LV12「ギェルマン男爵」
大八車から長剣を抜き出すと納屋に向かって駆けた。
駆けながら抜刀していた。
納屋の奥には小さな松明の灯りがあった。
若い女の悲鳴。
長くすらりとした白い脚とそれを藁束に組み敷く男の尻が蔵人の視界に飛び込んできた。
「誰だテメェは!」
松明を掲げていた男が蔵人の存在に気づいたが、そのときにはすべてが遅かった。
あらゆる生物にいえることだが、睡眠と食事、性交時にはもっとも油断が生じやすい。
蔵人はその隙を衝いたのだった。
藁束に女を押しつけていた三人の男たちが上体を起こしたが蔵人の攻撃のほうが遥かに素早かった。男たちになんら回避行動を取る暇を与えない。男たちは据え物斬りの要領で斬撃を受けると声を上げる間もなく首を刎ねられた。パッと真っ赤な血が煙のように舞った。
松明を持っていた男が左手で転がしておいた剣を取ろうと屈んで手を伸ばす。斬撃のほうが速かった。刃はドスッという鈍い音を鳴らして男の腰を割った。苦悶の声を上げて男が身をよじる。蔵人は長剣を両手に持って男の喉元に突き入れた。白刃が紅を巻き取ってするりと抜き取られる。凄まじい血臭が小屋に広がった。
「逃げろ」
女たちは乱れた衣服を整えながら納屋から転がるように出て行った。続けて蔵人が出た。外は強風が荒れ狂っていた。わずかに目を細めると血に濡れた長剣を提げてアジトに向かった。
今度は一言も告げることなく扉を蹴破った。予想通り、ギェルマン一家のほとんどは白い泡を吐き出しながら、あちこちに転がって悶絶していた。室内には落下した酒肴や酒精の雑多な臭気でむせ返るようだった。
「誰だテメェは!」
長剣を引っ提げていた蔵人を誰何する男を無言で斬り倒した。
「めでてェ野郎どもだ。次に生まれ変わったらな、知らん人から貰ったもんを気安くがぶ飲みするんじゃねぇぞ」
「一服盛りやがったな」
男のひとりが喉元を押さえながら唸った。
「ご名答」
蔵人は村人に命じて運ばせた酒樽に痺れ薬を混ぜておいた。錬金術士に特別に頼んで作らせた即効性のある種類だ。少量でも、強度の呼吸困難を引き起こし、身体の痙攣は数日間止むことはないというシロモノだった。
「私たちになんの恨みがある。おまえは、誰だ?」
唯一、平然と座ってるギェルマン男爵が落ち着き払った声で訊ねてきた。
「詮索する暇なんぞないんじゃねぇか」
蔵人は長剣を上段に構え直す。
「だいたい恨みなんてそこらじゅうのやつから買ってるだろ」
「確かに。その通りだな」
男爵がそう言うと同時に痺れの程度が軽い男たちが斬りかかって来た。数は三人。左右と後方。蔵人はその場で泰然と迎え撃った。
男たちの長剣が硬質な金属音と共に天井へ撥ね上がった。蔵人は身体を回転させると向かい来る三人の男たちを一度に薙ぎ払った。首、胴、腰を断ち割られた男たちが絶叫を上げて吹っ飛んだ。
酒を呑んでいなかった娼婦たちが悲鳴を上げて戸口から出てゆく。蔵人は長剣を肩に担ぐと冷めた目で女たちを見送った。
「さて、ここでやるか。それとも外がいいか」
「随分な自信だな」
ギェルマンは底光りのする瞳で言った。
「死に場所くらい選ばせてやるって言ってんだよ」
「ならば外を所望する。広々とした場所で貴様と斬り合いたくなった」
「オーケイ」
稀代の悪党にて強盗紳士の手下たちは無様に転がり呻き声を上げるだけで抵抗するわずかな力も残っていなかった。
「どけ」
転がって悶絶する男たちを蹴りつけながら蔵人は外に出た。蔵人からすればギェルマン男爵を斃した後に、官憲に通報して残った賊たちはゆっくりと召し捕らせればいいだけだ。
外に出るとあれほど吹きすさんでいた風が止んでいた。
「静かだな」
「ああ、いい夜だ」
それだけ言い合うとふたりは暗い野天で向き合った。
彼我の距離は十五メートル。
遠いといえば遠いし、近いといえば近い。
いずれにしろふたりの力量ならばケリはすぐにつく。
「やり合う前に名乗っておこう。我はロムレス貴族にしてソルバートの地を領して七代目に当たるレアンドル・ギェルマン男爵なり」
「志門蔵人だ」
ほっかむりを投げ捨てると蔵人は素顔を露にした。飢えたオオカミのような荒々しい蔵人の風貌にギェルマンはどこか満足げな表情で薄い唇を吊り上げた。
「中々によい面構え。いざ、立ち会おうぞ」
「いつでもこっちは構わんぜ」
「では、最初から全力でゆかせてもらう」
ギェルマンが駆け寄って来た。
手にしたレイピアを抜き放っている。
迷いのない突きだ。
蔵人はニッと頑丈な歯を剥き出しにすると握り込んだ長剣を素早く打ち振るった。両者がすれ違う。駆け抜けたギェルマンは低く呻くと片膝を地に突き、左の肩口から激しく出血した。
「いい突きだ」
蔵人が長剣を持ち直すとギェルマンは素早く距離を取って呪文を詠唱し出した。
「魔術か」
ギェルマンは風を巻いて蔵人の周囲を凄まじい勢いで素早く回転し出した。たちまちに粉塵が天高く舞い上がり円を描く動きは加速度を増してゆく。
「おいおい、俺をバターにでもする気かよ」
風属性の魔術を併用している。普通の人間が駆けて維持できるスピードではない。ギェルマンの姿はたちまちに幾つも分離した。
分離したものがそれぞれ実態を持って鬼気を放っている。高速で動くことで分身を作り虚像を一時的に作り出しているのだ。生半可な技術ではできない。高等な風属性の魔術である。蔵人は自分の舌で乾いた上唇を舐めてわずかに湿した。
「悪く思うなよ。これで決まりだ、我が必殺のミラージュ・ダンスを使わせたこと褒めてやろう」
「分身の術か。忍者みてェだな」
砂煙を立てて風の魔術で分身を作り出したギェルマンは蔵人を幻惑した。なるほど。この素早さで周囲を回られればどこから攻撃するかの予測は難しい。
だが、蔵人は一切焦ることなく長剣を平正眼に構え直すと上機嫌に鼻歌を歌い出し、右脚の爪先を動かし地面を叩いてリズムを取った。
それを目にしたギェルマンはカッと両眼を見開くと、殺気の濃度を上げた。
「死ね!」
回転するギェルマンの輪が縮まった。
死の包囲。
必殺である。
同時に無数のギェルマンが襲いかかる。
蔵人は一瞬だけ目を鋭く細めると一切迷わず長剣を逆手に持って後方に繰り出した。
レイピアがギーンと凄まじい音を立てて闇夜に舞い上がった。
蔵人の逆突きは狙い違わずギェルマンの胸元に埋没した。
素早く引き抜く。
後方から蔵人を襲おうとしていたギェルマンの実体を捉えたのだ。
腰を落としてやや上方へと横薙ぎに振るった。
本能的に防御しようとしたギェルマンの右腕が肘のあたりから両断され吹っ飛んだ。
ギェルマンが横倒しに転倒した。
勝敗は決したのだ。
「な、なぜだ。なぜ我がミラージュ・ダンスが……!」
魔術を使って幻影が敗れたのがよほどにショックなのかギェルマンは蒼白な表情で吠えた。
「安女郎を抱きすぎたな。香水のニオイがプンプンすらァ」
両眼を見開いたギェルマンは口元から血泡を吹きだすとくつくつと笑った。
「そうか、香水か。確かにこれは酷い臭いだ」
「ツキもなかったな。風が止んでなけりゃもちっと違ったかもな」
蔵人は長剣を薙いでビュッと血振りをするとギェルマンに歩み寄った。
「抜かせ。貴公の技は私より遥かに上だ……」
「首を貰う。それとな、教えてくれ。子飼いのバローズ三兄弟はどこに行った」
「バローズ三兄弟はロムレスの人間ではない。島の生まれだ……」
「島?」
「故郷の島に帰った」
蔵人は激しく舌打ちをした。頭目のギェルマンを討ってもバローズ三兄弟を逃がしては依頼を達成したことにならない。それではジル・ロートレックとの約束は果たされないことになる。
「面倒な……」
「ナディア、とかいったか。あいつらはあの娘を連れて、ブルトンに……」
「なに? ナディアはまだ生きているのか!」
「依頼者はやはり……」
「半年前、街の商人の娘を攫っただろう。報いを受ける時が来たのさ」
「そう、か」
さもおかしそうに笑ってギェルマンは目を閉じた。蔵人は確かに稀代の強盗紳士が死んでいることを確認すると首を取って持参した布に包み、長く息を吐き出した。
「やれやれ。終わったと思いきや、謎が増えちまったな」
「そんで、俺は賞金首のバローズ三兄弟を探してブルトン帝国のあるこの島までやってきたのさ。ふ、なぁに、俺ってやつは貴くてね。一度引き受けた依頼は最後までキチンとこなすのさ。サラちゃんよ。ま、俺みたいなイイ男前に惚れるなっていうのが無理だろうが、ひと晩程度なら遊んでやっても構わないぜ。もっともあとをウロチョロついてこられるのは勘弁だがな。俺ってばいつも独り身で軽くいきたいのでね」
「あの、お客さん」
「ンだよマスター。人がいい気分で女をあしらってるのに」
「お連れさん、先に支払ってとっくにお帰りになりましたよ」
「……」
「……」
「マスター、焼酎だ」
――気づいたならその時に教えてくれよ、と蔵人は男泣きに泣いた。