LV71「研究施設」
空飛ぶ本を退治したふたりは書庫を抜けるとそれまでとは違った広間に出た。
薄暗い。
不可思議な書庫も暗かったが、この広間は闇に近かった。夜目が利く蔵人でさえそうなのだから並の人間では単に歩き出すことも難しいだろう。
しばらくすると目が慣れてきて、なんとはなしに動けるようになった。
「おっし、ここがセーブポイントか?」
「ちょっと待ってください」
「んぐっ」
蔵人は襟首を掴まれて一瞬呼吸が詰まった。
なんだと思い視線を懲らすと、広間のずっと先には巨大な大扉があって、そこにはこっそりと蔵人たちの部屋を抜け出したリンジーが背を向けて立っていた。
物陰に隠れながら様子を窺っていると、リンジーはなにやら蔵人の理解しえない呪文を長々と唱えて両手をサッと大扉に向かって突き出した。
――まぶしい。
巨大な大扉には薄暗い広間が一瞬、真昼に転じたかと思われるような強い輝きを持った紋章が浮かび上がった。
リンジーは彼女だけが知る扉のロックを解呪する術を使ったのだ。
大扉はゴゴゴと大きな音を響かせながら左右の壁に呑み込まれてゆく。リンジーは躊躇することなく、サッサと中に入っていった。
幸いにもほとんど背後に注意を払っていなかったので蔵人たちの存在には気づいていなかった。
「振り返る余裕もないという感じでしたね」
「だな。それにリンジーはこの先になにがあるかわかってるみたいだ」
「どうします?」
「決まってる。鬼が出るか蛇が出るか。あとは行ってのお楽しみ」
蔵人は勇躍奮い立つと大扉を潜ってリンジーのあとを追った。
「おっ、明るいな」
大扉の中は広間とは打って変わって白昼のように明るかった。胸元から銀の懐中時計を取り出して時間を確認する。この懐中時計も普通の物ではない。魔術的付与がなされており、外部からのいかなる干渉も受けずに時刻が秒すら狂うことがない。つまりは正確だ。
――まだ真夜中だな。
蔵人のあとに続いて入ってきたアシュレイはそっと口元を押さえるとあたりを珍しそうに見回している。
中は、無機質な現代的なオフィスのようにつるつるした白い壁でできており、足元にはくるぶしまで埋まりそうな毛足の長い紺色の絨毯が敷かれている。
螺旋を描く廊下をゆっくりと進んでいく。
「うずを巻いて中央に向かっていますね」
「カタツムリってか」
蔵人は足をその場で止めて眉間にシワを寄せた。
「なんじゃ、こりゃ」
それは不思議な回廊であった。
左右には大小の透明なガラス瓶が無数に立っており、その中にはありとあらゆる生物が閉じ込められていた。
円筒状のガラス瓶の中には生物の呼気である気泡が無数に浮いては沈んでいる。
なんらかの液体で満たされていることがわかった。
中にいる生物は、それこそ蔵人が見知った普通に野山に居る獣から、いままで目にしたことがない種類のモンスターまでもが無数にあった。視線が合うとわずかに身じろぎするので、おそらくは生きているのだろうが、一様に瞳に生気が感じられない。
蔵人は歩きながらかつて学生のころ生物室で見たホルマリン漬けにされたなんともいえない不気味さと懐かしさを持った標本のことを想いだしていた。
「なんなのですか。これは」
「さあな。けど、喰うために保存してるわけじゃないみたいだ」
アシュレイにとってはかなりショックな光景だったらしく、目を瞑りながら手を合わせ、なにやら神に向かって祈っていた。
――どうやらなにかの研究施設みたいだな。
回廊はぐるぐるとうずを巻いており進むにしたがって中心部に近づいてゆく。ちょうど、カタツムリの殻のようなものだ。アシュレイは場の雰囲気に慣れたようであるが、怯えを完全に拭い去ることはできず、無意識に蔵人の外套の端を子供のようにギュッと掴んでいた。
(むふふ。もっとくっついていいのよアシュレイちゃん)
触れ合うアシュレイのほのかなあたたかさとなんともいえないにおいを堪能しながら蔵人は敢えて歩くスピードをゆるめた。
「その、クランド。もう少し早く進んでも?」
「いや、アシュレイちゃん。ここはすでに敵地だ。そこにある瓶詰オバケたちもさることながら、どんな罠が待ち受けているかわからねえ。ここは慎重に慎重を重ねるくらいじゃないと」
「そうですね。クランドの言うとおりです。いつも以上に警戒をしながら進みましょう」
蔵人の言葉を真に受けてか、アシュレイはきょろきょろあたりを偵察しながら進むペースをさらにゆっくりとした。




