LV58「聖痕は驟雨に濡れた」
「お見事な一撃だった。お主の勝利だ。私も、最後に思う存分力を振るえた。後悔はない」
目を閉じたままシドが言った。
同時に、城壁側から雪崩のように兵士たちが押し寄せてきた。
城門が破られたのだ。
蔵人たちを包囲していた兵士たちも蜘蛛の子を散らすようにわっと逃げ去った。おそらくは、寄せ手がまだいない西門から逃げ出しているのだろう。
勝敗は決した。
頭上を見上げると壇上にいたはずの混沌の魔女の姿が消えていた。
この結末を悟ってとうに城から脱出していたのだろう。
贖いの塔に火がかけられ、闇夜を裂くように赤い棒と化して炎上していた。
「ひとつだけ頼みがある」
愁いを帯びた声でシドが呟く。
現世に肉体を繋ぎ留められなくなったシドが細かな蒼い霧となって虚空に舞い散ってゆく。
「この国の皇族は終わっている。あらゆる意味でだ。混沌の魔女が現れなくとも、民は地獄の苦しみに晒されるのは時間の問題だ。クランドよ。お主の手で腐敗を取り除き、力なき民草を救ってやって欲しい」
「知らねーよ、ンなもんはよ。けど、アシュレイちゃんをイジメるようなゴミどもはついでにこの俺が片付けてやんぜ。綺麗さっぱりパパッとな」
蔵人が手と手を打ち合わせながらそう言うとシドは唇をゆるく上方に吊り上げた。それは力を出し切った男同士が交わす信愛に満ちたものだった。
戦いのあと――。
蔵人たちはウィル率いるテンプレ騎士団に保護され、落城した贖いの塔に設けられた天幕でアシュレイと共に休息していた。
敵勢を討ち取って余裕綽々のテンプレ騎士団の軍務長ウィルは「なんと! 魔人シドとクランド卿の一騎討ちは是非とも見たかった!」と叫んでいたが、空気を呼んだシオドーラによって早々に摘まみ出されていた。
とうに夜は明けていたが、外は折りから降り出した驟雨で塗り潰され、おそらくは戦後処理のために立ち働いている無数の人間の動きもわからないほどであった。
「なぜ、助けに来てくれたのですか」
離れた場所で立っていたアシュレイが聞こえるかどうかくらいの、本当に小さな声で訊ねた。
「ああん? そんなもんはよう――」
鼻をほじっていた蔵人はギョッとした。
クールで感情をあまり露にしないアシュレイが声を上げずに涙で頬を濡らしていた。
蔵人は簡易ベッドから立ち上がると困ったように自分の頭をガシガシやりながらアシュレイの前に立つと、サッと両手を広げた。
「ハグだ」
「え――」
「親愛のハグだ」
アシュレイは目元に溜まった涙を指先で拭うと、おそるおそる蔵人の前に立った。
突如と蔵人が襲いかかるようにアシュレイを胸元に抱え込むと囁くように言った。
「たぶん、つまんねぇことゴチャゴチャ考えてんだろうが。――よく、頑張ったな」
驚いたようにアシュレイが両眼を見開いた。
それから小刻みに身体を震わせながら両腕で強く蔵人を抱き返してきた。
「いままでひとりでよく頑張った」
「クランド――!」
アシュレイは蔵人に抱きつきながら身体をわななかせていた。
纏っていた毛布がするりと地面に落ちた。
裂かれた修道服の露な格好も顧みずアシュレイは身を震わせていた。
泣きすぎた彼女の涙は首筋を伝って胸元に流れ聖痕まで濡らしていた。
ポンポンとアシュレイの頭を軽く撫でる蔵人の表情は慈愛にあふれていた。
「ホントの意味で元気になったら聞いて欲しい頼みごとがあるんだが、いいか」
泣き笑いの表情でアシュレイがこくこくと首を縦に振った。
それは信頼し切った父親を見るような娘の表情だった。
「一発やらしてくんない?」
なにもかもぶち壊しにする蔵人だった。




