間の抜けた顔をしているからオロオロしてしまったが死後の処置をしますと看護師に促され息子が病室を出て行ったのでちょっとほっとした。

電話をかけてきますと言って一階のロビーまで下りる息子について行く。俺の死を伝える相手は娘しかいない。

俺が倒れて以来、息子は何度も病院に来て施設を探してくれて休みの3分の1は俺のことで、もう三分の一は嫁のことで消費したと思う。喪主をして骨は拾ってくれると思っている。俺の息子なのに実直でいいやつだ。

気が付くと時間が流れている。


納棺の前に髭をそってもらい俺の口と目は閉じられきれいになって死装束に着替えさせてもらった。

きれいな顔で他の人に見てもらえるとほっとするとまた時間が進んでいた。

そして子供たちは二人とも祭壇の前にいる。俺はぼんやりと祭壇を見ていた。死んだ時より若い姿が遺影になっている。

家族葬だから一般の弔問客はほとんどいない。さびしいもんだな。あいつら面倒くさがりやがって、と思っているうちに式が始まった。

嫁は生きているが認知症だから心が半分あちらに行きかけているらしく「ああいう心は迷いやすいから気を付けないと」と住職が息子に言っているのを聞いた。そんな気の弱い女ではないはずだ。体がある限り石にかじりついてもこの世に残る人だ。そうでなければ母ちゃんに逆らえない俺を叱咤し30年母を無視し続ける根性があるはずがない。嬉しそうに嫁いびりをし悪口を町中にばらまく母親を嫁は憎んだ。それを諫めない俺とは不仲になるに決まっている。籍こそ抜いていないが別居生活が続いて母親が亡くなった後も帰ってこなかった。老いた両親の様子を見に来る息子には迷惑をかけていたのは今になればわかる。不倫もしていたからそんな父親に孫や夫を合わせたくないと思う娘の気持ちもわかった。死んでみて色々なことが見えてくるものだ。

通夜葬儀告別式と息子は忙しそうだがちょっとほっとした顔をして数少ない親戚の弔問客に頭を下げていた。これ以上俺に振り回されることはない。俺に費やす時間とお金は減ったはずだ。

祭壇を見上げる娘の目から一粒だけ涙が流れた。

病院でも動けず口もきけない危篤の枕元でブツブツと娘は何か言っていた。恨みつらみを言っているのはわかったがあいにくと俺は耳が遠かった。だが生きてるうちに言いたいことを言えてすっきりしたのか俺の死の知らせを聞いて泣いてくれた。

そして今こんな立派な通夜葬儀なら極楽往生間違いなしと久々に会う親戚相手に断言している。

出棺の時は孫が棺を持ってくれた。

「じいちゃん喜んでるよ。これ以上の孝行はない。ありがとうね」娘は泣き笑いの表情で孫に礼を言っていた。俺は久々に会う孫たちに一応「ありがとう」とささやいた。今更ながら善行をしなければと思ったのだった。


骨になった俺はひとかけらずつ骨壺に入れられ住職が『…朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり……』白骨のお文を読んでくれた。母親の時も聴いた。確かに俺は骨になった。俺の体は無くなり死んでしまったのか、ぼんやりとそう思っていると隣にだれかが立った。


今まで見たことのないどこの国の人間かわからない妙に整った顔立ちの若い男だった。

「さ、行きましょうか」

促されると「ああ、そうか行くのか」となんの疑問もなく一緒に歩き始めた。葬儀場を出てちょっと歩くと町中から開けた場所に出た。

ちょっと高くなった道を人がたくさん歩いている。明るい青空の下みんなニコニコしてジョギングしている人もいる。

「あの階段で上りましょう」

幅の広い土手に作られた広い道だった。草も生えて舗装はされていない。そこをたくさんの人が楽しそうに歩く。昔見た『三年○組金○先生』で先生と生徒たちが一緒に歩いている土手のようなイメージだ。

何故か川があるはずのところは白っぽく見えない。どちらが上流か下流かもわからない。明るく青い空に白い雲が少し浮いていて晴れているのに太陽の場所もわからない。明るく楽し気に一人で歩いていく人がいたり数人でまとまって談笑している人たちもいる。が、声は聞こえてこない。歩いていく方向はまちまちだ。

「みな歩いて行くのですがね、あなたにはこんなのが届いてますよ」

男が示したのは古い自転車だった。娘が小学4年生の時に買ってやった自転車だった。うちには俺の大人用の自転車しかなく娘は4年生まで自転車に乗れなかった。貧乏だったからという言い訳をするが、ま、どうでもよかったのだ。買ってやったのも22インチくらいの小さな車輪の子供用自転車で娘はサドルを目いっぱい上げて高校卒業まで乗っていた。それが目の前にあった。ボロボロでサドルもめいっぱい上げてあってタイヤはツルツルの丸坊主だ。自分の自転車が壊れてからは俺がそれに乗っていたからだ。懐かしいその自転車に跨り顔を上げた瞬間、見慣れた顔と目があった。

娘だ。

さっき俺の骨を拾ってくれた娘だ。あれ?10年くらい顔を見せてくれなかったが今見ている顔は葬式の時より若い気がする。娘はびっくりした顔で俺を見ている。下手をすると話しかけられそうだ。そしてそのちょっと後ろに立ってニコニコしているのはアキコさんだ。

俺が40代のころ単身赴任の時に知り合って不倫した女だ。アキコさんも家族がいた。ダンナと男の子と女の子だ。なんとアキコとその子連れで夫婦のフリで旅行に行ったこともある。ちょっと大きめの俺の地元の夏祭りにアキコは子供と自分の友達を連れて凸してきたこともある。免許のない俺を赤い軽四の助手席に乗せラブホに連れて行ってくれたのはいい思い出だ。

いい思い出だがアキコが娘の肩を叩きだしたのでヤバイと思った俺はペダルを力いっぱい踏み込み娘の立つ場所と反対方向に走り出した。

周囲を見回す余裕もなくしばらく走った。22インチの車輪だからあまり距離は稼げないが足がだるくなったのでスピードをゆるめた。周囲の景色は変わっていた。

さっきの青い空は見えず、だが明るいグレーの空だった。草が生えている土手の道を走っていたはずがいつの間にか下りていたらしく遠くに水辺が見えて今走っている道の横にはコンクリート製の低い防波堤が川に沿って伸びている。何故低いとわかるかといえば道に立つ俺の胸より低いので砂ではなく小石の水辺なのが見えるからだ。

そして驚くことに防波堤のこっち側は俺の走っている道はグレーの石畳が敷かれている。防波堤沿いにはデッキチェアが水辺を向いて並び寝そべっている人もいる。防波堤が低いので寝そべっても川と言うか水が見えるのだ。

建物も見えるがやはりグレーぽい白色でモルタル製なのかギリシャの古い石造りの建物のようで窓がぽっかりと黒く見える。グレーを基調とする景色の中でデッキチェアの横に立っているビーチパラソルの青が目に染みた。このリゾート感はなんなんだろう?


「ここはどこ?」困惑していると

「やあ着きましたね」男がほほ笑みながら近づいて来た。

「さっきと同じ人?」葬式で会った男、土手の上で自転車を指さした男、整った無国籍な顔立ちだと思うが顔全体がぼんやりしていてよくわからない。そして今、目の前に立っている男も雰囲気はよく似ているがわからないのだ。

「まあ同じといえば同じ、違うといえば違いますよ。おいおいわかるでしょう」にこにこしながら男は言う。

「ここはどこですか?」

男は黙って遠くを指さした。ギリシャ風の建物の横に場違いな和船と船着き場が見えた。時代劇で「お~い船が出るぞ~」と渡し舟の船頭が呼ばわるヤツである。船着き場は杭で固定されている木製で横には枝ぶりのいい松が植わっていた。

「渡し舟だ」

「ええ、あれで行く人もいますし、ほら向こうから大きいのが来るのが見えますか?」

霧の向こうからうっすらと姿を見せたのは大きな帆船だった。千石船でもなく「バイキング船と呼ばれるものですよ。風のない時は人力でオールを漕ぎます。ま、ほとんど人力ですが」今も風はないらしく帆はだらりとしている。

「誰が漕ぐんですか?」

「もちろんあちらに行く乗客のみなさんが力を合わせてです」

あちら?みなさん? なんのことだ?キョトンとした顔をみてほほ笑むと男は言った。

「ここはいわゆる三途の川です。」

そうじゃないかと薄々思っていたが、デッキチェアとビーチパラソルがリソート感を出しているのは何故だ?

俺が知っている死後の世界とはなんか違う。三途の川は薄暗く悪いことした亡者は奪衣婆に衣服をはぎ取られる。賽の河原では幼くして亡くなった子供たちが一生懸命石を積みそれを鬼が崩しにくる。

そう教えられたが松の木はあるが奪衣婆ぽい老婆はいない。石を積む子どもの姿も見えないし鬼もいない。ただただ明るい顔をした人たちがいる。足を投げ出し座り込んでぼーっとしている人、車座になって楽しそうに笑っている人たち、たまに子供の姿が見えるが小さい子も機嫌よく笑っていて泣いてる子はいない。みんな何かを待っているようだ、何故ならおれがそうだからだ。

よく死に際には自分の人生を走馬灯のように振り返ると言われるが実は俺は見なかった。が、死んでから子供たちの姿や葬式に来てくれた親戚の人たちを見ていると忘れていた思い出がよみがえってきた。自転車を漕いでいる時やここまで歩いている間にもとりとめもなく色々思い出していた。反省しているわけでも懐かしいわけでもない。ただ思い出している。

川を渡ると閻魔大王とかがいて浄玻璃の鏡を見せられ自分の人生を振り返り舌を抜かれたりするのだろう。何度も嘘をついたから舌を抜かれるのは仕方ないとして自分の人生、特に悪いことした場面を何度も見せられるのは生き返りたいほど恥ずかしいと思う。

クスっ…、隣のイケメンが笑った。

「大丈夫ですよ。あなたが思う閻魔大王のような人はいますが舌を抜くためではありませんよ」

不思議そうな顔をする俺にその人はいう。

「あの、あなたは誰ですか。身内が迎えに来ると聞いていましたが…」

「ええ、そうなんですが弟さんは亡くなって間もないので、まだこちらでの用事が終わってないので来ることができませんでした。お父様は落ち着いておられますがお母様は何十年ぶりにお父様に会われたので興奮なさってお母様を一人にできないのですよ。なのでお父様は出迎えに来ることができなかったのですよ。」ですからガイドは私がと国籍不明の顔でニコリと笑った。

「弟も亡くなっていたんですか」おれはこの時だけは呆然とした。俺より5歳年下の穏やかな男だった。堅実に人生を歩んでいたのに俺より先に逝ってしまうとは思わなかった。子供も嫁も出て行ってあばら家に一人ぽつんと酒を飲んでいる俺に時々やってきては行動を改めて詫びを入れろと何度もいわれた。聞こえないふりをして酒を飲んでいたので呆れられたが母ちゃんの月命日には必ずきて俺の様子を気にかけ仏壇を拝んでいった。それが楽しみで酒や菓子を用意して待っていたのだがいつの間にか俺は倒れてしまって世間のことは何一つわからなくなってしまった。しょんぼりしている俺にガイドは「どこかで会えますよ」と肩を叩いた。

案内されたのは船着き場ではなく、小石の河原に上げられていたカッター船だった。息子が小学生のころ海洋少年団に入って漕いでいたらしいが俺は一度も見に行ったことがなかった。日本風の渡し舟に乗る人が3人。子供たちの団体は懐かしいポンポン船だった。

カッター船は席12。俺は前のほうの席に座らせられオールが1人一本。

反対側には俺と同じくらいの女性が座った。後ろは俺より若い男だった。老若男女12人が乗り込み国籍不明のイケメン男が黄色いメガホンを持って立った。

「さあ、みなさん!出発ですよ。船を漕ぐのは初めての方ばかりでしょうがみなさんが力と心を合わせれば必ず着きます。どうか心を強く持って漕いでいきましょう。ボートは進行方向に背を向けて漕ぎます。皆さんは向こう岸が見えません。私が掛け声をかけますからそれに従って漕いでください。舵を切るのは今船を押し出してくれる彼です。気が付くともう一人似たような顔のイケメンがニコニコしながら船の横に立っていた。

「ちょっとオールの扱いの練習をしますよ、はい?何ですか」

おずおずと俺の隣の女性というかばあさんが手を上げた。

「私は80歳で死にました。最後はスプーンも満足に持てないほどでしたがこんな大きな船を漕げるんでしょうか?」

「もちろんですよ。ここまで歩いていらっしゃったじゃないですか。漕げます。それにお1人ではありませんからね。安心してください。力のバランスは考えてあります。事故で体を欠損された方も体は修復されているから動くと思いますよ」

俺の後ろの若い男が「おおっ」と小声で笑った。

「私が『そーれ』と言いますからみなさんは『いーちにーい』と言いながら漕ぐんですよ」

わりと適当な説明だが12人全員オールを握った。俺もワクワクして指示を持つ。

船がズズッと動き勢いよく水に滑り込んだ。浮いた!

バリトンのいい声はよく通った

「そーれ」

「いーち、にーい」

「そーれ」

「いーち、にーい」

俺たちの船は三途の川に漕ぎ出した。


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