LV65「うずき」
「アシュレイちゃんアシュレイちゃん。寂しいから互いのベッドひっつけて寝ようぜ」
「断っておきますが、この境界線を越えたときには私にも覚悟がありますので」
「ぶう」
シングルベッドを無理やり合体させてついでに肉体の和合も果たそうとした蔵人の深遠な計画はたちまちのうちに頓挫した。
「まあいいわ。寝てしまえばこっちのものよ」
「……聞こえてますから」
蔵人は自分の顎に指をかけながら悪代官を彷彿とさせる薄ら笑いを浮かべていたのでアシュレイが冷え切った視線で睨んでいることに気づかなかった。
さすがにアシュレイは蔵人に対して身の危険を感じたのか、どこからか衝立を借りてきて両者の間を区切った。
「酷いじゃないの」
「そもそも夫婦でもないのに一部屋に泊まること自体が異常なのです」
「そんな。俺たちは永遠の愛を誓い合った仲じゃジャマイカ」
「え、永遠……! そ、そのようなことは軽はずみにも言ってはなりません!」
アシュレイが顔を真っ赤にしてもの凄い声を上げたので蔵人は激しく怯えながら後ずさりした。
無論、彼女が手にしていたカップが粉々に砕け散ったからだ。
「は、はい、もう二度と言いません。言いませんから」
「そんなに怯えることもないでしょう」
気が変わった理由がわからないが、わざわざ借りてきた衝立は撤去された。
「クランド、あなたのことを信じていますからね。だから衝立をどけたのですよ。くれぐれも私の信頼を裏切ることのなきように」
「ぜんぜん信じてねえじゃんか」
アシュレイは修道服から寝間着に着替えると、さっさとシーツを被って横になってしまった。
しばらくすると、旅の疲れもあってかアシュレイの健康そうな寝息がすうすうと聞こえてくる。
十代の若い女性が発する独特のフェロモンは強烈だった。
アシュレイから時折漏れ聞こえる無防備な吐息と衣擦れの音はたやすく蔵人の持つなけなしの理性を破壊した。
「ぬう。これはもう、辛抱たまらんですな」
禁欲生活を強いられてきた蔵人にとっては耐えられるものではない。そもそもが蔵人は聖人でもなければ、取ってつけたようなチャンスをみすみす逃すような男ではなかった。
「据え膳食わぬは男の恥でござる。そもそもひとつ屋根の下で手も出さぬとはアシュレイちゃんの名誉にもかかわることじゃろうて。許してくれい、許してくれい。うひひ」
のそりと蔵人が身を起こしながら上着を脱ぐと、贅肉ひとつない張りつめた筋肉の塊が夜気に晒された。
蔵人の身体は一般的なトレーニングで鍛えられたも
のではない。すべて実戦における戦闘で磨き抜かれた弾力と剛健さを兼ね備えた野獣のような筋肉であった。鋼鉄の束が密集したような筋肉は無駄ひとつなく絞り込まれており、しなやかさと厚みがあった。
「いざ――」
猫科の猛獣が飛びかかる際に身体をたわめた状態を思わせる姿勢であったが、次の瞬間、蔵人は抗いようもない強烈な眠気に襲われ意識が薄らいでいった。
「え、は、はら。な、なんりゃ、こりゃ」
どさりとベッドにひっくり返ると大の字になり、全身が弛緩した。同時に蔵人は凄まじいいびきを立てながら昏睡状態に近い深い眠りの底へと落ちていった。
渇きにも似た異常な飢餓感のうずの中でアシュレイは悶えていた。いま、自分が眠っていることを理解しているというのに、目の前で起きていることが夢であると思えない。それほどまで五感に訴えるもどかしいまでの欲望に全身が灼かれていた。
このままでは確実によくない方向に陥ってしまう。
いまならば、まだ抗える。
「ああっ」
アシュレイは臍の下に気を籠めて一気に放出すると、無理やりに意識を水面下から表層上に押し上げて覚醒した。
腹の上に乗っていた重しがふっと軽くなった。アシュレイは起き上がりざま、自分に悠々と乗っていたなにかに練りに練ったオーラを乗せた蹴りの一撃を喰らわせた。
ずうんとつま先がなにかを深々と打った。
――手ごたえあり。
「誰ですか」
ひらりとベッドの上で片膝立ちになり視線を据えると、就寝前確かに締めたはずの窓が開閉されており、冷たい夜気が室内を嬲るように吹き込んできた。
真っ赤になった頬に手を当てながらアシュレイは呼吸を整えた。不覚にも、人には言えないほど隠微な夢の中でたゆたっていた。胸はまだどきどきと早鐘のような鼓動が鳴っている。ハッとなって瞬間的に隣のベッドを見た。そこには太平楽に高いびきを欠く相棒のいつもと変わらぬ姿があった。
――夢の中で彼は。
「ありえません」
ブンブンと頭を左右に激しく振った。それからアシュレイはまんじりともせずに、一睡もできないまま朝を迎えるのだった。




