91話 少年の決意
リュッケルンの街から一頭の馬が駆け出して行く。
手配の回るまで、なるべく遠くまで逃げるのが先だ。
「アル、これからどうする」
「落ち合う場所はもう決めてある」
馬の体力の持つところまで進んだ二人は、小川で小休止をとった。
馬に水を飲ませ、自分たちも顔と手を洗った。
ライアンは、それでも火薬くさい匂いがまとわりついている気がした。
「……良かったのか? エミリアを連れていかないで」
「二人いっぺんには無理だ」
「それで私……なのか」
ライアンは戸惑う。ライアンの問題は、彼には関係の無いことだという思いがある。
しかし名無しはいつもの表情に乏しい顔で答えた。
「エミリアを攫ってもお尋ね者になるだけだ。俺とエミリアだけならそれでもいい。しかし、村では暮らせない。俺は村に大切なものがあるんだ」
「……」
「エミリアの行く先はわかっている。それまであいつは待ってくれるさ」
そんな選択をせまられた時、自分は冷静にそれを選び取れるか、と思った。
しかし、やらなければならないだろう。ライアンはいずれ王になるのだ。
その王座は今、実質アーロイスの手にある。
――取り戻さなくては。
ライアンは拳を握り混んだ。
***
「見えた」
名無しは小さく呟いた。
「ライアン、あそこだ。あそこで皆待っている」
「まさか……」
名無しの指さす方向を見て、ライアンは息を飲んだ。
ここはカーリントン平原、その平原に馬と天幕、そして……兵士がいる。
まるで戦でもはじまろうかという風景だ。
「イライアス・ファリントン大臣の領地だ……まさか」
「そのまさかさ。行こう」
二人は馬を進めた。
黒づくめの男と少年。奇妙な二人連れの姿は見張りの目にすぐに止まった。
「ライアン様!」
大柄な体を転げそうにしながらフレドリックが走ってくる。
「フレドリック!」
ライアンも気がついたら駆けだしていた。
平原の真ん中で二人は抱き合い、久しぶりの再会と無事を確かめ合う。
「わっ、フレドリック! 泣くな!」
「そうなんですが、止まらんのです……」
「もう」
名無しはうっすらと笑みを浮かべて、その様子を見ていた。
「アル、重要な役目をありがとう……」
「いいさ。約束の褒美を忘れるなよ」
それからようやく涙が止まったフレドリックとライアンと名無しは、中央の天幕へと向かった。
「やあ、ライアン様。ご立派になられて」
「イサイアス。これはあなたの仕業か」
中で待っていたイサイアスは、ライアンにそう問われてニヤッと笑った。
「そうですとも。表向きは軍事演習となっております。我がファリントン家の私兵だけではありません。アーロイスの王位簒奪行為に意を唱える者が集まり……軍勢の数はおよそ五千」
領地を持つ貴族が通常抱える兵力は三百程度だ。イサイアスが大貴族だということを差し引いても膨大な数だ。
ライアンはごくりと喉を鳴らした。
「ライアン殿下。あなたにはこの軍勢の総大将となっていただきます。覚悟はよろしいか」
常日頃一緒にいたフレドリックと違い、イサイアスとは顔見知り程度だ。
信じられるか。裏切られれば、それは死を意味する。
「覚悟はもとより出来ている。そこのアルが中央教会の窓を吹っ飛ばした時からな」
ライアンはそう答えた。
イサイアスは満足そうに頷いたが、フレドリックは顔色を変えて名無しに掴みかかった。
「お前そんな乱暴なやり方で……!」
「別に指定はなかったからな」
結果が全てだろ、と言われフレドリックはぐぬぬ……と悔しそうに手をひっこめた。
「とにかくもう後戻りはできないということだな。ここにいる者こそ、覚悟は出来ているのか」
ライアンの固く緊張した声が天幕に響いた。
「もちろんです、ライアン様」
フレドリックはすぐにそう答えた。彼の忠誠心を以てすればそう答えるのはわかりきっている。イサイアスはこの軍勢を用意したのだ、聞くまでもない。問題は……。
ライアンは名無しをじっと見た。
「俺はライアンに勝ってもらわなきゃ困る」
「なるほど……もし負けそうならお前は逃げろ」
「いまからそんなこと言うな」
「では……私が怖じ気づいて逃げ出しそうになったら、私を殺してくれ……アル」
名無しは無言で片眉を上げた。
フレドリックはそう決意を吐き出したライアンの細く、小さい肩を抱きしめてやりたかった。
こんなこと、十一歳の子供に本来言わせてはならない。
だが、その重責を強いたのは自分たちなのだ、と歯を食いしばった。
「……いいよ。約束しよう、ライアン」
名無しはしばしの沈黙の後、ライアンの言葉に応えた。




