赤信号とフェミニスト
ある日、SNSにこんな主張が投稿された。
『女性ばかりが赤信号で止められる!これは女性差別だ!』
はあ? 私は『赤信号』というのが、何かの隠語かと最初は疑った。だが、自動車を運転中に遭遇する、道路上にあるあの赤信号のことらしい。
投稿主曰く、旦那の運転する車に同乗する時はほとんど信号に引っかからないのに、自分が車を運転する時はきまって赤信号に引っかかるというのだ。それを投稿主のリアル友人に話しても「そうだそうだ」と同意してくれたらしい。
アホか! と私は思った。どう考えてみても、それは思い込みというものである。こういう人種をどう呼ぶべきか、私は知っている。
フェミニストだ。彼らは、日本社会が男尊女卑であり、それを正さねばならないという信念を持っている。つまり、常に男性は優遇されていると思っているから、自分が運転している時だけ不利になっていると錯覚しているのだろう。
要するに、言いがかりだ。とはいえ、私はそれをハッキリ指摘はせず、オブラートに包むことにする。
「たぶん、旦那さんも同じくらい赤信号に止められていると思いますよ。だって、信号機はただ時間通りに順番に光っているだけなのですから」
するとすぐに返信が来た。
『あなたは男性だから、この女性差別が見えていないんです!』
私は女ですよ! もちろん、私自身が車を運転していて、特別に赤信号に悩まされた経験は無い。連続して赤信号に引っかかることはあっても、そんなものは偶然だとわかっている。
そもそもこの投稿主はなぜ私を男と決めつけるのか? それは、女性ならば自分の意見に同意するはずだと信じているからだ。フェミニストに同意しないものは男性であり、仮に身体が女性であっても、それは男尊女卑を助長する『名誉男性』でしかないという理屈である。とはいえ、私は女性だと証明するために、自らのプライベートを晒すつもりはない。
『失礼じゃないですか』
私に変わって投稿主を嗜めたのは別のユーザーだ。
『Tさん(つまり私だ)の性別を決めつけるのはセクハラですよ』
そう言ってくれるのは嬉しい反面、私は「あーやめとけばいいのに」と思う。
『どうせ男社会に迎合するしかないデブスでしょ』
この手のフェミニストは、旗色が悪くなると人格攻撃をしてくる。今までにもSNS上で何度も見た光景だ。それにしても、人をデブスと呼べるほど投稿主は見目麗しいのか? 同じレベルに堕ちたくはないので、私は沈黙を選ぶことにする。
そもそも本題は赤信号の話だったはずだ。
『バカすぎるだろww』
また別のユーザーから指摘だ。
『どうやって男か女かを見分けて信号のタイミングを変えてるんだよww』
すると投稿主。
『末尾にwを使うような失礼な人と議論なんてできません!』
おいおい、私に対する無礼はいいのか? しかし、なら丁寧に尋ねたら誠実に議論するかといえばそうでもない。
『男性か女性かを見分けて、信号を操作する理由がわかりませんし、だいたいそんなことできないと思いますよ』
当たり前すぎる。当たり前すぎる事を、いちいち言語化しないといけないこの苦労。だが、投稿主は屈しない。
『信号が操作されていない証拠でもあるのか!?』
いや、違うでしょ。この場合、信号が操作されている証拠を出さなければならないのは投稿主の方である。それに、操作されていない証拠を出すのは困難だ。
『信号機なんて電子操作でしょ!いくらでも外部から弄れるわよ!』
こうなると理屈も何も無い。ちなみに、あえて男性だけが赤信号を回避させられているのは『必ず男が優先で、女が下だと常に認識させるため』らしい。はあ……
とここで別のユーザーがこんな返信をする。
『それなら十字路に女性同士が侵入したらどうなるんですか?』
おお、冴えている! たしかに、どちらも女性ならば、片方は青信号で、もう片方は赤信号になるしかない。この思考実験で、投稿主も自分がバカな思い込みをしていることに気がつくはずだ。
……と思った私の方がバカだった。
『正しく日本語を使えない人とは議論になりません!』
えー!? むしろこっちこそ投稿主が日本語を使えるか怪しく思うところである。思考実験の人、別におかしなこと言ってないじゃん!
結局、SNS上でフェミニストと議論するとこうなるのだ。彼らの感情こそが最優先で、反対意見を述べる者は全て敵認定(この場合、男)し、ロジカルに対応したところでまともに話は通じない。
そう、通じないのだ。言葉は通じても話が通じないこの恐怖から逃れる術はただ一つ。私は静かに、投稿主をブロックリストに追加した。
私のSNSに平和が戻って数日後。
今度はこんな主張が投稿されていた。
『女性だけが宅配便が遅い!これは女性差別だ!』