LV99「賭け」
シリケンドラゴンの群れを一掃した蔵人たちは瘴気漂う沼地を抜けて、清潔な緑の草木が生い茂る小高い丘の樹の下で休んでいた。
「へいき? もう、立てるの?」
リンジーはしきりに妹であるミリアムを気遣っている。
だが、草地に腰を下ろしたミリアムはなにかに耐えているような強張った表情でロクに受け答えもせず、彼方に広がる蒼の天蓋を見やっていた。
傷自体はリンジーの治癒魔法で回復しているのであるが、気力の源泉である魔法力を使い果たしているのか、呼吸は定まらず時折ひどく咳き込んでいる。
咳には美女も老婆もない。ただひたすら聞き苦しいだけだ。蔵人は立ったままふたりから視線を転じると、目を細めて彼方を見やった。
この美しい天も地もすべてが夏の魔女が生み出したものというならば、なんという精緻極まる造形力だろうか。
真っ青な空をバックにどこまでも広がる山の稜線の向こうか、それともすぐ近くかに潜んでいる魔女の住み家をイメージして蔵人の脳裏にとりとめのない空想が浮かんだ。
――それを破ったのは後方から突き上げてくる強烈な殺意だった。
(おやおや。この状況でそれですか)
チラリと背後を見やると、そこにはエリックが蔵人をジットリとした視線で睨んでいた。
ミリアムが伴っていた魔道士の随員で生き残ったのはカイザという茶髪の大男とホレイシオというニキビだらけの陰気そうな男と蔵人に腕をへし折られたエリックだけであった。
無論のこと、命の恩人である蔵人に敵意をあからさまにしているのはエリックだけである。あの地獄をどうにか生き残ったカイザとホレイシオは魔法なしで沼地のバケモノを次々に屠った蔵人に強い畏敬の念を持ち、当初とは態度がまるで変わっていた。
(ま、いいか悪いかはともかく単純なのだな。いや、この際純朴というべきか。少なくとも都会の毒に染まった大陸人とは国民性が違う)
「調子に乗るなよ」
「は?」
振り向くとエリックが蒼白な表情で杖を手にして蔵人を睨んでいた。
「なんだ。生きてたのか」
「下郎が。終盤になってノコノコ顔を出して。あの沼地のモンスターのほとんどはミリアムさまと僕たちが斃したのだ。それを命の恩人面など片腹痛いわ。いますぐ、消し炭にしてやろうか」
エリックは杖の先にドロドロとした青白い炎を灯しながら、なにかに憑かれたような顔つきで歯を剥き出しにして唸っている。
「よーするにおまえはこの期に及んで俺に喧嘩を売ってるわけね」
(聞き分けのないゴミクズだなあ。よっしゃよっしゃ。いい度胸だ。原形をとどめない程度にフルボッコにして進ぜよう)
蔵人が世紀末戦士のように両手のひらを重ね合わせながらゴキゴキと五指の関節を鳴らしていると、鋭い制止の声がかかった。
「おやめなさい、エリック」
声の主はミリアムであった。
「わたくしたちがお姉さまに救われたのは覆しようがない事実なのです。沼地の魔獣たちを倒し切れなかったのも、それはわたくしたちの力が未熟だったからです。すべてを認めなければ進歩は存在しませんよ」
「ですが……!」
凄まじい形相でエリックが怒声を放った。言葉遣いこそは敬語の体を保っているが蔵人を見つめる目つきは親の仇を見るような恨みが籠っていた。
「まあまあ。なんでミリアムちゃんたちがここにいたかは深くは聞かないが、とりあえずこのあたりで帰ったら?」
「そうはいきませんよ。白状してしまえばわたくしたちは前の街の借りを返そうとこっそりあとをつけて夏迷宮に踏み込んだんですもの」
「ミリアム……なんで」
「なんでもなにも。これでもね、わたくしはお姉さまが思うよりもずっと執念深いんです。そこで提案です。賭けをしませんか? ここから先、どちらが早く夏の魔女の試練を突破できるか」
「そのようなことを競うつもりはありません」
きっぱりとアシュレイが断った。それはそうである。
彼女は魔女の加護を受けることが目的であり、ミリアムと競い合ってもなんら意味はないからである。そもそもが速さを競うようなことでもない。
だが、ミリアムはにやーっと薄笑いを頬に張りつけると、意地悪げな口調で手にしていた杖を突き出した。
「アシュレイさま。あなたはそうでしょうが、そちらの殿方は違うようですよ」
「面白れぇじゃねえか」
蔵人である。そもそも気の長いほうでもなければ、エリックの態度も気にくわない蔵人がこの場でミリアムと決着を着けようと思うのも自然であった。
「また、クランドの悪い癖が」
「んでよ。なにを賭けるつもりだ、お嬢ちゃん」
「そうですね。わたくしが先に試練を突破できた暁には、お姉さまはおとなしく帝都に戻ってもらいます。今後は、そう、この先一生わたくしのサポート役を務めてもらいますわ」
「ふうん。そんで当然結果はわかってんだが、こっちが勝ったらどうすんだ?」
「そうですね。素直にお姉さまの力量を認めていままでの態度を改めますわ。その上で、この身をあなたの好きになさってもよろしいのよ?」
ミリアムがそう言った瞬間、緑の木々がめきめきと大きな音を響かせて左右に分かれた。蔵人たちの前には、沼地から追ってきたシリケンドラゴンの一匹が後ろ足で地に立っていた。




