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LV27「やすらぎ」

 蔵人が言うように幾重にも折り重なった葉の上からわずかに降り注いでいた陽光の量が確かに少なくなっていた。


 こういうところは野生動物のように敏感で頼りになる。蔵人はトレントを倒した場所からそれほど離れていない大樹のうろを見つけると仮寝の宿とすることを提案していた。


 大樹のうろの中は外観よりもずっと広かった。

 ふたりが入って休んだとしてもなんら問題はなさそうだ。この場所なら敵が襲ってきたとしても目の前が開けた場所なのですくわかる。うろの中は平坦で寝そべって休めそうであり、アシュレイは顔には出さなかったがホッとしていた。


「朝まで交代で休むとするか。アシュレイちゃんは先と後どっちがいい?」

「それではお言葉に甘えて先に休ませてもらってもよろしいでしょうか」


 アシュレイは移動しようとしてわずかに上体がよろけた。素早く蔵人が寄ってきて長い腕を伸ばし抱き止める。


「あちこち湿っててすべるから気をつけろよ。危ないからな」

「いえ、お気持ちはありがたいのですが手を放していただけませんか」


 自分を抱き止めている腕が尻と太ももの部分に当たっている。先ほどトレントとの戦闘時で逆さに吊るされた際に切られた部分がわずかに痛む。気づかれぬように止血はしているが、このことで妙に心配されるのも億劫だった。


「悪意はないぞ」

「わかっています。わかっていますから……」


 ここまで故意にやられると怒るのも馬鹿々々しくなってきた。


「アシュレイちゃんはいちいちかわいいなあ」

「次は許しませんからね」

「愛ゆえの行動なので許してくれい」


(ばか……)


 睨みつけたが蔵人はニタニタと笑っている。いやらしさは感じるが悪童という感じで最初のころにあった嫌悪感はなぜか薄らいでいた。


 うろの中は広いので火を起こしても問題はなかった。

 湯を作り、食事をとり、休む体制を素早く作った。


「ほいよ」


 蔵人がザックから毛布を放り投げてくる。


「あ、あの、クランドの分は……?」

「俺はコイツがあるからだいじょーぶ」


 そう言って蔵人は外套に身をすっぽり包ませて片眉を上げた。毛布はザックで運べる量が決まっているので一組しか持ってこられなかったらしい。昼間は歩いていると汗ばむほどであったが、日が落ちた途端かなり肌寒いくらいだ。なんだかんだいって蔵人はアシュレイのことを先に考えてくれている。


「あ、それともふたりでくっついてあたため合うってのはどうだい」

「おやすみなさい」


 ――気のせいかもしれない。


 ザックから取り出した薄い毛布は、くるまっているだけで心理的に安心できる。


「寄っかかって無理な体勢で休むよりも横になったほうがいい。安心しろよ。おかしなやつが来ないかちゃんと見張ってるからさ」

「それではお任せします」


 ――自分は蔵人に心を開きつつあるのだろうか。


 自問自答するが足を延ばして休む誘惑には逆らえなかった。不規則な睡眠と覚醒は修道院の生活で慣れているとはいえ、迷宮の中は、いつどのような状況で敵が現れるかわからない。


 温めた粥と固いパンの食事であったが胃が満ちると強烈な眠気が意識を奪いにかかった。


 完全に眠るのはマズい。アシュレイは努めて目蓋を閉じたまま意識を半覚醒状態にとどめようとするが、蔵人の歌う奇妙な節回しの歌が心地よく、するすると眠りの池に落ち込んでゆく。移動と戦闘で強張った筋肉がとろけていく。


 時間にして三十秒も経たないうちにアシュレイは健やかな寝息をすうすうと立てていた。






「まさかこんなところに隠れているとは思いもしませんでした」


 酷く冷たい女の声は夜気を切り裂いてアシュレイの胸に突き刺さった。


 庵の周辺は数多の帝国兵に囲まれ無数の松明で真昼のように照らし出されている。美しい栗毛の馬に跨って勝ち誇る混沌の魔女は異形の四騎士を引き連れて賢者ロペスと対峙していた。


 アシュレイの足は止まっていた。


 ――逃げろ。決して戻ってはならぬ。


 賢者ロペスはそれだけ言うとアシュレイを庵から逃して、ここまでやってきた追っ手の兵を変幻自在の技を駆使して次々に屠っていった。


 圧倒的なロペスの武芸の前に勝敗は決したと思われたが、混沌の魔女が現れたと同時に潮目は完全に変わった。


 離れた茂みで気配を消しながら師の戦いを見守っていたアシュレイは震えていた。現世ではナタリヤと呼ばれていた娘から放たれる気はこうして離れて眺めているだけで、身体の震えが止まらないほどに、あらゆる生物を圧倒している。


 そしてもっとも恐ろしいことに、混沌の魔女が連れている異形の騎士たちの強さも破格であることが、いまのアシュレイには理解できた。


 ロペスは数十を超える帝国兵を倒したが、四騎士のひとりと組み合うと接戦の末に五体を地に投げ出し動けなくなった。


「賢者ロペス。あなたが最後のひとりです。いままでで帝国の三賢者のうち、ふたりを始末しました。あとは、あなただけ。そうですね。あとの心残りといえば、ああ、あのアシュレイとかいう小娘だけ――」


「混沌の魔女よ。その四人を冥府より呼び戻してこの世界をどうするつもりじゃ」


「あら? それはあなたたちが一番よく知っているのじゃありませんこと? なにしろ、この四人は誰よりも帝国に復讎することを願っていますの。私と彼らの利害が一致したため、協力してもらっているのですよ。ノワルキ皇子も私の思うがまま。ブルトンをこの手にするのは私の悲願なのです」


「馬鹿な。裏切りの四騎士の力を得て人民を再び破滅に追い込もうとうのか……?」

「シド」


 混沌の魔女が静かに命じるとシドと呼ばれた青黒い肌を持つ男が大の字で地に伸びているロペスの右腕を情け容赦なく踏み抜いた。


 鮮血が霧のように舞うがロペスは両眼を見開くだけで苦痛の呻きひとつ上げない。


「あらあ、つまらないの。この老骨は惨めたらしく泣き喚けばひと思いに楽にしてあげようと思ったのに。つまらないつまらない。ああ、そうですわ。アシュレイはここにいるんでしょう。あの小娘を連れてきてこの場で兵士たちに輪姦させればあなたも少しは私の言うことを聞く気になるかもです」


 混沌の魔女はそう言うと自分の小指を咥えながら妖艶に微笑んだ。


「魔女、よ……」

「あらぁん? ようやく言うことを聞くになりました?」


 ロペスが目を閉じながらぽそぽそと声にならない声で呟く。興を覚えたのか混沌の魔女は馬上のままロペスの近くまで寄った。


「んーん。なにか言いたいことがあるのですか」

「くたばれ」


 耳元に手を添えて身体を傾けた混沌の魔女の右目が破裂した。少なくとも遠目で見ていたアシュレイにはそう映った。


 真実はロペスが左手に隠し持っていた小石を親指で弾いたのだ。混沌の魔女は森中に響き渡る声で絶叫しながら、手綱を離し、惨めにも絶叫した。


「アシュレイ、聞こえておるか! とっととこの場を離れて力を蓄えよ! 儂には見える。運命の宿星が天に瞬いておる。この地に舞い降りた真の勇者の力を借りて混沌の魔女と四人の魔人を討ち滅ぼし弱き民を救うのじゃ!」


「世迷言を。よくもやってくれましたねえ、この老いぼれ風情が。この私に逆らったことを存分に、存分に思い知らせてあげましょう」


 ボダボダと右目から血を流しながら、混沌の魔女は獰猛な笑みを浮かべて立ち上がる。


 混沌の魔女から流れた血は瞬く間に地を染めて池のように広がった。


 アシュレイは悪臭を放つその血だまりを見つめながら、怒りと焦燥と怯えの混じった感情をこれからどのように処理すればいいのかと下唇を強く噛んで煩悶した。



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