LV84「凄腕の騎士」
酒場の外に出た騎士を囲んだ男たちの数は五名だった。
赤髪の酔漢が土地の仲間を集めたのだ。
それぞれ手にはこん棒や薪ざっぽが握られている。
武器の不利を数で補うという算段なのだろう。
蔵人はアシュレイたちを従えると野次馬の最前列で戦いのゆくえを見物し出した。
「止めないのですか」
「なんでこんな面白い見世物を――いや、なに、マジでヤバくなったらここにいる誰かが止めるだろ。アシュレイちゃんは知らないだろうが、場末の酒場じゃ喧嘩なんぞは日常茶飯事さ。気にしない気にしない」
「ケッ、そんなカッコしてれば誰しもが下向くと思うんじゃねえぞ。冥途の土産に教えてやらあな。このおれさまはグレーバー一家の代貸にその人ありといわれた火蛙のヒューゴだ!」
騎士は正面のヒューゴを初めて見上げた。
兜の庇を下ろしているので表情はまったくわからないが、口元は意味がわからないといったようにわずかに歪んでいた。
「抜けよ。騎士だろうがなんだろうがゴロマキでおれは負けたことがねぇのが自慢でな。そのご自慢の腰の物を使いたきゃ使えや。ボッコボコにして二目と見れねえ顔にしてやるよ」
騎士はあくまで無言だった。
気勢を削がれたヒューゴが暖簾に腕押しといった体で奇妙に顔を歪めた。
騎士は視線をわずかに地面に落とすとサッと腕を伸ばして落ちていた木の枝を拾った。
枝は長さ三十センチほどである。
騎士はそれを前に突き出すと挑発するようにクイクイと左手でかかってくるように促すゼスチュアをした。
「やっちまえ!」
ヒューゴが怒鳴った。初めから多勢を頼んでの喧嘩である。あくまで野次馬の蔵人もヒューゴの卑怯で清廉さの欠片もないやり方に呆れ返った。
同時に巻きざっぽとこん棒が騎士に向かって投げつけられた。彼我の距離は十メートルと離れていない。
おまけにヒューゴたちは騎士をぐるりと囲み、投擲武器から逃れられぬような布陣を行っていた。棒切れといってもそれぞれが充分に厚みがあり、騎士の甲冑の上からでも十分に痛打を与えることができる重みと圧力を持っていた。
棒を投げつけて怯んだところを一気に襲って打ちのめすという作戦である。
単純なだけに剣を抜かずに木の枝ではどうにもできない。
――攻撃はシンプルなものが一番よけにくい。
蔵人が思考を走らせるよりも早く騎士は動いていた。飛来するこん棒や薪をよけることなく右手に持った枝を天に向かって伸ばした。
次の瞬間、騎士が枝を使ってぐるりと真円を描いた。木の枝はどう考えても飛んでくるこん棒を打ち払う強度など持ち合わせていない。
だというのに、ヒューゴたちの攻撃は騎士が枝を股下でピタリと止めた瞬間叩き落されていた。
地面に吸いつけられるように、棒だの薪だのはすべて落下して動かなくなった。
騎士が凄まじい勢いで円を描くように奔ると男たちの動きが凍ったように停止した。
バラバラと男たちが倒れてゆく。
騎士の手にした枝で打たれたのだ。
あっという間に四人の男を倒すした騎士の力はずば抜けていた。
「くそおおっ!」
仲間が全員やられてさすがに自分だけ無傷で逃げるわけにはいかなかったのだろう。
男伊達としてあれほど大仰に名乗ったこともヒューゴを引けなくさせた原因だった。
こん棒を頭上に振り上げて騎士に襲いかかる。
技術を度外視した芸のない力任せの一撃だったが速さは充分だった。
普通ならばこれで決着はつく。
蔵人は騎士の唇がわずかに動いたのを見て取り眉をぴくくっと動かした。
――愚かな。
そのように目に映った。
騎士の小枝は下方から唸りを生じて斜め上に走った。
ヒューゴは顎を打ち抜かれると巨体を虚空に踊らせて、数瞬のち、ドッと地面に倒れた。
同時に見ていた野次馬からドッと歓声が上がった。
騎士はこれだけ鮮やかに男たちを叩きのめしたというのに、酷くつまらなそうな態度だ。
蔵人にはそれが印象的だった。
ほかの野次馬たちの目にはヒューゴの身体が不意に後方へ吹っ飛んだようにしか映らなかったのだろう。
つまりは、それほど剣の腕が隔絶していたのだ。
蔵人は騒ぐ店の酔客たちから離れると、仰向けになったヒューゴの横で屈み顎のあたりを仔細に調べた。
「ふむ」
――強打の痕がある。
眺めているとヒューゴは息を吹き返した。
激しく咳き込みながら身体を回転させるとうつぶせのまま騎士を睨んでいた。
突き刺さるような視線を覚えて顔を上げると、そこには先ほどから一言も発しない騎士が兜の奥から強いまなざしを投げかけていた。
騎士は息を吹き返したヒューゴを一切見ていなかった。
視線の先は蔵人だ。
――なんだあ?
素早く騎士が手にした小枝を放ってきた。射かけられた矢を掴み取る蔵人の動体視力からすれば投ぜられた小枝を防ぐなどは容易いことである。
中指と人差し指で挟む。
同時に蔵人は噛んでいた串を唇の中央に寄せると勢い良く吐き出した。
串はヒュウッという鋭い音を奏でながら騎士に向かって一直線に走った。
騎士はわずかにたじろいだが一歩も退くことなく串を籠手で叩き落とした。
「おいおい、俺はタダの野次馬だぜ。あんまりイジメるな」
蔵人が立ち上がりながらそう言うと騎士はくるりと踵を返して通りの向こうに歩いてゆく。
「なんだよ。遊んでくれるんじゃなかったのか」
「クランド。どこへゆくのですか」
振り返るとアシュレイが咎めるような口調で表情を険しくしていた。リンジーやジェシーも遠ざかってゆく騎士の後ろ姿を忌むべきもののような視線で追っていた。
「なあに。ちょっとばっかり気になったもんでな。先に宿へ帰っててくれよ。すぐ戻る」
「あ、ちょっと――」
リンジーが呼び止めるのを無視して蔵人は騎士の後を追った。




