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「オナラ死野の戦い、腸内フローラの乱」

第4話「オナラ死野の戦い、腸内フローラの乱」


 飾りっ気のないコンクリートの小部屋に机が二つ。


 事情聴取には遊び心やオシャレは必要ないと、必要最小限の道具が配置された此所はタロウのアパートから最寄りの警察署の一部である取調室だ。


 部屋の中央にステンレス製の机が一つと向かい合わせのパイプ椅子が一脚ずつ。少し離れた部屋の隅に調書係用の机で、部屋中央に背を向け耳を澄ます中肉中背の没個性的な巡査が座ってペンを走らせている。

 

 この調書筆記係の巡査の速記は、今まさにこの密室でタロウが発する本日3度目の証言を一言一句漏らさず記録している最中だ。


「・・・・・・だから、何度も言ってるじゃないですか!現場に不法侵入していた、そのナニマゲドンさんか知りませんが、捕縛対象だった不審者は、俺が手錠かけるまで・・・・・・えーと確か通報があったのが昨晩の午前1時過ぎくらいで、俺が現場に到着したのがその3~40分後くらいで、そんで俺が可能な限り速やかに屋上に直行したんで、まあ午前2時過ぎ前後にはその爺さんは生きてたはずなんです!」


 タロウは、部屋中央の机を挟んで向かい合い座って腕組みする中年刑事さんに若干焦り気味で証言をまくし立てていた。


 目の前の刑事さんは、セイジ・タバタさんと言う日系人らしい響きの名札を首から提げている地元の生活安全課のベテラン刑事さんとのことで、今回の不審者変死事件の担当に抜擢された。

 年の頃は40代半ばと言った風の少し白髪混じりの角刈りにスーツ姿で、緊急時に対応できる筋肉の鎧で武装した戦士でもある。

 

 事情聴取開始の挨拶からずっと丁寧かつ柔らかな物腰で、ただ少し困った表情でタロウに根気強く質問を続けている。

 

「タロウさん。私は貴方の証言を疑うつもりは毛頭無いので、金成ビルのオーナーが貴方の所属するダックス警備へ通報した時刻と、タロウさんの現場到着時間の証言は裏がとれているんで問題ないと見てます」


「なら、お話は終わりでしょう?」


 一秒でも早くこの場を去らないといけないタロウが取り調べ終了を願うも、目の前の刑事さんは人差し指を立てて話を続ける。


「しかし、一つだけどうにも腑に落ちないことがありましてね?不法侵入罪の被疑者死亡で報告書をまとめる流れで話で進めるべきか、それともタロウさんの業務上過失致傷で調べを進めるかで、話がわからない点がありまして、ご多忙のところ大変申し訳なく思いつつも、こうして重ね重ねお話を伺っているのですよ」


 セイジさんの長年の刑事としての経験と状況証拠からタロウが虚偽の証言をしていないと、タロウとの小一時間に及ぶ会話や仕草でなんとなく察しがついてる。


 ただ、現場で遺体として転がっていたアル・マーゲドン氏の司法解剖報告書によれば、アルの死亡推定時刻は昨晩の午前1時より前くらいとなっており、タロウが駆けつけた時は既に『虚血性心不全』でお亡くなりになっていたらしい。


 また、このアル・マーゲドン氏は、事件の一週間前に、全財産を自分の預金口座から引き落とし、かなりの金額の現金を叩いて、妙な文章が記された書類を何者かから購入していた。

 

 アル・マーゲドン氏の身元を調べると、ちょっとした魔術師で、占い師なども兼業の一般人と呼ぶには怪しい肩書きがつく上に、事件当夜は、アルの自宅には遺書などもなく自殺の為に屋上に侵入したとは思えなかった。


 第1発見者で警察を呼んだタロウとアル老人が揉み合いになり、なにかの拍子にアル氏だけ事故死したと片付けるのは容易い。


 だが、タロウが在籍する警備会社の出動記録と、ビルオーナーの証言が符号する一方で、業務上過失致傷の罪で送検されてもおかしくないはずのタロウの証言内容が、事故死の時間的矛盾点になっているのだ。


 慣れない環境で取り調べを受けるタロウ氏が取り調べ開始直後から見せる妙にソワソワした態度もセイジの目には不自然に映った。


 それもそのはず、取り調べを拒否できない立場のタロウだが、この密室と言う状況で、もしあの魔術が発動すれば、善良勤勉実直な警官が最低二人は天に召されてしまうのだ。


 自称・善良な市民のタロウとしては、罪を重ねないように、なんとか早く取り調べを終えて一人になりたいと焦っていた。


 タロウも好き好んである一点だけ隠し、差し障りのないような証言を続けているわけじゃない。


 タロウの色気のない腕の中で息を引き取った、オーマイガーなラストシーンのナニマゲドンさんか知らないハスキーボイスな爺さん。


 不幸な不審者の発見当夜の状態を馬鹿正直に時系列に沿って答えてしまったが為に、タロウの証言に矛盾が発生し、取り調べが妙に長引いてしまう悪循環に陥っていた。


「あの刑事さん、ちょっとだけ休憩入れていいっすか?逃げたりしないんで、一度個室のトイレに行かせてくれませんか?」


 タロウは、可能であれば人気のない換気扇付きの個室トイレに駆け込んで、一発『デス・スメル』を放って出直したいと、先ほどから肛門に全神経を尖らせ嫌な汗かきながら取り調べに応じている。


 これは正義の戦いだ。


 善良な警察官二人を、うかつで間抜けなタロウの愚行から守る戦いだ。


 一種の籠城戦と撤退戦を混ぜたような孤独に耐え忍ぶ苦しくも悲しい正義の戦いなのだ。


 と、長引く取り調べの合間に括約筋を鼓舞し奮闘中のタロウは、余裕のない頭でなんとか知恵を絞って、肛門は尚絞って、ダメ元で刑事さんにお願いしてみた。


 「ああ、これは失礼しました。職務に熱中してしまうと時間が経つのを忘れてしまうのが私の悪い癖でして」


 本当に間の悪い癖を持つ刑事さんだなと、タロウは比較的胸毛が少なめの胸の奥で毒づいた。


「個室のトイレは、この部屋を出て向かって廊下を突き当たりの階段近くまで行けばありますので、どうぞご自由に」


「そ、そうですか?で、では早速・・・・・・」


 デス・スメルを思わず漏らしそうになるも、寸ででこらえて立ち上がることに成功したタロウが、席を外そうとすると、セイジさんが「ああ、ちょっとお待ちください」と呼び止めた。


「いや、今日の取り調べは・・・・・・ここまでにして置きましょうか?タロウさんの証言と、こちらの事情が若干誤差があるのですが、人一人、目の前でお亡くなりになっていたのですから、貴方も少し混乱していたのかもしれません」


「は、はあ?」


 現在進行形で、絶賛混乱中の混沌たるタロウさんの腸内フローラの乱!もしくは尻狭間の戦い!


「後日、また取り調べを受けていただくことになるようでしたら、私からご連絡差し上げますので、本日はトイレがお済みになられたら、その足でご帰宅なさってくださって構いません。いや、度々同じ質問にお付き合いいただき、あいすいませんでした」


 柔和な笑顔を浮かべる刑事さんの言葉に心底安堵したタロウ。


 「そ、そそそそうですか!?じゃあ、まあ、なんか説明下手でこちらこそすみませんでした!トイレお借りしますね!じゃあ失礼しますー!」


 と、足早に、若干小幅な足取りで、渾身の力でオナラを我慢しつつ、取調室から退室すると、引きつった笑顔でセイジさんに別れを告げた。


 「今時の若いのはみんなあんなに挙動不審なのかねえ?トイレ借りるくらい気軽に言ってくれればすぐに聴取を切り上げたのに。なあサタケ?」


 セイジの部下で部屋の隅でペンを走らせていたサタケと呼ばれた巡査は、ペンを置き生活安全課の今年度上半期分のファイルを閉じて振り向くと「さあねえ?腹でも下してテンパってたんじゃないですか?自分も胃腸が弱いんであんな感じになることありますよ」と返した。


 知らぬが仏。

 

 タロウの生理現象に勝る理性と気力と体力と、今朝の炭水化物控えめの朝食に、二人の国家公務員の未来が救われたことに感謝してもらいたいくらいだった。


 後にタロウは、この戦いを『オナラ死野の戦い』と回顧したとかしなかったとか。






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