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「かもしれない運転」

第一話「かもしれない運転」


 何気ない日常の繰り返しは果たして楽しく明るい人生と呼べるのか?


 齢30を過ぎて、ある程度、世の中を見渡せる知識や経験を積んだつもりでも、具体的に自分のレベルアップを実感するには、自分より能力の高い人物と対話するか競技などで勝敗を決するか、何らかの物差しが必要である。


 幸か不幸か、不肖、私=タロウ・ライトニングは鋭い響きの姓と役所の記入例欄に載ってそうな名に若干のコンプレックスを抱きながらも、特にこれと言って宿命のライバルとか運命の恋人とか親の敵とか、諸々背負わされることなく、派遣社員としてほどほどの収入で月に一度の贅沢をお酒に費やしております。


 ビールの本場ドイツから輸入されたラガーは最高のひとときを提供してくれるので、お酒に不満があるわけじゃありません。


 ただ、飲酒している自分が少しだけ日常の憂さから逃避しているようで、一流のビジネスマンやアスリートたちをテレビやネットで見るにつけ、劣等感を助長する行為と感じるくらいの向上心は持ち合わせているのです。


 そんなタロウさんにもなけなしの向上心をくすぐる転機が訪れました。


 近所にマジックショップが開店したのです。


 ちょっと冴えないおっさんでも、マジックの一つも披露できれば、少なくとも宴席で幾らかいい気分を味わえるかもしれないし、ひょっとしたら自己紹介の時に特技はマジックですと胸を張って言えるかもしれない。


 昔、自動車教習所で『かもしれない運転』が大事ですと習った。


 大きな事故を回避するには人生全般において『何かあるかもしれない』と仮定して、未来予想図を頭に思い浮かべる習慣が大事です。


 タロウさんの指折り数える程度の素養に『即断即決』と『好奇心旺盛』と言う2点が挙げられる。


 噂のマジックショップはタロウさんの住むアパートから徒歩5分。駅前から少し離れた閑静な住宅街に建つ雑居ビルの二階の奥。

 貸店舗部屋にて深夜午後10時から翌朝午前5時まで営業中とのこと。


 マジックと言うのはタネを周りの人間にばれないように仕入れて習得するところに意義がある。


 今日は給料日。


 普段であれば、生活費を抜いたお金はお酒に化ける定め。


 くたびれた作業着を入れた、くたびれたリュックサックを背負う、くたびれた若者と言う、くたびれたがオンパレードの客でも受け入れてくれるのが、居酒屋と雑居ビルと言う敷居の低い感満載の建物。


 仕事帰りにラガービアをひっかけて、ほろ酔い加減でマジックショップの入り口に足を踏み入れたのは、泣く子が騒ぐ丑三つ時だったかそのくらいの頃合い。


「すみませーん。ワンコインで誰でもできる簡単なマジック一個ありませんかー?」


 タロウ。


 カプセルトイを買う子供じゃないんだから、向上心にはもう少しお金をかけようよ。

 

 と、天の声も空しく悟りの境地にほど遠いタロウの脳内に届くはずもなく、しかしマジックショップは懐が深く客を選ばない多様性を孕んでいた。


 店内は、ところ狭しと何やら得体の知れないラベルの小瓶や巻物、ハードカバーの古めかしく分厚い鈍器に近い本、中国の仙人とかが持ってそうなデザインの長い杖、不思議な模様の札束、ドクロのオブジェ、黒いマントやら怪しい売り物が陳列されている。


 値札に記載されたお値段はピンキリで、タロウの生活費三ヶ月分以上のものも散見される。


 店の奥のレジカウンターの更に奥。紫のビロード光沢のカーテンを掻き分け、客の声を聞きつけ颯爽と現れた一人の黄色で統一されたタキシードの珍妙な紳士が店主のようだ。


「ようこそ当マジックショップへ。おや、初めてのお顔ですな。昨日、折良く入荷したこちらの超レアな魔術などいかがですか?その名も『デス・スメル』と申しまして、ちょっとした日々の食生活の改善で、誰でも簡単に習得できる上に、現時点でオンリーワンな初心者向け魔術でございます」


(デス・スメル?)


 直訳すると『死の香り』だが、タロウが幼少期に視た海外のスパイ映画サブタイみたいなマジックは確かに初耳だ。


「あのー・・・・・・。ここってマジックショップですよね?ちょっと面白い程度の簡単なマジックを一個買おうかなって来てみただけなんスけど」


 不穏な字面の商品名に怪訝な表情を浮かべるタロウに対し、店主は満面の営業スマイルで「ええ、もちろん!当店は魔術ギルドに正式加盟している合法で業界一位の品揃えを誇るマジックショップでございます」と答えた。


「すみません。お店、間違えました。失礼します」


 魔術云々の眉唾ものな世界に興味はない!

 

 人を呪わば穴二つと言うテロップが脳内に流れ、嫌悪感からげんなりした顔で踵を返そうとしたタロウの右肩を、店主の粘着テープで出来ているんじゃないかって握力の右手がムンズと掴んで引き留めた。


「まままま!お待ちくださいお客様!魔術初心者の方は、大体、皆さん同じような反応で毛嫌いするもんです!まあまあまあ騙されたと思って!ワンコインで貴方だけの超魔術がゲットできるチャンスを逃す手はないですよ!」


「ちょっと!気安く仕事で疲れた肩を鷲づかみにしないでくださいよ!自慢じゃないが俺は無神論者で、神も悪魔も知り合いに居ないノーマルで善良な市民なの!悪いが胡散臭い商品にお金は出せないよ!」


 自称・善良な市民ならば、定職に就いて妻を娶り家庭を支え、やがては孫にお小遣いをせびられるのが、あるべき市民像だろうが、悲しいかなタロウはその道に至る人脈も金脈もございません。


 しがない一般庶民でも誰かをあっと言わせてみたいと願うタロウだからこそ、飲み代のお釣りで夢見ようと、この店に足を運ぶに至ったのだ。


「ああ、お客様!人生にささやかな刺激と喜びを広める魔術世界を全否定されるとは!お客様!たったワンコインで夢のような素晴らしい世界が待っているのですよ?」


「俺は手品を買いに来たの!魔術は要らないって!」


「そうおっしゃらず!ファイヤーボールとかアイスバレットとかありきたりな攻撃魔術でなく、世界で一つだけのオンリーワン超レア魔術がワンコインで習得できるのです!初めてはみんな通る道!赤信号、みんなで渡れば怖くないって昔の人もおっしゃってました!当店珠玉のこの一品!この出会いプライスレス!」


 嫌がる客にも何かお金を落としていってもらおうって言うスタンスは商売人として基本だろう。


 開店したてでお客さんを逃がしたくない気持ちもわかる。


 仕事で疲れているし、断る手間でせっかくの酔い心地が覚めそうだ。


「----わかった。買うから、その手を離してくれ!」


「毎度、ありがとうございます!」


 妙に押しの強いマジックショップ店主の売り口上に押し切られた形で、お店のある雑居ビルの階段を降りるタロウさんの手には、オンリーワンでお手軽で初心者にも習得できる『デス・スメル』が入った紙袋が握られていた。


(まあ、どうせワンコインだし。オンリーワンって言葉は悪い気分じゃない・・・・・・と、思う)


 たかがワンコインの商品にオンリーワンで商売成り立つのか、甚だ疑問だが、この時のタロウさんはまだ知らなかった。


 『デス・スメル』に対して『かもしれない運転』ができていなかったことに。








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