隣人
出稼ぎで入っていた古い寮の話を書く。社員なら単身赴任だが、派遣社員ならこのほうが似合いだろう。
なにしろ歴史のある会社だから寮も築50年を越える大先輩だ。さらに建設業となれば、事故死や過労死の話も昔話ではなく現在進行形の話だ。さすがに見ている前で埋立地でブルドーザーごと人が沈んでいったというようなのはもう無いが。
そのせいでこの会社にはそうした元社員の噂が絶えない。社屋が新しくなったにも関わらず。ちなみにエレベーターには誰かが駆け込みで乗って来ることがある。それが1階、2階と連続で乗ってきたことがあり、その見えない元社員が一人だけではないことも分かった。
そして歴史を見続けてきた社員寮にも出るのは当然のことで。共同浴場の湯がざばっと揺れたり、シャワーブースの下から火傷したような真っ赤な脚が立っていたりとか。
もともとは自分は見えるより聞こえるひとだったのだが、ここでは影響を受けて感度が上がったのかもしれない。なにしろ初日に古参のもと社員が訪ねてきたのだ。
引越しの日に、荷解きもそこそこに寝具を敷いて横になったのだが、真夜中に点けっぱなしの灯りを背に誰かが立ったまま上から自分の顔を覗き込んでいるのに気がついた。それは30過ぎくらいの旧式の作業服の男だったが、興味だけで何の悪意も感じなかったので「ああ、今日越してきた者です。お世話になります」と言うとふっと消えたのだった。
この寮には派遣社員だけでなく、研修の新人や他の支店からの応援も短期で泊まることもある。皆若くて活気がある。悪く言えば騒々しくてモラルに欠ける。寮の管理人にとっても試金石で、あしらい切れずに辞めていく人も多い。
そんな見た目はヤンキー中身はモンキーな新人がある年に隣人となった。コンビニのチューハイと電子タバコを嗜み廊下を改造バイクのような奇声をあげて全力疾走する。それだけならばまだいいが、聴いている海外のアイドルソングと香水のセンスが最悪だ。
ある日の夜、隣人が珍しく早寝をしたと思ったら突然「何だコラ!」と奇声をあげた。そして「テメエなにしに……」と叫んで部屋のドアをガチャガチャ鳴らしたあと、いきなり黙り込んでしまったのだ。
察するに隣人はそのひとを泥棒かとでも思ったのだろう。しかしドアのカギがかかったままなのを知って「じゃあアレはどこから入って……どこに消えたんだ?」と思ったのだろう。
かくして次の日から自分はまた安眠できるようになったのである。そして自分が退寮するまで隣は空き室のままだった。