87話 翻弄
「落ち着きましたか」
「ええ、ありがとうカーラ」
「それにしても暴漢まで現われるなんて……ひどい話です」
「……人の心は分からないものね」
エミリアはただ、少しでも多くの人を救いたいだけだった。しかし、現実はどうだ。
エミリアの強力な回復魔法を求めて多くの人が殺到し、より混乱を深めているように見える。
「それでもやるしかないわ、カーラ。この病がおさまるまで」
「……あまりご無理をなさらぬよう」
「ええ。まだ早いけどもう休むわ」
そう言ってエミリアはベッドに横になった。その姿を見守っていたカーラは静かにランプの明かりを消し、部屋を出て行った。
「教会の犬め!」
血走った目をギラギラとさせて、男が剣をエミリアに突きつける。
「死ね!」
エミリアはその攻撃を躱す為に、聖壁を展開しようとした。しかし、なぜか手が震えて魔法が使えない。
「た、助けて……誰か……!」
ところが司祭もカーラも誰も側に居ない。
「どうやら見捨てられたようだな」
「そんなはずありません!」
「聖女なんて所詮教会のお飾りに過ぎない。お前が死んでも変わりはいるさ」
「なにを……」
その時だった、男が急に蹲った。
「……大丈夫か」
それはいつか見た黒装束の男。その手には見慣れた両手剣。
「……アル」
「俺はあんたを守る。だから安心しろ」
エミリアを罵っていた男はいつの間にか姿を消していて、真っ暗な空間にエミリアは名無しと二人っきりだった。
「来てくれたんですね……アル……うれしいです」
そう言ってエミリアが手を伸ばした、が何故か名無しに触れられない。
「なんで……? アル、どうしたんです!? アル!」
エミリアは叫んだ。押し殺していた不安感がエミリアを包み混む。
「アル……アル! ……あ」
その瞬間目を開いたエミリアは自分が夢を見ていたことに気が付いた。
「いまさらアルの夢なんて……」
あの中央教会の門をくぐってから、名無しには会っていない。
あのとんでもなく強くて、不器用な男のことを忘れたことはなかったけれど、夢に見るなんて……とエミリアは戸惑いを感じて頬に手をやった。
「きっと不安なんですね、私」
あの巡礼の旅の最中に名無しに守ってもらった安心感を、今求めているのかもしれないとエミリアは思った。
しかし、彼には彼の生活がある。
「どうしてるかしら……」
あの村で平和に暮らしているといいのだけれど、とエミリアは思った。
平凡な日々が彼の傷を癒やしてくれることを、エミリアは祈って彼と別れた。
彼女はそっと思い出のメダルを取りだして眺めた。
***
それからエミリアは何かを振り払うようにひたすらに人々を癒やす日々を続けた。
その奇跡を求める人と、外野の声はますます多くなっていったが、エミリアは構わなかった。
むしろそれを振り払うように治療を続けていった。
「エミリア様、休憩に入ってください。それと……なにか手紙が来ています」
「……手紙?」
カーラから手渡されたのは中央教会の紋章の入った手紙だった。
「なにかしら……」
それを開いたエミリアは顔をしかめた。
「何が描いてあるんです?」
「カーラ……私達に早く聖都ユニオールに戻れと」
「えっ!? そんな、まだ病人は居るのに……」
「教父様からの命令と……さすがに無視は出来ないわ」
「それは……たしかに……」
こうしてエミリアは後ろ髪を引かれながら、聖都まで急遽戻ることになった。
***
「ご苦労だった、聖女エミリア殿」
「……教父様、まだ治療は途中でした。私の回復魔法を頼ってあそこに向かって居る人も居たでしょうに……。こうしてまで私を呼んだということはそれ相応の理由あってのことでしょうか」
「ああ、とても大事な話だ」
「なんでしょう」
心当たりのないエミリアは首を傾げる。
教父はそんなエミリアをじっと見つめた後、おもむろに口を開いた。
「エミリア、いままでご苦労だった。君には聖女を引退して貰う」
「なっ……? 何故ですか? 私はまだ聖女になったばかりです!」
「うむ。しかし疫病地帯の慰問では暴漢にまで襲われたというじゃないか。無理をすることはない。……いい話があるんだ」
そう言って教父は微笑んだが、エミリアは嫌な予感がして内心身構えた。
「貴女にはローダック王国に嫁いで貰います」
「はっ?」
「以前お会いしたでしょう、ローダック王国のアーロイス殿下。今や摂政王太子であらせられる、その彼が是非貴女を妃にと」
「そんな……私は神に仕える身です!!」
「ええ、ですから還俗してもらいます。……お父様も喜んでいらした」
「……」
そこでエミリアはやっと気が付いた。急に許可された慰問はこの為の時間稼ぎだったのだと。
「嫌です! 私は聖女を辞めません」
「心配しなくても後にはアビゲイルがいますから、ご安心を」
「教父様、ご自分が何を言っているのかおわかりですか?」
「ええ。ですから教会の顔を潰さないでくださいね」
教父はまったく笑っていない目でそうエミリアに言い放ち、手を叩いた。
「聖女様のご退出だ! 少し取り乱しているようだから慎重にな!」
「離して! 離してください!」
エミリアは部屋に駆け込んできた僧達に取り押さえられ、そのまま自室に監禁されたのだった。
「なぜ……こんなことに……」
自分が聖女を辞して結婚を……? なんて馬鹿げたことだろう、とエミリアは唇が白くなるくらい強く噛んだ。
しかも相手はあのアーロイス。貼り付けたような笑顔の不気味な男。その男の妃になる……そのことを考えると、エミリアは震えが湧き上がってくるのを感じるのだった。
「……アル」
思わずエミリアはそう呟く。手元にあのメダルを引き寄せて、そっとなぞりながら、「助けて……」と呟いた。
その小さな声は、夜の闇に溶け込んで、名無しに届くことはなかった……。




