LV05「鉄拳令嬢」
鉄拳令嬢というありがたくない二つ名を戴いていたアシュレイは、アバタ男の勘が早くも当たったことに驚きを覚えていた。
天災としか考えられない苦難の末にすべてを奪われた。
あの、ウォーカー事変と呼ばれた惨劇から数カ月が経過していた。
見事というほかない手腕でウォーカー家を取り潰しにした戦争を帝国の民はすでに忘れつつああった。
アシュレイはノワルキ皇子に対して復讐を志したというものの、前途は多難である。
実際のアシュレイは仮面で素顔を隠し、修道院で習った格闘術を生かして冒険者という怪しげな職に身をやつし糊口をしのぐ毎日であった。
「け。最初からこうすりゃよかったんだよ。最初からな」
囚われの身となったアシュレイは無言のまま目の前にいる男をジッと凝視していた。
――こうなる経緯を思い出す。
数日前、依頼料の取り分で揉めたときに、見逃したカマキリ男が無頼の徒を集めて復讎にやってきたのだ。
闇夜といえど、優れた直感と練り上げられた体術で
磨き抜かれたアシュレイがたかだか十数人の男たち相手にステゴロで不覚を取るはずもなかった。
だが、人質がいれば話は別である。
カマキリ男はレンジャー職の少女を人質にしてアシュレイに無条件降伏を申し入れたのだ。
アシュレイには復讎という大望があったのだが、誇り高き貴族育ちでもある。救いを求められれば一度はパーティーを組んだ少女を悪漢から見殺しにすることもできない。
人の来ない路地裏で囲まれ、用意された馬車に乗るよう指示されながらもアシュレイは怯えた声ひとつ上げることなく普段の冷静な態度を崩すことはなかった。
「さあ、とっとと乗りやがれ」
「背中をつつかないでください。生地が痛みます」
「なにをいってやがる。まあ、調子コケるのもいまの内だけだ。おめぇはこれからおれらのアジトへ連れてかれて、げへへ、たーっぷり痛い目に遭うってわけだ。へへ、もっともおれらにとってはいい目ってだけかもしんねぇけどな」
人質である少女は解放された。
レンジャー職の少女の身のこなしは素早かった。
(けれど、この位置関係はマズいですね)
馬車に乗り込むようタラップを先に踏まされている。
背中にはカマキリ男の持つ長剣の切っ先が背中の皮を突いていた。
周囲には武器を持った男たちが得物を持って取り囲んでいる。
かなり堂々とした犯罪行為であるが、ドヤ街に位置するこの治安の悪い地区では助けは求められそうにない。
そもそも、獲物がか弱く若い修道女であると知られれば、飢えた野獣がおこぼれをもらえるかと増える可能性が高いので、あれお助けを、と叫ぶこともままならないのだ。
――隙ができるのを待ちますか。
「さあ、とっとと乗れや。夜はこれからだぜえ」
カマキリ男の粘ついた声にアシュレイは嫌悪感で全身の毛が逆立ちそうになった。
どうやら自分はとことん男運というものが欠如しているらしい。
婚約者であったノワルキもそうであるが、飢えた野犬も願い下げである。
馬車に乗り込む際、尻を無造作に鷲掴みにされたのもアシュレイの怒りゲージを限界近くまで溜める効果があった。
「しかし尼さんってのはどうしてここまでそそるかねェ」
「貴方の性癖が歪んでいるからでしょう」
「あん? うるせえやい。おう、とっとと出しやがれ」
カマキリが馭者に唾を飛ばしながら命じた。
車内には暗くてよくわからないが、数人の気配が感じられる。
馬車が動き出したときこそ反撃のチャンスである。
六本足を持つスレイプニル種の馬が鼻息荒く走り出そうとしたとき――。
馭者が忌々しそうに苛立った声を上げた。
「なんだぁ、テメェは。どきやがれい!」
「はいそうですかと、引っ込むくらいなら最初からこんなことしないんだよなあ」
アシュレイの前に現れたのは奇妙な風体をしたひとりの男だった。