LV24「春の迷宮」
実際問題、蔵人の方向感覚は抜群だった。土地の人間から聞き取ったわずかな情報から地図を起こし、迷いなく道を進むうちに街道に出た。
帝都で育ったアシュレイからしてみれば荒廃した獣道同然であるが、蔵人が言うにはそこに確かな人間の生活の気配があるということだ。
「慣れていますね」
「んあ? まあ、旅慣れてるからな」
お嬢さまであるアシュレイがもっとも苦しんだのは、あちこちで頻繁に出現する野盗やモンスターではなく道そのものであった。
アシュレイの最大の敵は道迷いである。彼女は生来、方向感覚というものが並の人間よりも数段劣っており、地図と首っ引きで進んでいるので目的地に着かないことがままあった。
これは冒険者としては致命的である。アシュレイは危険地帯に侵入してもフィジカルでそれを補うことができたが、時間を無駄に使ってしまう自分の方向音痴には苦しんだ。
さらに言えばアシュレイには変なプライドがあり、単純な地図読みなどの方法を他人へと頭を下げて聞くことができなかった。我流で進みまた戻るといった時間のロスが実に多かった。
まったく迷いのない蔵人の背中はみっしりと荷物を積んだザックの効果もあって、アシュレイには酷く頼もしげに見えた。
進む方向を考えなくともいい。精神衛生上、ルートを決めてもらうのは楽である。
導かれるままに蔵人のつき従って村にまでたどり着き、宿まで選んでもらって一泊し、次の日の朝には春迷宮の入り口に立っていた。
「そんじゃあ行くべぇか。忘れ物はないよな?」
頷こうとしてアシュレイは固まった。
(まるでこれでは親に先導してもらう幼児ではないですか。他人任せにしてはいけません)
「ここからは私が先にゆきます。後方の守りはお願いします」
「お、おう。ま、いいけどさあ」
春迷宮は四方が見渡せる平野部の中央に位置している。
古びた巨大な石柱で組んだ門だけが不気味に佇立していた。
アシュレイが石柱の門をくぐり抜けると、そこには若草に包まれた春の丘が広がっていた。
「ここは?」
「どうやらゲートの境であっちとこっちが区切られてるみてーだな」
蔵人の言葉に背後を振り返ると、門の向こう側にはロローシュ村から延々と続いていたはずの荒涼とした平野の一部が切り取られたように見えていた。
「冬のはずなのに、あたたかいです」
島の季節は晩秋である。
肌を刺す冷たい寒気がここでは汗ばむほどのあたたかな陽気に置き換わっていた。
周囲を見渡すと、むせ返るような緑の丘のあちこちでは春の花々が咲き誇り、白や黄の羽根を持つ蝶がひらひらと踊っている。
「村で聞き込んだんだが、春迷宮に入ること自体はそれほどむつかしくはないらしい。ただ、これはようっく村のおっちゃんに釘を刺されたんだが――命が惜しければ、丘の向こう側には絶対行くな、だとよ」
「と――いうことはその先に春を司る魔女がいるのですね」
「だろな。ここを攻略して春の魔女に謁見して加護を得ようとする冒険者や、迷宮に隠された手つかずの財宝を狙う盗賊は後を絶たないらしいが、森まで行って帰って来たやつはひとりもいねーって話だとよ。そんくらい程度には危険らしい。どうする?」
「どうするとは? 私には、なにがあろうと進むしか道はありません」
「だな。くだらんこと聞いて悪かった」
「ゆきましょう」
アシュレイは胸を張って数歩ほど進み、不意に振り返った。
「どちらにゆけばよろしいのでしょうか?」
「あらー」
蔵人の呆れ顔に少しだけ傷つくアシュレイだった。
「とりあえず森のほうに行けばいいんじゃないか?」
「敢えて危険な方角にですか」
「だって行くなっていうからにはそっちにはなにかしらあるんだろう。ザッと見ても門のほうにはなにも見当たらんからなあ」
蔵人に言われてみれば入ってきた門の方角を振り返ると、その先には無限に続くかと思われる草原が広がっているだけである。
鬱蒼と生い茂る巨大な森は往きて不帰の折り紙付きであっても、危険なものが多いほうが魔女がの入る場所に近づけるのは明々白々といえた。
「そうですね。ならば森のほうへ」
「おうおう、まさしく冒険の始まりって感じだな。それにラスボスはたいてい奥の奥にある部屋でのんびり茶でも啜ってるってのがRPGのセオリーだかんな」
「あーるぴーじーとはなんでしょうか」
「ん? ま、気にするなって。気にしてはいけない」
ポンポンと肩を軽く叩かれる。
いままでのアシュレイならば男性のあからさまな気安い態度に少なからず気分を害するのが常であったが、不思議と蔵人にはそのようなことはないことが逆に不思議だった。




