LV93「萌芽」
「デザートヒポスです。現在、この島からは絶滅しているので夏迷宮の魔女が造り出したモンスターでしょう」
冷静に解説しながらジェシーが鎌を取り出して構えている。デザートヒポスは一頭だけではなく、ボコボコとモグラのように土の中から顔を出すと、すでに逃げ出した馬たちに見切りをつけて蔵人たち目がけて襲いかかってきた。
「あるじさま。お気をつけてください。彼らはかなり足が速いです」
「マジか。カバさん怖すぎだな」
「きます」
アシュレイが即座に半身に身体を開いて戦闘体制に移行する。地球に居る普通のカバでさえ地上を走る最高時速は三十キロを優に超えるというが、デザートヒポスの速度は少なく見積もってその倍の六十キロはあるだろう。三頭のデザートヒポスは大地を打ち鳴らしながら蔵人たちを食おうとまっしぐらに迫ってくる。
「いきなりやられてたまるもんですか。ファイアボール!」
後衛に位置していたリンジーが素早く術式を紡いで火球をデザートヒポスに放った。放物線を描いてひゅるひゅると飛んでいった火球は狙い違わずデザートヒポスに直撃した。
「やったあ!」
「いえ、まだです」
「え、ええっ」
アシュレイの言葉にリンジーを含めた一同は驚きの声を上げた。デザートヒポスは確かに火の魔法をモロに受けたというのにまるで介さずにスピードをゆるめず向かってくる。大口をガバッと開いて突撃してくるデザートヒポスの身体はぬるぬるとしたピンク色の体液で覆われ、さながら血の塊のようだ。
「効いてるんじゃないの?」
「いえ、あれはデザートヒポスが皮フから分泌させる保護膜です。あれによって体表を保護し、ある程度の火は打ち消してしまうようですね」
ジェシーが冷静に解説した。
「それを早く言ってよ!」
混乱したリンジーがジェシーの肩をガクガクと揺さぶった。
「時間がねぇ。リンジー、壁造れ」
「や、やってみる」
蔵人の言葉にリンジーが素早く杖を地面に叩きつけて魔力のうずを伝播させデザートヒポスの正面に即席の土壁を次々に作った。
が、デザートヒポスは唸り声を上げながら頭を振って障壁を次々に突破し目前に迫る。
「ひぃーん、やっぱり本職の錬金術士みたく上手くできない!」
「いえ、これで充分です」
「だな」
蔵人はそう言って前に飛び出したアシュレイを追って駆け出して行った。
デザートヒポスはリンジーの作り出した土壁を壊すために、わずかながらの足止めを喰らい、数秒単位の遅れが突撃に生じた。
「はっ!」
その間にオーラを練ったアシュレイは高々と地を蹴って飛翔するとデザートヒポスたちの背を蹴りつけながら群れの向こう側に着地した。
アシュレイの蹴りはただの蹴りではない。
脚の指先まで破壊の力を込めて練ったオーラが充足している。
デザートヒポスたちは体表ではなく身体の内側に破壊のエネルギーを伝播させた結果によってその場で凍りついたように動きをぴたりと止めた。
一瞬の硬直状態の後、デザートヒポスたちは凄まじい絶叫を響かせながら口腔から滝のような血潮を吹き出し悶絶した。
だが、その中でも一番前を進んでいたもっとも大きい個体は無理やり四肢を地面に突っ張らかせて倒れることを拒否すると、再び走り出した。
蔵人が駆けながら外套の前を大きく左右に翻した。巨大な黒いコウモリが翼を広げて獲物を待ち構えているようだった。右手に握った長剣が水平に構え直される。
「畜生の分際で態度がデケーんだよ」
長剣が凄まじい速度で下から斜め上に走った。デザートヒポスの身体から大砲が直撃したような轟音が鳴った。血煙が立ってあたりが真っ赤な霧に包まれた。蔵人はデザートヒポスの分厚い首のあたりから肩までを切断したのだ。
魔力で構成された霧がキラキラと輝きながら消えると地面にボトボトッと真っ赤な色をした魔石がこぼれ落ちた。
同様にアシュレイに倒されたデザートヒポスたちの五体も霧散して地面に魔石が転がった。
「て、こんなもんは朝飯前ヨ」
蔵人が長剣を肩に担いでVサインを繰り出すとジェシーは褒めちぎりアシュレイとリンジーは素直に賞賛の言葉を送った。
頭を抱えて防御姿勢を取っていたシェリルはなにごともなかったかのように立ち上がってから「うむ、さすがだ」とだけ感想を述べた。
「さすがですあるじさま。すごいです、カッコイイです、こんなに素敵な殿方は世界であるじさまおひとりだけです」
「おいおい、惚れんなよ」
「そんな、それは無理というものです。世界の女子はあるじさまにぞっこんです」
「馬鹿、いい過ぎだっての。がはは、もっと言って」
デザートヒポスを倒した蔵人たちは陽が落ちた時点で野営の準備に取りかかった。以前はアシュレイとのふたり旅であったので、荷物もそれほどではなかったが、いまは総員五名のパーティーである。手ごろな樹木の下にタープをかけて地面を均して毛布を敷けば寝床のできあがりだ。
夏の迷宮といっても日が落ちた時点でガクンと温度は下がる。
昼間は厚ぼったいアシュレイの僧衣が羨ましくなるほどだ。
「あるじさま最高です。いよっ、食人大統領」
「誰がアミンだ。がははっ。でも、やっぱ俺ってば島に来ても超人気者だなあ」
主従漫才を繰り広げている蔵人とジェシーを横目にアシュレイは黙々と薪になる木切れを拾い集めていた。
――なんとはなく話の輪に入りにくい。
アシュレイはなるべく蔵人とジェシーを見ないようにして、野営の準備に集中していた。
(いつの間にか、すごく仲良しですね)
蔵人は人見知りをせず陽気な性格である。そしてメイドを自称するオートマタのジェシーも冷たさを感じそうなほど整った容姿とは裏腹に、妙にウマが合うのか蔵人とふざけ合う姿は長らく苦楽を共にしてきた相棒のようだ。
(……別に関係ないですから)
アシュレイは自分の胸に湧き出してきたある種の感情の虫をぷちりと潰して、自分の思いを一番奥底の引き出しにそっと仕舞った。
この感情は僧院でもっとも醜いとされるもののひとつだ。これを打ち消す神の教えを修行の中でずっと聞いていたというのに、まったく身についていないではないか。
(まだまだ修行が足りませんね)
真夏でも野営に火は欠かせない。勝利に浮かれて妙な踊りまで始めた蔵人をジッと眺めていたリンジーが呆れたような口調でアシュレイに喋りかけてきた。
「アホ。でも、アシュレイの強さは驚いたけれど、やっぱクランドの強さは異常よね。あんなデカいカバを真正面から叩き斬るなんて、ちょっと普通じゃないわ。ねえ、クランドはアシュレイの護衛なんでしょう。アイツはいままでなにやってたの」
リンジーに聞かれアシュレイは胸の奥が詰まった。冒険者で賞金稼ぎ。それ以上のことはほとんど知らないのだ。聞かれてまったく蔵人の過去を話せないことにアシュレイは激しい羞恥と憤りのようなものを感じ、身を固くした。
――まるで蔵人とは他人である。
アシュレイはそう言われたように思い、自分でも収拾できないほどの感情が一瞬にして胸の中を荒れ狂った。
「さあ、いまと同じような人生を送ってきたのでは」
「う。ね、ねえ、なにかわたしあなたを怒らせるようなこと言ったかしら」
「別に」
わかりやすすぎるアシュレイであった。




