「法治と放置」
第10話「法治と放置」
「いやはや、暑い中ご足労願ってすみませんねえ。タロウさんもとんだ災難でしたな。まあ、座り心地はよくない安物のパイプ椅子ですが、おかけになって」
アル・マーゲドン変死事件の事情聴取を始めるに当たって、努めて丁寧かつ低姿勢で、しぼんだ布袋様みたいな柔和な顔で応対するセイジさんに促され、二度目とは言え慣れない取調室で着席することにしたタロウ。
「いや~。今回のことで仕事ができなくて、近所の草むしりくらいしかやることないんで、一日も早く事件解決ができるなら、俺で良ければ刑事さんのお仕事に喜んで応じますよ」
世間話を挟んで愛想笑いのタロウは、出来ればアンタの顔はこれっきりで見納めにしたいですよと内心思ったが、余計なことは言わず、うっかり密室で屁をこかないように肛門辺りに神経を尖らせながら、お尻に優しくないパイプ椅子に、そっと腰を下ろす。
「今回のちょっとおかしな事件の第一発見者であるタロウさんにそう言ってもらえて、私としても大助かりです」
警察の捜査に協力するのは一市民として当然の義務と信じるタロウ。物心つくかつかないかの子供の頃、迷子になったタロウさんに親切にしてくれたお巡りのおじさん(多分お兄さん)たちへのご恩も忘れちゃいませんとも。
「それで、何かわかりました?」
デス・スメルのことだけはお巡りさんと言えど嗅ぎ回ってもらいたくない、にわか魔術師もどき兼清掃ボランティア兼マッドサイエンティストことタロウ・ライトニング。要らぬ心配を胸の押し入れと大腸に押し込んで、机を挟んで対面に座ったセイジに尋ねた。
「あれから2~3、関係各所を調べて回ったんですがね?タロウさんがご存じなら、更に大助かりなんですが、魔術ギルドと言う組織があることが、先日の公園放火容疑で逮捕して拘留中のハナ・マーゲドンさんの供述で私も知りまして・・・・・・アル氏変死の翌晩、公園放火事件の晩は、タロウさんは何故、ハナさんとあの場所で一悶着起こしてしまったんでしょうか?」
いきなり痛いところ突いてくる見た目に寄らず鋭い刑事さんの言葉に、逡巡するタロウ。
デス・スメルのことをハナさんが白状してたら、タロウがこの場で嘘の供述をするリスクが跳ね上がるし、下手に本当のことをペラペラ話す訳にもいかず、ただ、セイジの言う魔術ギルドなる組織については何も知らないので、そこから警察側がどこまでハナさんを絞りあげたか探ることにした。もちろん、タロウは己の肛門を絞り上げることも忘れない。
「ええと。あの晩、公園に居たのは、ハナさんが義理のお父さんのアルさんの仇討ちだとか言って、挨拶もそこそこによくわからない行動で、周囲に火を点けまして・・・・・・いや、確か、魔力がどうたらと意味不明なことを口走ってたような気がします」
嘘の供述を回避しつつ、当夜の事実と知られてはいけない情報の取捨選択して、低学歴ながらしどろもどろと相手の出方を覗うタロウ。
「そうでしたか~・・・・・・ハナさんと、その養子縁組だったアルさんが、実は表向きは占い師で通っていたのですが、裏では世間を騒がせる魔術師の関係者だと、私どもの調べでわかりましてね」
「そ、そうなんデスネ~!?」
自分も魔術師ですとは言えず、妙なイントネーションで偽外国人風日本語で相づちを打つ白々しいタロウ。どこの生まれだタロウ。木の股以外だろうけど。
「タロウさんがダックス警備のお仕事で、事故現場を訪れた際に、アルさんはお亡くなりになっていたのか、生きてて何かやらかしてたのか、そこがまだ調べている途中なんですが、重要参考人としてお越し願った以上、内密でお話しますが・・・・・・タロウさんが遺体発見の通報を入れてくださったあの晩、アルさんは何か恐ろしい魔術の儀式の真っ最中だったらしいんですよ」
ん?なんか雲行きが怪しくなった上に、また魔術とか胡散臭い世界の扉を開いてしまう流れですか?
どうやら現時点で、ハナさんはタロウのデス・スメルのことは警察に漏らしてないっぽい。
もちろん、タロウもデス・スメルを漏らす訳にはいかない。現在進行形で。
それどころか、タロウの内緒の魔術で事故死させてしまったアルさんの事件当夜の行動に対し、警察の捜査の目が注がれている風だ。
「あの、刑事さん。つまり、俺の始めに言ったドンドコドンとか言う爺さんが、あの晩、生きて何かやってたって供述が正しいってことになるんですか?」
「そこなんです。いや~、刑事なんて因果な仕事してると時々こういう頭の痛くなる事件てのに出くわすことがありまして。アルさんは確かに午前0時から少し経ったくらいで既に病死していることになっているんですが、まあ、私もまだまだよくわからない分野の魔術関係の事件てのが、今回の捜査の壁になってまして。参ったもんです」
「と、言いますと?」
セイジが少し困った顔で捜査の矛先を教えてくれたのは良いが、セイジの捜査の壁と言うものがタロウの現状に吉と出るか凶と出るか不安が過る。デス・スメルを密室の空調に過らせるワケにはいかないが。
「先ほど、お話した魔術ギルドですよ。あれには、ほとほと参りました。ほら、一種カルト教団みたいな法の網の目くぐり抜けるような団体でして、現公法では捜査令状も発行できなければ、事情聴取に責任者を呼ぶこともできないんですよ」
どうした国家権力!そんなやばい団体野放しにすんなよお巡りさん!いやお巡りさんのお給料の元を納めている市民として頭の中だけで一応突っ込み入れてみました、はい、続きをどうぞ。
「魔術ギルドのトップの本名すらわからない始末です。それで、私も数少ない手がかりのタロウさんにお聞きしてみた次第です。その・・・・・・ハナさんはタロウさんをどうやって、たった一日足らずでアル氏遺体の第一発見者であると探り当てたんですかねぇ?」
「う~ん。いや、俺もよくわからない言葉なんですが、『まりょくそくほう』とか言う携帯のメールみたいなので、俺を見つけたとか言ってました。他にはハナさんに逆恨みされてるくらいしか聞いてないです。刑事さんの捜査で、そのよくわからない技術についてハナさんは何か変なこと言ってませんでした?」
変な即死魔術をこくの厳禁な密室で、タロウは馬鹿こくでねえよと田舎のじっちゃんの台詞が聞こえた気がした。
人生と言うのは、課題を乗り越える時は、チェスの駒を一手一手対策を打つのが良い。
一手間違えただけで、タロウの人生は被害者と加害者のどちらかに転がるかわからない危ない橋を渡るようなもんだ。どうせ渡るなら、人生の谷間に架かる橋を補強する必要がある。既に、ひび割れだらけの石橋な感じではあるが。
タロウにとって、この取り調べが分水嶺だ。他殺か事故死か、どちらに下る川なのかの分け目なのだ。
ハナさんがデス・スメルについて何か警察に漏らしてないか?と、術者本人の尻が何も漏らさないように、知恵と肛門を絞る。ああ、パイプ椅子の安いクッションがタロウの尻に優しくない。
「そうですねえ。捜査内容は明かせませんが、ハナさんの言う『魔力』と言うものは、それを扱える能力者にとって花の香りがミツバチを引き寄せるように・・・・・・」
と、セイジさんが手に持ったボールペン先でミツバチが飛ぶ様子を、空いた左手を花に見立てて動かして見せる。
「例えば、何か大きな魔術を行使した人の気配や特有の個人情報の送受信の媒介になる性質が『魔力』なるものにあると、魔術ギルドが過去に起こした暴力事件などの関係者周辺の聞き取り調査でわかっております。と言うことは、魔術師には一般人が携帯電話を使う感覚で、相互に情報交換することを『魔力速報』と言う特殊な手段を、タロウさんが今おっしゃった様子で利用しているみたいですな」
ここまでの警察側の調べを整理してみると、デス・スメルは魔力を消費しない魔術なので、アル変死に関してハナさん自身に有利になるような魔術師サイドの供述はできないのかもしれない。
安い買い物で大損こいて、アル変死事件の晩に死の香りをこいて、しかし、ここに来て魔力要らずのお手軽魔術なデス・スメルのオンリーワンな特性が活きてきた。
死の魔術師になってしまったタロウだったが、土壇場で死中に活路を見いだせるかもしれない。
セイジがお手上げな今回の事件を穏便に、事故で片付ける流れが作れるかは、お馬鹿でうっかりさん属性のハナさん次第。
「・・・・・・あの。刑事さん。ハナさんと少しお話させてもらえませんか?」
「ふむ。親の仇とタロウさんを狙ったハナさんに会わせるのは少々危険かもしれませんが、凶器のステッキは押収してありますし、そうですねぇ。何か事件解決の糸口になるかもしれませんので、ハナさんと面会してもらいましょうかね?」
一つ頷くと、セイジは、サタケにハナを留置場から連れてくるよう指示を出した。
「それと、一回トイレ行かせてください」
タロウはデス・スメル処理も忘れず注文した。
「ええ、構いませんよ。タロウさんもトイレが近いんですかね?私も歳のせいか、夜、トイレが近くて困ってまして・・・・・・」
就寝中に尿意ドンなセイジさんのぼやきを背に、取り調べを終えたタロウは小幅な足取りで、署内のトイレへ急いだ。