LV90「最強装備」
大地に仁王立ちしながらミリアムは杖をへし折りそうなほどに、その細腕に力を込めていた。
眦は決したまま、顔色は紙のように白く唇は紫だ。
理由は明白であった。
あきらかに下に見ていた姉のリンジーが自分よりも先にサキュバス一味を討滅したからだ。
「あ、あのミリアムさま。ご気分でもお悪いのでしょうか」
気を遣った魔道士の男がおろおろと機嫌を窺うように上目遣いで訊ねてくる。聞くまでもないわかり切ったことを忠臣面してのうのうと訊ねる男に反吐が出そうになる。ミリアムは片手で自分の顔を覆うと脳裏にどこか抜けている姉の顔を思い描いた。
「悪いわ。最悪ね」
「け、けれど。たまたまですよ、たまたま。ちょっとだけあの者たちの運がよかっただけにすぎません。ミリアムさまがお心をわずらわせるようなことではございません」
「そうですよ」
ミリアムが特になにも言わなかったことを見て同調した男たちが口々にリンジーの名を上げて唇を逸らして口汚く罵った。そうではない。ミリアムは姉を認めている。彼女にないものは、ここ一番に必要な思い切りと他者を切り捨てる酷薄なまでの冷徹さだ。それさえそろえば賢者の称号にふさわしいのはミリアムよりもリンジーなのだ。姉はそれができる。できるのだ。できるようにしなければならない。
(それをなにもわかっていない)
なんという男たちの感受性の鈍さなのだろうか。これでも学院では腕利きの魔術や胆力及び機知長けた者を共に選んだというのに目を覆うほどの体たらくだ。
ミリアムは第三者から見れば姉のリンジーを酷く見下しているように映るが、真実はその反対であった。
ミリアムほどリンジーの底知れぬ魔術の知識と土壇場で発揮させる底深さを理解している者はいないのだ。
だが、ミリアムは姉を前にするといつも煽るような言動を自然と口にしてしまい、あとでいつもの如く後悔するのであった。いわば好き過ぎるのだ。双子であるミリアムはリンジーを自分の片割れと同一視しており不甲斐なさと真なる実力に対して憤りを常に感じていた。今回の冒険も上手く姉を誘導して我が心のままにしたいという欲望が第一にあった。
そのミリアムを前にして魔道士たちはリンジーの過去の失敗まで引きずり出してあげつらっている。
リンジーはすぐそばで声高に喋っていた男の唇あたりに無言で杖を打ち下ろした。力は込めていない。だが、狙いは的確だった。無警戒な上に急所である人中に宝玉が前歯にめり込んだ男は悲鳴を上げてその場に突っ伏した。
ぼとぼとと血の塊を流し苦痛を訴える男の前でミリアムはジロリとほかの仲間を睨み綺麗さっぱりお喋りを止めさせた。白い歯がぽつぽつと地面に落ちている。歯の白さと、黒い土とのコントラストがミリアムの心をわずかに慰めた。
ミリアムにしてみればリンジーの評価は自分以外の者ができるはずがいないと信じている。自分のみがそれをすべきで他者が行うべきものではないのだ。
――だから、これは当然の処罰。
「さ、ゆきましょう。お姉さまのあとを追うのです。きっと愉快なことが待ち受けていますわ」
ミリアムの笑顔は余裕を取り戻してはいたが、いままでになく凄絶だった。
蔵人は朝になると無人となった宿屋へ勝手に潜り込んで昼まで休憩を取った。
クルースクの街はかなりの被害を受けていたが、軒を連ねた店は商魂たくましく、太陽が中天に差しかかったときにはいつもどおり商売を始めていた。
「意外と金になったな」
革袋の貨幣をジャラジャラ鳴らしながら蔵人は街を探索していた。この金は春迷宮を攻略した際にモンスターを倒して手に入れた魔石を売却して作ったものだ。
「で、どこへゆこうというのだ」
蔵人の隣にはシェリルがいた。彼女は白銀の鎧をかっちり着込んだまま最初に会ったときと寸分変わらぬ貴族特有の傲慢さすら漂う態度で訊ねてくる。
シェリルはもとよりアシュレイたちに劣らない美女である。
蔵人はアシュレイたちからシェリルを上手く引き離すと、どうやって言いくるめて自分のものにしようかと、思案を練り続けていた。
「クランド、我らはどこへ向かっているのだ?」
「まあまあ、慌てなさんな。すぐわかるっての」
(しっかし、さっきは艶っぽい話かと思いきや、なあ……)
命の危機を救われた美女が熱の籠った視線で話があると言われれば、これはもう蔵人の中で愛の告白しかないと考えていたのだが、シェリルの真意はまるで違う種類のものだった。
――旅についてゆき騎士として真の勇気を磨きたいのだ。
噴水のある公園の一角でシェリルはどこか恥ずかしそうにうつむきながら言った。
「えっ、そ、それだけ?」
「うむ。我はクランド殿が知ってのとおり、道場剣術だけの人間だ。だが、昨晩はあの体たらく。帝国でも誇り高きオズボーン家の長女として、この獅子の紋章に恥じぬ本当の勇気を手に入れるためには、実戦で誰にも劣らぬ胆力を身に着けばならないとそう確信した。昨晩は気を失ってなにも覚えていなかったのだが、街の者が言うにはクランド殿一行が見事邪悪な魔物たちを討伐してこの街を救ったとのこと。我はクランド殿の件の腕前を尊敬している。頼む、我も試練と冒険の旅に連れて行ってくれ」
「そうか。それほどまでの決心を。なら、ちょっとこっちへ来てくれ」
「なんだ?」
蔵人はシェリルの手を引いて木陰に連れ込むと、とりあえず前後の脈絡もなく情熱的な口づけを一方的に行い、金的に強烈な膝蹴りを受けて悶絶した。
「なんで怒ってんだよ」
「うるさい! い、いいい、いきなりなにをするんだっ。この変態が! 我は、我はそのように安い人間ではないぞ!」
「いてーな。なあに、いまのはおまえを試したんだ。どのような状況でも冷静に振舞えるかをな。つまり、これは真の騎士になる試練のようなものだ」
「……そんなわけあるか」
当然ながら蔵人の説得は失敗した。
「まあ、いいか。そんじゃあちょっとついてこいよ」
だが、完全に猜疑心の塊となったシェリルは半目でジッと蔵人を睨みつけたまま全身から怒りのオーラを放出している。
「あのなあ、ちょっとチュウしたくらいで臍曲げるなよ。あのくらいあいさつ代わりだろ?」
「絶対違う!」
「ともかくだ。旅に出るならば、それなりの装備を整えねばならないだろ。シェリル、いまのおまえには戦闘において決定的に足りないものがある!」
異常な気迫を持って蔵人が宣言すると公園でくつろいでいた鳩たちがギョッとして一気に大空へと飛び立っていった。
あまりの真剣さにシェリルは先ほどまでの怒りも忘れて身を乗り出す。
「我に足りないもの……? それはなんだ?」
「フフのフ。知りたいか、そーか知りたいか。よかろう。ならば、俺に着いてくればわかる。おまえには言葉で言うよりも、実際に自分の目で確かめたほうが納得できるだろうしな」
「我がそのような脅しで二の足を踏むとでも思ったか。真の勇気を手に入れるためならばどのような試練にも打ち勝ってみせる」
蔵人はシェリルを街のとある防具屋に連れてゆくと、あらかじめ目をつけておいた装備品一式を購入してその場で着替えさせた。




