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LV62「末弟ディック」

「騒がしいな、オイ」


 巨躯である。蔵人は動く壁が目の前に現れたかと思った。縦にも横にも大きい。目測だが二メートルをはるかに超えた背丈である。


 男はたっぷりとした黒い髪を揺らしながら、いましがた奥に逃げ込んだ男の顔面を鷲掴みにしながら悠々とその姿を現した。


「ったくここまで攻め込まれて逃げんじゃねぇよ。盗賊の風上にも置けんやつだなあ」

「ぷぎゅっ」


 大男が力を込めると顔面を鷲掴みにされていた男の頭が熟れたトマトのように潰れて鮮血がパッと舞った。


「おまえがバローズで間違いないか」


「ああん? 見覚えのない顔だが、まあいい。確かにおれがバローズ三兄弟のひとりで末弟のディック・バローズさまだ」


「残りのふたりはどうしたんだ。いちいちあちこち探すのが面倒だぜ」


「兄貴たちの行方を知りたきゃおれに音を上げさせることだな。もっとも、それができれば、な」


 蔵人はあからさまに疲れた様子でため息を長々と吐くと、首を左右に振ってコキコキと音を出して鳴らした。


「んじゃ外に出ようや。ここじゃあやり合うには狭いだろう?」

「ああ、そりゃそうだ。とっとと行くべぇか」


 蔵人はくるりと背を向けると堂々とした態度で外に出た。アシュレイとディックが続く。外はすでに日が昇り、突き刺すような朝日の光線が地を焼いていた。


 ――にしてもデケーな。なに食ったらこんなになるんだ。


 日のある場所で改めて見るとディックの身体の大きさは桁外れであった。顔も首も腕も胴も脚もすべてが太い。


 上半身の素肌には狗の毛皮をチョッキとして羽織っているだけだ。分厚い筋肉の上にたっぷりとした脂肪が乗っており、肌は象のようにカサついて厚い。ベストから生えている丸太のような両腕は筋肉が発達しすぎており、普通に立っていると脇が締められないほどである。


 のっそりと立つその姿は灰色熊を思わせるような、鈍重でありながらも異様な狂暴性を内に秘めていることが感じ取れた。


 瞳はギョロリとしているが黒目が異様に小さく人間とは別次元のものを感じる。容貌はアジア人にないハッキリした造りで、額も鼻梁もガッシリとしており岩を掘ったような荒々しさが際立っていた。


「おれは手加減もしねぇしできねぇ。おまえが死んだらその女は戴くぜ。くれぇところじゃわからなかったがすこぶるツキの尼さんだ。いまから抱くのが楽しみでならねぇや」


「安心しろ。彼女の初物は俺が予約済みなんだ。テメェの出る幕はねえ」

「は――」


 黄ばんだ乱杭歯を剥き出しにしたディックは身を低くすると、その巨体からは想像もつかないような素早い動きで突っ込んできた。


 武器は手にしていない。

 無手である。

 さもあろう。


 この巨体ならば小賢しい得物や武器などなくとも突進の一手であらゆる敵を沈黙させることは容易かったはずだ。


「あめぇあめぇ。大甘だ」


 蔵人は外套の前を開くと腰を落としてディックのタックルを受け止めるために真正面から迎え撃った。


 まさかディックも蔵人が武器を使わずに肉弾のみの真っ向勝負を受けるとは思わなかったのか、わずかに陰りが目元に浮かんだ。


 半トン近い重さに二メートル半は確実にあるディックの巨体に比べ、体重は五分の一に満たない蔵人の姿はなんという儚さだろうか。


 傍らで見守っていたアシュレイが整った眉を顰めた。どう考えても質量からいって弾き飛ばされるのは蔵人に決まっている。相撲取りと幼稚園児。ライオンと猫ほどの差があった。


 が――。


 蔵人はぶつかってきたディックの巨体を真正面から受け止めた。衝突と同時に凄まじいエネルギーの爆発があったのだろう。蔵人はディックと組み合ったままざりざりと四、五メートルほど後退したが、がっぷり組んだ姿勢が崩れることはなかった。


 これには力自慢のディックもさすがに驚愕したのだろう。丸太のような太い腕に力瘤を浮き上がらせて必死に圧し潰そうと躍起になるが、蔵人は根が生えたようにピクリとも動かなくなった。


「けっ。軽い軽い。俺がいままでやり合ってきたのはマジのバケモンばっかだっての」


 オークやミノタウロスのような怪力を誇る亜人たちと散々に組み打ちを行ってきた蔵人からすれば、あくまで人間の範疇を超えないディックの膂力は驚くに値しないものだった。


 怒声を張り上げながら蔵人はディックの巨体を大地から引き抜くと、半トン近い重さをものともせずに投げを打った。


 見事なうっちゃりである。ディックは斜め後方に軽々と投げ飛ばされると、でんでんと大地に肉を打ちつけながら悲鳴を発していた。


「土俵の上なら勝負ありだが。さて――」


 蔵人の予想よりもディックの立ち直りは早かった。巨躯からは想像がつかないほどの素早い動きで突っ込んできた。今度は安易に組むことを警戒したのか距離を取って拳で殴りつけてきた。


「馬鹿。大振り過ぎだ」


 リーチが長く丸太のような腕をディックは狂ったように振り下ろしてくる。


 だが、蔵人は触れるか振れないかのギリギリで左右の連打をかわしながら、少しずつ下がっていった。


 いつの間にか抜き取られていた長剣が蔵人の手には握られていた。


 まったく当たらないことに業を煮やしたディックが渾身の力を込めた右ストレートを叩きつけてきた。


 蔵人は素早く長剣をディックの右脚の甲に振り下ろした。切っ先は甲の中央部分に当たる船状骨と立方骨の隙間をすいとすり抜けて地に刺さった。途端にディックの身体はバランスを崩して前のめりになる。


 蔵人は降りてきたディックの無防備な顎にアッパーを叩き込んだ。蔵人の拳は生まれつき大きく丸めるとドンブリ茶碗ほどもある。肉厚で指そのものがコロコロとしており皮は獣のように硬かった。ディックの顔面は縦に圧し潰されたような恰好で顎が破砕された。


 岩のような一撃を喰らえばさしもの巨漢のディックもたまらない。


 たちまち脳震盪を起こして左右にふらついた。蔵人はディックを蹴りつけると長剣を引き抜きざま叩きつけた。


 ディックは女のような悲鳴を上げるとその場に尻もちを突いた。女の腰ほどもあるディックの右腕を斜めに真っ赤な線が走った。その線は徐々に太くなって赤黒い断裂面を晒した。蔵人の斬撃がディックの利き腕を切り落としたのだ。




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