92話 呪われた微笑み
名無しが中央教会の窓を吹っ飛ばし、ライアンを連れ出したことから、教会は混乱に陥っていた。
「僧兵を率いて下手人を捜し出すべきです!」
「いや、元はライアン様は火種でしかなかったのだ。自らいなくなってくれて良かったではないか」
「ローダック王国に報告はいったのか」
「いえ、まだ保留しております」
大会議室で高位僧たちがああでもないこうでもない、と話し合いを続けている。
この僧たちも後ろ盾の国や立場がそれぞれ違う。統一した意見が出るわけもなかった。
彼らは意見を飛ばしながら、チラチラと教主の方を見ている。
最高位であり、最大の権力を持つ彼の意見ですべてが決まるのだ。
「……ローダックに密使を出せ。だがそれ以上はするな」
「教主様……」
「我々は聖女エミリアの還俗と嫁入り仕度を優先するべきだ。おおかた今回の騒ぎも、それを妨害しようという動きだろう」
「そうですな。王国からの莫大な持参金の方が大事です」
「寄付……と言っていただきたい」
「これは失礼」
それらの男達の密談の内容は、何一つエミリアには知らされなかった。
「エミリア様」
カーラは日暮れからもう何時間も窓辺に座っているエミリアを心配して、恐る恐る声をかけた。
「……大丈夫よ。私は大丈夫」
その視線に気づいて、エミリアは顔をあげてカーラに微笑みかけた。
そして手の中に握り込んでいたブローチを持ち上げた。
「アルがいるもの」
愛おしげにそれを見つめるエミリアに、一時の弱り切った姿はもう見る影もなかった。
カーラはあの黒衣の男のことを思い出して、涙が出そうになった。
「カーラ、私は例えこのままあの男に嫁ぐことになっても大丈夫よ」
「エミリア様、そんなことおっしゃらないでください」
「大丈夫、アルも私を信じてくれているから」
ここまでエミリアの強さを引き出すアルとは、どんな男なのだろうとカーラは考えた。
あの爆発後の一瞬ではわからなかった。
いつか――ゆっくりと話がしてみたい。
だが、今は目の前のエミリアを守り抜こうと心に誓った。
「顔はお止めくださいと申したはずです」
アーロイスの取り巻きのフェレール大臣は何度目かになる苦言を口にしていた。
アーロイスがまた気晴らしに肉人形を殴っていたからだ。
暗殺を恐れるアーロイスの代わりに彼そっくりの顔をして自我を持たぬ死体から作ったこの呪われた人形は、そうそう作れるものではない。
また術士に法外な請求をされるのはたまったものではないとフェレールは苦い顔をした。
「この顔を嬲ると胸が空くのだ……」
「ご自分と同じ顔ではないですか」
顔をあげたアーロイスはくるりとフェレールの方を見ると、にやりと笑った。
「だからいいのではないか」
悪趣味な……とフェレールは胸の内で思うが、顔にはつゆほども表さない。
アーロイスは愚かで良い、臆病であればなお良い、そうであるほど自分が操りやすいから、と彼は考えていた。
「ご報告が二つほどございます」
「なんだ、言え」
「中央教会から、ライアン様が攫われたとの報告がございました」
「……ほう」
アーロイスの顔が引きつった。
アーロイスにとって血縁とは、驚異である。だから手を回し排除してきた。自分が上に立つために。
その張り巡らせた蜘蛛の糸をすり抜けていったのがライアンだ。
「ただいま行方を探しております」
「……では、見つけ次第殺せ」
「よろしいので」
アーロイスは身内を陥れはしてもギリギリその命までは奪っていなかった。
それは王位簒奪の汚名を被らないようにするためでもあったが、アーロイスの理性がそれを押しとどめているのだとフェレールは思っていたからだ。
「あのガキは元より嫌いだ」
祝福され、愛された子供。
アーロイスはライアンの顔を思い出すたびに胃がムカムカする。
それが自分の驚異になるのであれば、排除するのに躊躇いはなかった。
「かしこまりました。それと、例の花嫁の件です」
「ああ」
「二週間後には還俗させ、こちらに参ると」
「……わかった」
これで体制は整う。あとは父王と兄の王太子が『病に勝てず』死ねば、この王国は自分のものになる。真の玉座に手が届く。
「完璧だ」
アーロイスはその甘美さに、うっとりとした笑みを口に浮かべた。
8/5に次回更新できるようがんばります。
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