「天体衝突と変態衝突の因果関係」
第3話「天体衝突と変態衝突の因果関係」
「くくく・・・・・・この魔術さえあれば・・・・・・。この魔術さえあれば、太古の昔に起きた大絶滅に匹敵する破壊を引き起こせる!俺は終末の神になることができる!明日の朝日を拝むことなく人類史は今宵滅びるのだ!このアル・マーゲドン様が超絶隕石衝突呪文を唱えるだけで、愚かな有象無象どもに等しく死を与えることができるのだ!!!」
月明かりが見下ろすコンクリートジャングルを一望できる高層ビルの屋上。
黒マントを翻し不敵な笑みを浮かべる切れ長の目を持つ長身痩躯の男=アル・マーゲドンが誰に聞かせる訳でもなしに高らかと宣言した。
今まさに、邪悪な魔術師の強大な魔術と魔力の産物によって人類滅亡のカウントダウンが始まろうとしていた。
メテオインパクト。
アル・マーゲドンとやらが齢65までに稼いだ収入の大半をつぎ込んで購入した魔術の名前。
内容はと言うと、実にシンプルで、古典落語より遙かに長い呪文を唱え、術者の全生命力を最寄りの巨大隕石に魔力と同時に注ぎ地球に誘導し衝突させると言うもの。
今宵は満月。魔力が最大限になる日。アル・マーゲドンが厳かに全人類への復讐を果たすべく呪文の詠唱に入る。
「すぅー・・・・・・はぁー」
詠唱前に一つ深呼吸するアル・マーゲドン翁。
長く蓄えた顎髭がいかにも魔術師って感じを醸し出していて、深く顔面に刻まれた彼の皺一つ一つが、苦難と不運の連続の人生を物語っていた。
彼は、元々勤勉実直を地で行く、とても誠実な人物だった。
人類の明日を信じて魔術による社会貢献を夢見て修行し続けてきたはずだった。
しかし、社会は彼から老後の安心を保証するはずだった年金を奪った。
年金を納めた額より支給される額が著しく減額されていたことを知ったアルの失望は大きかった。
長年の努力を無知蒙昧な役人のゴミみたいなやっつけ仕事で穢されればアルでなくとも怒り狂うだろう。そして彼は狂ってしまった社会を一掃する魔術の行使を決断したのだ。
深呼吸から集中力を切らさず精神を統一する。今、アル・マーゲドンの魔力は宇宙と一体になろうとして、深淵で膨大なエネルギーの息づかいまで手に取るようだ。
この魔術の呪文は、まあ万里の長城の石垣を数えるような膨大な数の言葉を一句一言間違わず、深夜0時から日の出までの間に唱える必要がある。
「天の自由を謳歌する者よ。数多の星々の子等よ。我が願い。我が思いに答え・・・・・・」
アル・マーゲドンの詠唱は、毎日通ったカラオケスナックでの歌唱力により、渋く深みのある実に滑舌のよい発声で開始された。
高層ビルの所有者が不審者が居ると通報したとも知らずに。
◇◆◇
タロウさんはアルバイトで警備員の仕事をしている。
派遣社員の印刷工場勤務に不満がある訳じゃないが、何かを守る仕事と言う業界に興味があったから応募してみたら、若干ガッシリした体格のおかげで仕事が回ってきたのだ。
ただ、今朝のデス・スメル習得事件のことで、本当は今夜の警備の仕事は休暇願いを出すつもりだった。
ところが間の悪いことに、夜勤のシフトが組まれていたのと、今夜に限ってなぜか同僚がデートやら飲み会やらの予定で欠勤が相次ぎ、やむにやまれず仕方なしにタロウさんにお鉢が回ってきてしまった。
警備会社の上司は、タロウが面接を受けた時から実に熱心に社会貢献と警備の重要さを指導してくださり、アルバイト採用の件でもお世話になった手前、どうにも頼みを断り辛い相手だ。
「タロウくん悪い!君の実直さだけが頼りなんだ!バイト代に手当上乗せするから来てちょうだいかもーん!」
「・・・・・・はい、わかりました。だからその変な裏声でベッドに誘う感じやめてください」
タロウは一世代前の古びたスマホの向こうの上司が何かしなを作っているのを想像して、悪い人じゃないけど良い人でもないんだよなと嘆いた。
こうしてベッドインじゃなく出勤したタロウは、タイムカードを始業時間前にガチャンとして、なんとか警備員の制服姿になって格好がついた。
始業時間から数時間。
会社の更衣室や事務所を出入りする間や、出動要請が出るまでの合間、タロウのお腹の中にガスが溜まり続けた。
しかし、会社内でデス・スメルをこいてしまうと罪もない同僚や上司が天に召されてしまうので、肛門のすぐ内側に注意を払い我慢に我慢を重ねる他なかった。
そんなタロウの苦労を知ってか知らずか、狼男がよだれ垂らしそうな満月のせいか、管理物件の一つである、とある高層ビルの屋上に黒づくめの不審者が居ると、ビルのオーナーから通報が入った。
警報音の鳴り響く会社の詰め所を慌ただしく出動させられる羽目になったタロウ。
現場に向かう警備会社マーク入りの車が往く幹線道路を挟むのは、眠らないネオンが煌めく繁華街。
屋上に不審者とは自殺志願者の類いだろうか?
憶測で警備の仕事に入るのは危険だと上司は指導してた。
「こちらタロウ。マルヒトサンマル現着。これより不審者の確認をします。どーぞー?」
警備会社の所有するワンボックスカーからビルの入り口付近に降り立ったタロウは無線で本社の事務員さんに状況開始の連絡を入れた。
「・・・・・・現着了解。不法侵入者の人数が不明な為、場合によっては迅速に増援要請よろしく、どーぞー」
通報が入った時点では、相手は一人らしいが、こんなお月様が綺麗な夜に馬鹿やる手合いは狼男か変態と相場が決まっているので、現場の屋上を目指すタロウに緊張が走る。
「・・・・・・たくっ!下手にオナラも出来ない体調不良みたいな状態で出動するとか、最上階まではエレベーターが使えるけど、屋上に出るまでに上り階段あるじゃんよ。夕べの飲み食いしたビールやら芋料理やらの残りがまだお腹に残ってるから、どこか人気のない場所でこっそりぶっ放すかなあぁ~・・・・・・やれやれ。面倒事って重なるんだね」
タロウは誰が聞いてる訳でなし、己のうかつさと運の無さを呪いつつ、ビルの屋上を目指すことにした。
まずはカードキーをビルの通用口のチタン合板ドア横のタッチパネルに認証させ、一度警備システムを停止させ、タロウが不法侵入者と認識されないように手はずを整える。
タッチパネルの警告ランプが赤から青に変わり、監視カメラ以外の警備システムが沈黙すると、タロウは一般客が使用できない裏口のエレベーターに乗り込み、階指定ボタンの数字で一番上の階を入力した。
エレベーターは独特の浮遊感を一回挟んだ後に、静かな稼働音とともに、警備会社の制服と装備に身を包んだ勇敢なタロウを最上階まで運ぶ。
ややあって、「チン・・・・・・35階です」と電子的音階な女性の声でアナウンスされ、エレベーターの分厚く綺麗なドアが音も無く開く。
昼間は、タロウがうらやむ一流のビジネスマンが行き来する埃一つない綺麗なオフィスと言った場所だが、夜間は実に無機質な生命の息吹のかけらもない静寂の闇と非常灯の明かりが支配していた。
懐中電灯と物件地図を頼りに、屋上へと続く非常階段を見つけたタロウは、人気のない今こそお腹に溜まったガスを放出するチャンスと思い、お尻を突き出したポーズをとってみた。
が、この後に及んで、なぜか溜まりに溜まっていたはずの死のガスは、肛門の奥に引っ込んでしまったらしく、ウンともスンとも言わない。
「むぅ~・・・・・・出せる時出しておかないとやばいってのに。こうしてても埒があかない。屋上を確認するとしますか」
一人ごちたタロウは、放屁を諦め、渋々屋上へと続く階段を上ることにした。オナラも肛門の辺りから大腸の辺りに移動してしまったのかもしれない。
ビルの屋上へと続く階段は、火災などの有事には脱出通路になる重要な場所なだけあって、隕石でも衝突しないと破壊できないくらい堅牢に作られている。
また高層ビル故、上層階はビル風が強いので、屋上へ出るドアもまた堅牢にできている。
もちろん施錠はされているはずなのだが、今夜に限って、ドアは開け放たれて、吹き込む風に何やら不気味な音が混じってタロウの耳朶を煩わせた。
(なんだこの妙な歌って言うか男の声は?通報にあった不審者か?)
内側に開いたドアの陰から、慎重に屋上の声の主を覗うタロウの視線の先に、なにやら背の高い人物の陰が黒いマントを翻しつつ月明かりに浮かび上がっていた。
タロウは忍び足で、不審者の背後に迫ると、不審者は何やらムニャムニャとよくわからない言語を宣っている様子だが、こちらの気配には気づいて居ない。
とりあえず、不法侵入者には違いないので、タロウは長身痩躯の黒づくめの馬鹿を背後から羽交い締めに取り押さえに「確保ー!!!」と、飛びかかった。
不審者は完全に不意を突かれ、タロウの捕縛の腕の中で「むが!貴様!何する!邪魔するな!やめろ!」などと藻掻いた。
月明かりと街のネオンに浮かび上がった不審者の顔は老人のそれであり、しかし、年寄りとは思えない体力で抵抗に及んだ為、取り押さえようと頑張るタロウにも必要以上の力が入ってしまった。
するとどうでしょう?
あれだけウンともスンとも言わなかった肛門の内側に死のガスが押し寄せ「ブブウ!!!」と太く短く吠えた。
こいたタロウは捕縛作業に躍起になってて気づかなかったが、それは確かにタロウの尻から放たれ、ゴロゴロと揉み合いになる屋上の二人の周りを包む。
「・・・・・・むが!臭!ガハ!」
急に元気がなくなった不審者を取り押さえることに成功したタロウは、腕の中で白目をむいている顎髭が立派な老人の頬をペチペチと叩いてみたが、全く反応がなく、念のため老人の細い手首の脈を探ってみた。
シーン。
タロウは嫌な汗を垂らしながら、老人の胸に耳を当ててみた。
心の臓がシーン。
タロウは大まかに状況を察した。
「やっちまったああああああぁぁぁぁぁ!!!」
夜空が白み始めた頃、タロウの痛恨のミスによる絶叫が大都会のビル風に吹き飛ばされたのだった。