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LV31「危機」

 ――いくらなんでも遅すぎる。


 蔵人は自分の手首で脈を計っていた。正常時で脈拍数は一分間に約六十回程度。ドッドッという血のリズムを換算すると、十五分は経過している。


「まさか――」


 罵られるのを覚悟でアシュレイが分け入っていった草むらに突っ込むと、その場には彼女の姿はなかった。


 違う。地形自体が変化している。蔵人たちがさ迷っている草の迷路は、刻々と時間を追うごとに形を変えて侵入者を是が非でも迷わせるという性質を持っているのだ。


「くそ。無理やりにでも引き止めるべきだったか」


 その場合は蔵人の顔がキュビズムの極致のように変形させられていることは避けられなかったが背に腹は代えられない。


「アシュレイ、どこだ!」


 叫びながら長剣を使い草を薙ぎ払って進んでゆく。焦るな落ち着けと自分を諭してみてもいなくなったアシュレイのことを思えば冷静ではいられない。


 長剣で草を刈り取ると切断面からムッとするような独特の臭気が鼻を突く。不意に開けた場所へ飛び出たとき、蔵人の背筋に毛虫がのたうったような激しい悪寒が走った。


「――!」


 言葉も出ない。目の前には血塗れになって虚ろな顔で天を眺めているアシュレイの姿があった。






 鼻を衝く凄まじいまでの血臭。

 嗅ぎ慣れた鉄臭い血の熱波に煽られるようにしてドッと蔵人の意識が倒れ伏したアシュレイに注がれた。

 胸元と腹を裂かれたのだろう。修道服は朱に染まり、蝋のような白い顔色だった。誰がどう見ても絶命している。目蓋は開いたまま閉じていないのは、殺されてすぐだからだろう。


 経験上、目を見開いたままの骸は時間が経過しなければ目蓋を閉じさせることができない。


「クソッタレが!」


 駆け寄ろうとした瞬間、横合いから分厚い殺気と共に尻穴がすぼむような擦過音が轟いた。

 反射的に長剣を引き抜くと立てた。


 咄嗟の防御に回ったのは修羅場を潜った蔵人だからできたことだ。


 薙ぎ払われた草を撥ね飛ばしながら、それは蔵人を打ち据え、軽々と宙へ弾き飛ばした。


 ――防御に回ってこれかよ。


 蔵人はくるくる宙を回転しながら草むらに着地すると同時に長剣を構えた。刀身に罅は入っていない。受け方が悪ければ武器を破壊されていたところである。息を潜めて襲撃者の動きを探っていたが、途端に張りつめていた殺気のオーラが遠のいていった。


 馬鹿な、なんだというのだ。蔵人は立ち上がると、草を掻き分けながらアシュレイが倒れていた場所に向かったが、とうとうその場所に戻ることができなかった。


「どういうことだ?」


 血の臭気は本物だった。アレを嗅いでなお、すべてがフェイクであったとは考えにくい。蔵人は長剣を鞘に納めると顎に指先を添えてジッと考え込んだ。


 やがて思考がひとつにまとまったのか、蔵人は再び歩き出した。移動するたびに、道は変化していく。考察が得意な熟練した冒険者や知恵者ならば、このダンジョンの規則性を論理的に解き明かせるのだろうが、蔵人にそこまでの技量はなかった。


 ――だったら俺なりのやり方でいかせてもらおうか。


「こうなったらやぶれかぶれじゃい!」


 蔵人は滅茶苦茶に長剣を振り回しながら、あらかじめ完成していた道を外れて移動を始めた。


 豪雪を掻き分けるラッセル車のような動きで猛進してゆく。


「おっとと」


 不意に開けた空間へと躍り出た。

 女が立っていた。

 汚れひとつない修道女は向き直ると仮面の下にある瞳を輝かせた。


「クランド、どこに行っていたのですか」

「アシュレイ!」


 蔵人は外套をバサバサと翻しながら軽やかな動きで地を蹴って走りアシュレイを真正面から抱き止めた。


「ど、どうしたのですか」

「心配させるな。どこに行ってやがってたんだ」

「そちらこそ。気がつけばクランドの姿見えなくなっていて、心配したのですよ」


 アシュレイは細く長い腕を蔵人の背に伸ばしてきゅっと抱き返してくる。蔵人の腕の中にアシュレイの身体がすっぽりと包み込まれていた。こうして抱きかかえるとアシュレイの身体は見た目よりもずっと華奢で力を入れてしまえば折れてしまいそうであった。


 左腕を伸ばす。やわやわと指を動かしてアシュレイの太腿の肉をまさぐった。


「その……苦しいですよ。あっ、ダメです。そんなところさわっては、いけません」

「すまねぇな」


 スッと蔵人は目を細くすると息もつかせぬ動きで持ち替えた長剣をアシュレイの腰へと真横から突き刺した。


 腰の右から左へと突き抜けた刃の切っ先が血に濡れてキラキラと光っている。蔵人が剣を抜き取って離れるとアシュレイは腰から下をたっぷり血潮で濡らしながらよたよたとよろめいた。


「な、なんで……?」

「よく化けた、と言いたいところだがガワだけだな。アシュレイの右太ももにはザックリ切られた痕があった。惜しいかな。上手の手から水が漏れるとはこのことだ」


 恨みがましい眼でアシュレイが睨んでくる。


「それとアシュレイはこういう状況でもあっさり男に転ぶようなヤワな女じゃねぇぜ。リサーチ不足だな」


 蔵人は長剣を肩に背負いながらニッと丈夫そうな歯を見せた。

 アシュレイであったものは次第に全身が黒ずんでゆき偽装は解けた。


「ギリーエイプか。上手く化けたようだが詰めが甘かったな」


 泥の上には子供ほどの大きさの黒い猿が横たわっていた。

 ギリーエイプは変化を得意とする猿のモンスターである。


 身体を痙攣させながらドス黒い血反吐を撒き散らしている。

 ほとんど間を置かずギリーエイプは赤い魔石に姿を変じた。


 少量の魔石が泥土に転がったとき――。

 横合いから叩きつけるような殺気が襲ってきた。




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