LV11「潜入」
ギェルマン一家のアジトは近かった。
シルバーヴィラゴ郊外から四半刻ほど歩いた果樹園のすぐそばにそれはあった。
完全な農村地帯である。
日はすでに落ち切っていた。
果樹園周辺の林は濃密な闇で包まれ鼻先を不意に摘ままれても気づかない暗さだ。
強い風が吹いている。
気温も低かった。
長時間外にいれば並みの人間では行動不能になりかねない。
低体温症になる恐れがあるのだ。
だが、日本から召喚されて二年以上冒険者としての経験を積んだ蔵人にとってはさしたる脅威でもなかった。
最初から適性があったのだろう。蔵人の身体は酷暑や寒気にもよく耐え、水を浴びたまま行動しても風邪ひとつ引かない眼瞼そのものであった。生まれつき過酷な生活を強いられているこの世界の人間や亜人と比べても、蔵人のタフさは群を抜いていた。土地の人間が恐れる生水を飲んでも腹を壊すことなく、わずかな食糧で半月は行動が可能の野獣に近い生命力に満ち溢れている。
「で、この先に居るのか。その野盗ってのは」
「へい。アイツらたまにきてはあちこちで奪った品を分けたりしているんで」
蔵人はアジトがある村の近くに着くと、名主に冒険者ギルドの書簡を手渡し協力を依頼した。
案内人の農夫は飢えたネズミのように痩せこけており酷く怯えていた。
「アイツらときたら、村の家畜や作物を盗んだり、若い娘や女房を攫ってその都度慰み者にしやがって。そのくせ、追討がかかると風のように逃げちまう。ええ、逃げ足だけは速いんでね。街の騎士さまたちも、空振りが続くと嫌気が差してもうロクに面倒も見てくれねぇんで」
「ギェルマン一家は村人をよく手にかけるのか」
「それが、そこんところがやつらの抜け目のねぇ周到なやり口で。乱暴を振るったり鳥や豚を盗んだりしても、人はほとんど殺さねぇんですよ。ほとんどね。あまり目立って人死にが出てないから騎士さまたちも本腰でやつらを捕まえようとしねぇ。盗賊どもに向かっていった村の若い衆が半殺しにされましたが、それからどいつもこいつもブルっちまって、もうまともにやつらを追い出そうってする骨のあるやつも村にはいねぇんですよ。けど、冒険者さま。でぇじょうぶですか? いくら腕が立つからって、あいつらは二十人以上いますよ」
「まあ、俺が言うようにやってくれりゃあ問題ナッシングよ。そんでギェルマン一家どもは絶賛いい気分で酒盛り中ってか?」
「ええ。どっからか娼婦どもを連れてきて、それはもういい気なもんで」
「うっし、行動開始だ。酒を運んだら後は俺が片付けてやらぁな。ビクビクするなっての」
蔵人はほっかむりをすると牽いてきた大八車に長剣を隠した。
車には村で集めてきた酒樽が満載されている。
むっとする安い酒精の匂いがあたりに立ち込めている。
蔵人が肩を叩いて促すと、農夫が意を決したように訪れを告げた。
「酒の追加でござい」
風が強いので怒鳴るように言わざるを得ない。農夫が三度ほど大声を出す。
しばらくすると、木製の扉が開いて中から赤ら顔の大男がヌッと顔を出した。
同時に室内からたけなわとなった酒宴の騒がしい音が響いてきた。
「おう、おめぇか。入れや」
大男は軽く周囲を見渡すと、特に警戒するわけでもなく農夫と蔵人を招き入れた。中は薄暗いと思いきや、滅多矢鱈に灯火がつけてあり明るかった。
――二十二人。あの真ン中にいるのがギェルマン男爵か。
宴の中央で下着姿の娼婦を侍らせ静かに飲んでいる男の風貌と佇まいから蔵人は判断した。
盗賊たちは運び込まれた酒樽を見つけると甲高い声を上げて、手に手に酒精を汲んでいった。
蔵人は農夫に合図を出して外に出す。
続けて酒樽を運び込む振りをしながら段差の部分でわざと転倒した。
「あいたー」
「なにをやってやがんでぇ。ったく」
いい感じに酔いが回っている男のひとりが苦笑いしながら戸口までやってきた。
「いやあ、面目ない。ところで、お仲間はここにいる方々だけで全部ですかい?」
「そうだよ。それがどうしたよ」
「いえいえ。ほかにいらっしゃるなら、御酒が足りねぇかと思いやしてね」
「ま、酒はいくらあってもいいんだが。何人かは外の納屋にいるぜ」
「その方々は……?」
蔵人が尋ねると男は下卑た顔で笑みを浮かべた。
「攫ってきた娘たちとお楽しみってやつよ。今日はよ、久々に街に入ってめぼしい娘どもを連れてきたのよ。どれも生娘でなあ。くくく、納屋に行ってみろ。もしかしたらおこぼれが貰えるかもしれんぞ。おれぁ酒のほうが好きだがな」
「へぇ」
蔵人は軽く頭を下げると口元に薄ら笑いを浮かべてみせた。
だが、眼から完全に感情が消え失せていた。
被り物と闇で隠された蔵人の瞳には鋭い刃のような冷たさが宿っていた。