LV92「夏の迷宮」
「つまり、貴公たちは帝国を我が物にせんとする混沌の魔女の野望を打ち砕く正義の使者のパーティーというわけか。面白い。我も漂泊の旅に出て幾星霜、このような冒険を望んでいた。腕が鳴るな」
「ありがとうございますシェリル。あなたのような高名な家柄の騎士が力を隠してくれるとは頼もしい限りです」
夏の迷宮に向かう道すがら、旅の目的を説明するうちにアシュレイとシェリルはよほどウマが合ったのか、完全に意気投合していた。
「あー、もうお気楽よね、あの子。この先なにがあるかわからないってのに」
「と言いつつも、自分よりも先にアシュレイさまと心安くなったシェリルさまに妬心が抑えられないリンジーさまなのでした」
「勝手に人の気持ちを斟酌しないでくれるかしら?」
ジェシーの言葉にリンジーが噛みついた。
「安心しろよリンジー。俺がおまえのステディになってやるから」
「お断りっ、て気安く人の胸を揉むなあっ。なにどさくさに紛れて触ってんのよっ!」
「いやあ、こうするとささくれだった気持ちがなごむかな、って」
「なごむかあっ!」
「あるじさま。乳が恋しいのならば、この私のものをどうぞ」
「うむ」
「うむじゃないっ。アンタら変態かっ」
「まあ、冗談はさておき。おまえだってたいした説明してないのについてきたじゃんか」
「それは……まあ、否定はしないけど」
蔵人が頬を指先でつんつんするとリンジーはムニャムニャと言い淀む。
「賢者の称号が欲しかったんじゃないのか」
「それはそれ! これはこれよ! 第一、失踪した三賢者が混沌の魔女によって消されていたのが事実なら、私事で見過ごすわけにはいかないわよ。これでもわたしは誇り高き帝国の臣民よ。祖父母が心血を注いで築いてきた御国のためなら身命を擲っても魔女の野望を打ち砕いてみせる」
「その意気だ」
「だから、いちいちお尻を触るなあ!」
リンジーが杖を水平に振るって打ちかかってくるが、蔵人は素早くしゃがむと攻撃をいとも簡単にかわした。
「遅い」
「よけるなあっ! あっ、なにするのよっ」
静観していたジェシーがリンジーの背後に回って両腕を抑え込んだ。
「あるじさま。捕まえました。さあ、存分にお嬲りあそばせ」
「でかしたっ」
「この変態主従っ。人をオモチャにするなあっ」
「オラオラッ。観念しろやっ」
「だから、やめっ。やめなさいって。ホント、本当におこっ……ああっ、んんっ。だめっ」
「あのふたり、仲がすごくいいな」
「ええ」
シェリルの言葉にうなずくアシュレイの瞳。どこか寂しげに翳っていた。
夏迷宮はズルズルベリーから北に位置するランディのそばにあった。
ランディの西に広がる平原には饅頭を置いたような丘陵地帯で有名だ。
前方には活火山で知られるヴィヴォス火山の雄大な姿が飛び込んできた。
草の生えた小さな丘を幾つも超えてゆくと、現地の人から聞いた場所にそれはあった。
「んじゃ、行くべぇか」
石造りの扉の前に立つ蔵人は二回目というので特に感慨を持たず夏迷宮に足を踏み入れた。
「おお、あっつ!」
そこは燦燦と日が輝く夏の熱気を持った大地があった。
帝国のある島は冬に片脚を踏み入れかけているが、この迷宮の中は南国のような熱さと肌まで焦げる日差しで満ちていた。
湿度はほとんどない。カラッとした暑さだ。目の前には日にあぶられた緑の草いきれでむせかえりそうになる。真っ白な光のうずに投げ込まれたようで蔵人は軽いめまいを覚えた。
「なによここ。これが夏の迷宮なの」
「ええ。私はここで夏を司る魔女に会い、試練を受けて混沌に打ち勝つ力を得ねばなりません」
リンジーの言葉にアシュレイが静かに応じた。
「これは、冒険のにおいがするな」
ひとりシェリルは意気揚々と目の前の不可思議に満ちた人知を超える迷宮の威容に瞳を輝かせている。
「とにかくだ。前回の春の迷宮とは違っていまは五人のパーティーだ。これだけいれば前後を警戒して進むことができる。前衛は俺とアシュレイ。中盤にジェシー。そのうしろにリンジー。シェリルはしんがりで後方からの敵に気を配ってくれ」
「わかりました」
「あるじさまのご随意に」
「いいんじゃない」
「任せてくれ」
蔵人がテキパキと指示を下すとパーティーは陣形を取った。なだらかな丘を下りきると目の前には茫漠とした草原地帯が広がっていた。
遠景には椀を伏せたようなとりとめのない山々が横に広がっており、ところどころに疎林と低木が無数に散らばっている。あちこちにいるのは自然の野馬の群れだろうか。蔵人たちがかなり近くに来ても警戒することなく草を貪っていた。
「これだけひらけているといきなり襲われることはなさそうね」
リンジーがほーっとため息を吐きながらぽつりとつぶやく。
「それは早計です。ここは夏の魔女が造り出した領域です。侵入者が最深部に至って試練を受けること自体が相当に難しいと聞いています。油断していると足元をすくわれます」
アシュレイが窘めるように言うとリンジーがむっとした顔で唇を尖らす。
「なによう。そんな怖がらせること言わなくてもよくない? 第一、わたしたちを襲うようなモンスターがいても、こんな広々とした場所じゃすぐわかるじゃないの。ほら、あのお馬さんたちだって楽しそうに草を食んでいるじゃない――の?」
リンジーが遠くで草を食んでいる馬を指差すと、途端に地面から巨大なカバがぐわっと土煙を上げながら出現した。
カバは大口を開けると馬の腹にかぶりつくとたちまちに押し倒して絶命させてしまう。
かなり離れているというのにカバの旺盛な食欲で屠られた野馬の掻き毟られて拡散されたハラワタの血臭が漂ってきた。




