LV85「正体」
小ぶりな街ではあるが、それなりに栄えている。
夜でもいくらかの人通りはあるが騎士を見失うほどのものではない。
「って、ダッシュかよ!」
ゆったりと歩いていたと思った騎士がいきなり駆け出した。中々の俊足だ。蔵人も外套を翻して慌てて後を猛追する。
「に、してもだ」
――こんな田舎街にいるってのが不思議なくらいの腕だ。
ヒューゴを突きで仕留めた騎士の腕前は驚異的だった。仕草や身体の動きからあの騎士は相当に若い。少なくとも真っ当な剣技では蔵人をはるかに上回っているだろう。
蔵人は通常で人の強い弱いを計ることはしなかった。だいたいに興味がないのだ。勝負の勝つ負けるは実力だけではない。その場におけるあらゆる事象が左右する。勝負をしている本人たち以外のなにかが確実に干渉するからだ。
真剣勝負は整ったスペースとガチガチのルールで守られているわけではない。現実の戦闘はあらゆる手立てが用いられ、勝敗を決する。負けた時点で言い訳は通用しない。いや、できないというべきか。なにしろ、たったひとつしかない命を取られるからだ。
だが、蔵人は今回に限って騎士のことが酷く気にかかった。
(なんだろうか。俺のセンサーにあの騎士はビンビンくるぞ。理由はわからんが、見過ごすなと俺の直感がそう言っているのだ)
「ととっ!」
酒場の連なる横町の奥に騎士が消えていったのを確認して蔵人は急ブレーキをかけた。
暗い小路の突き当りで騎士は闇に紛れるように立っていた。
蔵人は左手に持っていたカンテラに火を灯した。
赤い炎の向こうで白金の甲冑が静かに揺らめいていた。
「へへっ。喧嘩売ってるんだろ。いつもなら無視するんだが、買ったぜ」
「我の腕は見知っただろう。貴様はしつこいぞ」
「……はあ?」
蔵人は一種反応が遅れた。
なぜならば、騎士の声は紛れもなく女のものであった。
さらに言えば物々しい姿からは想像が及ばないほどのアニメ声だ。
ときたま、一般の女性でもびっくりするくらい現実離れした、それこそゲームの画面から抜け出てきたとしか思えないような特殊な声の持ち主がいるが目の前の女騎士はそれに近かった。
――なんというロリ甘ボイス。
「我はオズボーン家の長女シェリルだ。これだけ言えばわかるだろう」
「はぁ」
シェリルと名乗った女騎士は蔵人の反応が思ったよりも鈍かったことに、どこか拍子抜けした様子で目元を覆っているベンテールを上げた。
素顔が露になる。大きく澄んだ瞳に整った鼻梁。真っ赤な唇は可憐という言葉がふさわしく蔵人は小躍りしそうなほど歓喜に打ち震えた。
(やっぱし俺の直感にハズレなし! すっげぇ美人さんだ。なんとしてもお近づきにならねば)
「おおっ。よくわからんが、とりあえず兜を脱いでくれ。顔がよく見えん。その恰好じゃあ話をするのに不向きだろう」
(ボディを見たい。ボディを見分したいのだ!)
「お断りだ。まさか貴様はこの偉大な帝国に住まう身でありながらオズボーン家も知らぬ下層民なのか。これだから僻地の蛮民は嫌いなのだ」
シェリルは軽蔑し切った目で蔵人を見た。アーモンド・アイの釣り上がった大きな瞳はカンテラの灯の向こうでキラキラと強い光を帯びて輝いている。
だが蔵人はすげない態度を取られたというのに上機嫌であった。
「げへへ、まあ、そう嫌うなよ。お姉ちゃんよお」
(こういう人を見下し切った女を服従させるのが快感なんだよなあ。アシュレイにリンジーにシェリルか。ド僻地の島にも上玉がそろってるじゃんか)
そのとき蔵人の背筋の毛がゾッと逆立った。
危機が迫ったときにだけ起こる蔵人の本能的な直感である。
背中を刺すような強烈な殺気が襲いかかってきた。
斬撃の刃風が肩口を割ろうと迫りくる。
蔵人は宙に飛び上がりざまに手にしたカンテラを地面に叩きつけた。
「残念だが楽しいお喋りはここまでらしいな。お客さんがきなすった」
軽く膝をゆるめながらいつでも戦闘態勢に移れるようにして蔵人は前方に視線を据えた。
そこには地面に広がるオレンジの火をものともせずにヒューゴが立っていた。
ヒューゴは右手に大ぶりな山刀を持っていた。
両眼は血走っており膝は内向きにやや折れながら酔ったようによたよたと歩み寄ってくる。
口元からは血の混じった泡をカニのようにブクブク吐き出している。
ひと目見て常軌を逸していることがわかった。
死人のように舌をだらりと垂れ下げていた。
――ヤベェなコイツ。
蔵人がそう思った瞬間、ヒューゴの全身が弾けたように膨れ上がった。身体という身体のあちこちが熱した餅のようにボコボコと隆起してたちまちに倍近くの大きさになった。
肉の塊である。
なんら規則性がない巨大化でヒューゴの顔面はギュッと中心部に集まり、たちまち潰した饅頭のような形となった。




