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LV43「消せない過去」

「な、ななな、なあアニキよう。これからおれたちどうすりゃあいいんだよう」


「さあな。ただ、馬鹿正直にあったことを報告すれば、おれもおまえもあのナタリヤって小娘に首だけにされちまうのは間違いのねぇことだぜ」


 敗残の兵――。


 オーク騎士のバークシャとランドレスは人里離れた杉林の前で、息を荒げながら配下の帝国兵が戻ってくるのをジリジリと気を揉みながら待っていた。


 ――こんなことなら、あのとき我先に手ェ上げるんじゃなかったぜ。


 バークシャは重い戦斧を地に下ろすと頬の傷を太く丸まった爪の先でガリガリかじった。テンプレ騎士団との戦闘で受けた怪我だ。強い掻痒感がこらえきれない。


 すでに血は止まりかけていたが、再び出血した。オーク独特の尋常ならざる回復力で薄っすらと被膜すら張りかかっていたものがあっさりと破れたのだ。


「クソがあ」


 バークシャは異様な掻痒感を覚えて爪先で掘り起こすことを止めることができない。

 イラつきが加速する。


「バークシャ百人隊長。この先には騎士団の連中の姿はありません」

「よし、とりあえず進むとするか」


 四十名を超える部下の数は、いまや八名にまで減じている。バークシャは、濃く生臭い息を吐き出しながら重たげな戦斧をかつぎ直すと苛立ちを隠さぬ足取りで歩き出した。


 アシュレイを守っていた人間の男は通常では考えられぬほどの手練れであり、あの状況で無茶追いをすれば、自分のほうが討ち取られていた公算が高い。


 そして計算外であったテンプレ騎士団の襲撃もバークシャの尽きのなさに拍車をかけた。


「アニキよう、このまま戻ってヤバくねぇか?」

「ふん。テンプレ騎士団の連中が多勢で襲ってきたのは事実だ。テキトーに取り繕うさ。それよりもだ、ムカムカしねぇか」

「そ、そりゃあよう」


 ランドレスが追従するように似合わない笑みを浮かべる。しばらくバークシャたちが進むと人家が見えてきた。


 オークであるバークシャは目も鼻も人間よりはるかに優れている。井戸端で粗末な衣服であるが中々に肉付きのよい若い女が洗濯物を手にしたままポカンとした口を開け、こちらを向いているのが見えた。


 バークシャはぐるると鳴る腹を押さえながら、ついてくる兵のひとりに問うた。


「食いもんだ」

「へ?」


「察しの悪いやつだな。おれたちは誇り高き帝国兵だが、武運拙く傷つき腹が減っている。あの村は、名前も知らねぇが全力を挙げておれたちに尽くす。そうあるべきだと思うよな?」

「はいっ」


 バークシャの歪んだ欲望に気づいた兵のひとりが勢いよく返事をした。


「憂さ晴らしというわけではないが、この村の連中には機嫌の悪いおれたちが通りがかったのが運の尽きだと思ってもらわないとな。つくづく、人生ってのはままならんものだよなあ」


 戦斧をひょいと持ち上げて村を指し示す。ランドレスが部下の帝国兵を引き連れて雄叫びを上げて徴発に取りかかった。






 男は足を止めた。それから遠景に広がる真っ赤な炎と物が焼ける独特の臭気に気づき、顔面を歪めた。走り出す。瞬時に上がった速度は人間の力を凌駕しており、たちまち煙と真っ赤な火に焼かれた集落にたどり着いた。粗末な小屋のようなものであるが、それらのあちこちから紅蓮の炎が立ち昇り、道々には血塗れになった村人たちの骸が転がっていた。


「たす、けて……」


 青黒い顔をした男が、初めて自分の足を掴むものが年端もいかない少女であることがわかった。

 衣服は乱れ切っており、胸や腹に深い傷があり、流れ出た血が池を作っている。


 一目見て助からないことに気づき、シドはしゃがみ込むと少女の手を握ってやった。


「どうしたのだ」

「へいたい、さんが、おうちに火を……」

「しっかりしろ」

「たす、けて……」


 それだけ言うと少女は力尽きたように四肢を伸ばすと最後の痙攣を起こして、動かなくなった。


 誰がやったかなど考えなくともすぐに判断ができた。

 混沌の魔女についてきたオークのふたり組の残党の仕業に決まっている。


 落胆する理由も権利もない。倫理観で暴力を否定する季節はとうに過ぎ去ったのだ。だが、シドの中には、捨てきれない人間部分が熾火のように、音を出さず静かに燃えていた。


 帝国で勇者のパーティーに加わり、確かに魔王を斃したことは事実だ。


 冥府魔道に落ちたいまでも、その余計なものがシドを縛りつけ続けている。


 激しい痛みがシドの後頭部を鋭く焼いた。仲間であった勇者は己の身の立身出世を遂げると、それが当然の権利のように皇帝の娘婿にあっさり納まった。


 それについてとやかく言うつもりはなかったが、今度は邪魔だとばかりに腕の立つシドたちを排除にかかったのは我慢ならなかった。


 戦いを終えてようやく故郷の村にたどり着いたとき、シドが目にしたものは焼け落ちた我が家と帝国の兵士に殺されて無残な姿となった妻と娘の姿であった。


 シドは怒りに任せて帝都に向かったが多勢に無勢だった。勇者はシドたちほどの超一級ではないにしろ、二級三級の武芸者を雲霞の如く集める権威と資金力を手にしていた。


 思えば、勇者を除いた仲間たちは同じ目に遭っていたのだ。

 連携を考えなかったのは、捨て鉢になった自分のミスである。

 そもそもが、これ以上腐った世界で生を望んでいなかったのかもしれない。


 だが、刑場に引き据えられた際に見た勇者の顔はシドのことを、愚か者と嘲笑っていたのだ。


 帝国に復讐する。


 たとえ、現在の身が冥府魔道に落ちているとしても、腐った勇者の血を受け継ぐ帝国の皇族をわずかなりでも傷つけられればそれで満足のはずだった。


 それが――。

 自分がやっていることは、あの勇者と違わないのではないか?


 駆けた。

 シドは自分がなにに対して怒っているか理解しないままま駆けた。外道を見つけるのはそれほど難しくなかった。火がついていない離れた小屋の中で彼らは若い女を組み敷きながら酒を呷っていた。


「な、なんだよテメェは」


 甲冑を脱ぎ捨てているが、帝国兵であることは一目瞭然である。数は四名。シドからすればひと息で消せる数だった。シドの殺気に気づいたひとりが鞘から剣を抜こうとしたが、いかんともしがたい遅さだ。シドはすべるように動くと片手で男の頭を鷲掴みにした。声を上げる間もなく、シドの手の中で男の頭が熟したトマトのように圧壊した。びびっと濡れ雑巾を板にぶち当てるような音が鳴って、血液が壁に散らばった。


 ひとりがやられた隙を衝いて長剣を手にした男が突っ込んできた。腰だめにしたそれはシドの脇腹へとまともにぶつかったが、鈍い音と共にあっさりと折れた。悲鳴を上げる間もなくシドは右手の指先をそろえると素早く突き出した。鋼鉄よりも固いその指先は男の喉笛を貫くと盆の窪のあたりまで突き抜けた。残ったふたりが左右から長剣を叩きつけてくる。シドは素早く地を這うような回転蹴りを放って男たちの脛を折り割った。鍛え抜かれたシドの脚はそれだけで凶器である。折れた脚を抱えて悶絶する男のひとりの頭にシドは足裏を乗せた。


「いまからおまえの頭を踏み割る。いいな」

「な、なんでっ。おれたちは、百人隊長の指示に、指示に従っただけで……」


「豚野郎だな。そいつはどこに行った」

「しら、知らな、しらないいいいっ」


 足裏に力を込めると男の頭はぶちゅと潰れた。残ったひとりの男が仲間を見捨てて這いずりながら戸口へと逃げようとしている。シドは背骨のあたりに足を乗せると、今度は有無をいわさず踏み割った。


 シドが視線を小屋に流すと帝国兵に凌辱されていた女はすでに息がなかった。このような真似をしても、それはただの八つ当たりで、ただ無辜の民が悪戯に殺傷された事実は変えようがない。


 虚しさがシドの胸広がったとき、鋭い痛みが頭を襲った。


「むううっ」


 とてもではないが立っていられない。これはシドが人間だったときの記憶だ。思い出しそうになる度に、無理やり捻じ伏せていたそれらが、今日という今日こそいままでにない勢いで記憶の蓋を無理やりこじ開けようとしている。


「がああっ」


 立ち上がって、すべてを振り払った。

 両腕を狂ったように振り回す。

 シドの両眼から涙がボロボロと零れ出した。


 すまない。

 すまない。


 誰に謝っているのかもわからずに、シドはその場に立ち尽くした。



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