LV57「死闘決着」
「来たな」
腕組みをしていたシドが破顔した。そこには、初戦で感じた曲々しい気配はなかった。その代わり、以前感じたものよりも、はるかに濃く、存在感のある闘気が満ちているのを感じた。
シドが燃えるような瞳で蔵人を睨んでいる。
そこにはなにかを吹っ切った男の清々しさがあった。
「見違えたぜ、オッサン。あれの飼い犬はやめたんか」
「ああ、吹っ切れた。存在がどうの、理念がどうのというより、いまはひとりの男としておまえと存分に死合いたいのだ」
「この前は余計な茶々が入ったからな」
「この場所ならば問題はなかろう」
蔵人とシドを兵士たちがぐるりと円で囲み、ほかの邪魔が入らないよう肉の壁が造られていた。
「そんじゃあはじめっとすッか」
蔵人が長剣を引き抜いて正眼に構えると、シドも応ずるように身体を半身にして向き直った。
シドの身体に火球のような熱を持つオーラが充足してゆく。
そのオーラはシドがゆらりと右拳をやや前に突き出すといきなり膨れ上がった。
したたり落ちる生命エネルギーはシドの身体から流れ落ちて足元へと池のように広がり、離れている兵士たちを委縮させた。
オーラの池はあたり一面に満ちて、ある領域を支配すると、まるでそれ自体が意志を持っているかのようにぴたりと止まった。
前回のように細かな拳と剣のやり取りは続かないだろう。
決着は一瞬でつく。
探り合いがなければ真の戦いというものは瞬きの間に終わるものだ。
構えた蔵人から放たれた闘気が剣山のように前面へと押し出された。
無数の針山のように鋭く尖った目に見えないオーラの放出にシドが凄い笑いを見せた。
勝負の潮合が極まった。
蔵人が獅子のように吠えたて頭上に長剣を振り上げたとき、シドは火球のように全身を燃え立たせて間合いを一瞬で詰め切っていた。
業風のような左の拳打が蔵人の振り上げた右腕に向かって放たれた。
よけることもなんらかの防御策を講じることもできない。
ちょうど手のひらの下の部分に当たる。
尺骨と橈骨だ。
蔵人は打たれるがままに右手首を砕かれた。
シドの左拳に乗せて繰り出されるオーラは生半可なものではない。螺旋の動きを持つ闘気の塊は通常ならば蔵人の握った右腕ごと剣を吹き飛ばすはずであったが、ギリギリ耐えた。
だが、オーラの打撃をモロに喰らった形となった蔵人の上体は後方に傾いだ。勝利を確信したシドは左脚をさらに前方へと踏み込んで必殺の右ストレートを繰り出してきた。
ガラ空きになった蔵人の左胸にシドの拳打が雨あられのように叩き込まれた。油断などはまったくしていなかった。それがシドの鍛え抜かれた体術の技量と蔵人の差である。
雷撃を喰らったような痺れが全身に走った。
痛みとかそのようなレベルではない。
心臓、肝臓、脾臓に大ダメージを受けたのだ。
通常ならば、これだけ重要な臓器を傷つけられば精神はともかく、身体が戦闘に耐えうるものではなく機能を停止する。
蔵人は心中、苦痛に呻きながら髪の毛先まで痙攣する激痛と戦いを繰り広げていた。
喉元から血の塊が競り上がってくる。
痛みをこらえて飲み下した。
げえげえとやるような暇は寸毫もない。
痛みを面に出すようでは、この難敵に到底勝ち得ない。
不撓不屈の精神であらゆる理不尽と精神と魂の損耗に耐えねばならない。
死人のような顔色になった蔵人を見て、シドが破顔した。
だが、その笑みはすぐに引き攣った。
シドの顔を見て、蔵人が笑い返したのだ。
――打撃じゃ俺は斃せねえ。
瞬間、胸元に刻まれた不死の紋章が鋭い輝きを放った。
勇者を勇者たらしめる絶対的な特殊能力が発動した。
あらゆるダメージを瞬時に回復させる最強の紋章が発動したのだ。
蔵人は瞬時に治癒しつつある右手の剣を左手に持ち替えると斬撃を放った。
勝敗の極意は決断力にある。
刹那に満たないわずかの間に蔵人は紋章の治癒スピードに賭けたのだ。
右手の指は動かせる。
左手に剣を移す余裕が生じた。
それが大きい。
左からの斬撃は流星の如く闘気をほとばしらせながらシドの右腕を断ち割った。
右腕を断ち割られたシドは後方に飛び退って瞬時に出血を止めた。
蔵人は左の斬撃を放ったまま倒れ込むような姿勢をすぐには戻せない。
残った左腕で反撃に移ろうとしたシドのバランスがわずかに左にズレた。
右腕を失ったことで身体の体重移動が想像以上に遅れたのだ。
致命的な遅れではない。
文字通り刹那の間だ。
だが、命を懸けた殺し合いではそれが決定的だった。
蔵人は前のめりになりながらいまや完全に治癒された右腕で背負った長剣を抜きにかかる。
不死の紋章は瞬間的に破損した部位を回復させるが痛みが消えるわけではない。
痛みは邪魔だ。
感ずる暇もない。
それを――。
決行しなければ死は確定であった。
歯という歯をすべて咬み合わせながら根性を振り絞ってすべてを引き抜き切った。
雪のような真っ白な鞘から空の青を溶かし込んだ刃が現れた。
銘は青玄。
青竜のウロコによって造り上げられた最強の聖剣だ。
深く吸い込んだ空気を鼻腔から一気に排出しながら青玄を振り下ろした。
腹の底から膨れ上がってマグマのように爆発したオーラが身体の中心である丹田を焼いた。
その爆発力――。
オーラを腕に集め、刃に乗せて一気に開放した。
裂帛の気合と共に青玄は真一文字に振り下ろされた。
斬撃の余波でシドが後方に弾かれた。
蔵人は右足で踏ん張ってなんとか転ぶことを阻止した。
刃の切っ先。
地面に深々とめり込んでいた。
シドを斬り裂いた確かな感触だけが手に残っていた。
青玄を握ったまま上体を起こして顔を上げた。
そこには右肩から胴体を斜めに通って左腰まで斬り割られたシドが不思議そうな表情で自分の身体を見つめている姿があった。
防御に回したであろうシドの右手が斜めに裂けて地に転がった。
蔵人の放った斬撃の通り道は、やがて巨大な太い真っ赤な裂けめに変じた。




