表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

第1話 その民話は語られている


 その民話は語られている──どの土地で語られているか?

 極北大公領。大陸北部に広大な領土を有するオルゴニア帝国の中でも辺境の地で、その領地のほとんどは針葉樹林と大小の湖沼に埋め尽くされていてる。冬にもなれば、大気さえも凍り付き、天空ではマナの極光がはためき、この世のものとは思えぬ冬になる。作物も育たぬその地に住む人々は半ば異民族でもあり、獣肉や茸、木の実草の実を食べて暮らし、ときには毛皮や材木を帝都に向けて輸出して金銭を得、種々の物品を輸入している。

 この高緯度の辺境地域においては、降り注ぐマナの極光の影響により、しばしば魔法現象が引き起こされる。うかつに空を見上げた人間が狂気に囚われる、凍り付いた湖沼の中に氷の城塞の幻影が現れる、雪景色の中に鬼火が列をなす、肉食獣がマナの生体濃縮によって魔獣となる……等々、都に住み秩序の中で生きる正常な人々にとっては眉を顰めるような、いかがわしい数々の現象が発生するのだ。

 そんな魔法現象ひとつに、『雪の精霊』というものがある。

 それの姿は、ちょうど雪をすっぽりかぶった樹木のようでもあるが、その中に芯となるようなものはなく、すべては雪と氷で構成されている。彼らは森の中にいて、じっとしていると木々と見分けがつかない。それと気づかずに人間が近づいてくると、急に動いて驚かしてくるが、基本的には悪意もない。図体はでかいが人懐こい、そんな疑似生命体である。彼らは雪の季節の新月の夜に現れる。地上に生み出されてから、森の木々のあいだでその冬を過ごし、雪解けの季節になるとそのまま溶けて消滅していく──それを毎年繰り返していく。


 あるとき、ひとりの若者がふと思った──と、その民話は伝えている。

 この雪の精霊たちは春になると溶けてしまうが、それは人間でいうところの死ではないだろうか。そうだとしたら、彼らはその自らの消滅を恐ろしいと考えないのだろうか。

 若者は森に分け入って、その疑問を雪の精霊たちにぶつけた。しかし、彼らは青年がなにをいわんとしているのか、まるで理解しなかった。

 あまりにも話が通じないものだから、若者は次第に苛立たしくなってきて、強い言葉でこういったという。

「おまえたちは春になったら溶けて消えるじゃないか。いま、まさに存在しているお前たちが、存在しなくなるんだぞ。永遠にいなくなる。もう二度と戻らなくなる。考えてもみろよ、それはなにより恐ろしいことじゃないのか?」

 若者の話を聞いていた雪の精霊たちはみな、ぴたりと動きを止めて、しばらく考え込むようにうつむいてしまった。

 やがて、彼らは自分たちの逃れられない運命を初めて認識して、その恐怖に狂ってしまった。彼らは春の訪れを何よりも恐れるようになった。

 だから雪の精霊たちは、この閉ざされた雪の季節がいつまでも終わらないようにと願い、冬に呪いをかけた。

 その冬の天候は酷いものになったという。吹雪はいつまでも止まず、村々は閉ざされ、寒さのせいで多くの人間が亡くなった。いつまで経っても暖かくならず、病と飢餓がもたらされた。

 ──しかし、冬というのはいつまでも続くものではない。いつかは終わるときがくる。

 どす黒く分厚い雲からは晴れ間がのぞき、遅まきながらも春が近づいてきた。

 雪の精霊たちは少しずつ溶けていった。恐怖に狂い、悶えて、最後は転げまわりながら雪解けの泥の中に沈んでいき、その冬の雪の精霊たちはみんな溶けていなくなった。

 そして次の冬、新月の夜、また新しい雪の精霊たちが現れる。新しく現れた雪の精霊たちにはもう、死の恐怖はない。もとの朗らかで能天気な彼らだった。なぜなら恐怖に悶えて狂い死んだ前の冬の雪の精霊たちはすでに消滅し、新しく現れた彼らはそれとは別の存在だったから……

 現代においても、『冬の森の中で死にまつわる言葉を口にしてはいけない』と戒められているのは、この伝承が由縁である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ