72話 彼の日常
「おーい、アル!」
「どうしたリック。ジャンヌが見つかったか?」
「それは……。違う違う! お前に客だよ」
「俺に……?」
「村の入り口で待つって中に入らないから呼びに来たんだ」
それを聞いた名無しは腰の小剣にそっと手をやった。
「分かった。そっちに向かう。ありがとうリック」
何者だろうか。組織の生き残りはもういないはず。王家の追手ならばわざわざ村の外で待つなんてややこしいことはしない。と、なれば考えられるのはただ一人である。
「アル……」
「やっぱりあんたか」
村の入り口に立っていた大柄な影はやはりフレドリックだった。
「何しに来た。もうお互い会うことは無いと思っていたが?」
「ああ……私もそう思っていた」
「用件を話せ。意外と俺も忙しいんだ」
名無しはフレドリックを促した。まだるっこしいやり取りはごめんだ。
「アル……お前が魔王の討伐隊に紛れ込んだ時の話を聞きたい……そしてある男に会ってもらいたい」
「……勘弁してくれよ」
名無しは首を振った。名無しが求めるのは今のこの村の暮らしで、ライアンとフレドリックの件については触れたくなかった。それはへたに触れれば自分の居場所を知らせることになりかねない。
「勝手な願いではあるがどうか断らないで欲しい」
「嫌だね」
フレドリックと名無しの主張は平行線を辿った。張り詰めた空気が二人の間を走る。そしてついにフレドリックは大剣を抜いた。
「別に歩いてついてこいとは言ってないのですぞ」
「……」
名無しも黙って二振りの小剣を抜き体の前に構えた。フレドリックが大剣を振る。それはその長さ、大きさから考えれば信じられない早さだった。
ここが戦場であれば一なぎで馬上の騎士を何人も輪切りにしただろう。……だが名無しはそれより早く切っ先を躱し、後ろに下がった反動で飛び上がった。そしてフレドリックの喉元を狙って剣を突き出す。
――ギイン
金属と金属のかち合う音。名無しの小剣をフレドリックの大剣が防ぐ。
「ぐ……」
単純に力比べとなれば分が悪いのは名無しである。名無しはフレドリックの肩を蹴り飛ばして距離をとった。
「やはり強い。隙が無い」
「ごちゃごちゃうるさい」
吐き捨てるように名無しは答えると、今度は自分から動いた。近くの木を足場に跳躍し、フレドリックの背後を突く。背中に押し当られた小剣。フレドリックはその感触に大剣を放り投げた。
「……手加減などしなくても良いのに」
「下手な恨みを買いたくないだけさ」
「……」
名無しはフレドリックの背中から切っ先を離した。そして丸腰となったフレドリックと向き合う。
「良い村ですな」
「ああ。貧乏だけどな」
フレドリックは村の様子を眺め、名無しに視線を移すとそう言った。
「娘さんがいるとか」
「爺さんもいる。ボケているけどな」
「……麦の収穫も間近……この村に反乱軍がやってきたらひとたまりもないでしょうな」
「……」
「いかにアルの剣が鋭くても大勢でこられれば被害はでるだろう……」
真っ直ぐにフレドリックは名無しを見たまま言った。黙ってそれを聞いていた名無しはとうとう口を開いた。
「そんな『どうしてもしたくない』みたいな顔をして脅してもなんにも怖くないぞ」
「……すまない」
しゅんと肩を落としたフレドリックを見て、名無しは思わず口の端を緩ませた。
「行くよ」
「……は?」
「無料じゃいやだけどな」
「ほ、本当に……?」
「ああ。だけどもうちょっと詳細を話せ。あんた説明が下手だ」
名無しはそう言うと小剣を鞘に収めた。フレドリックはあわててイライアスの考えを名無しに伝えた。
「分かった。三日あったら行って帰ってこられるか……」
「アル、ありがとう……」
「いや……」
名無しは感謝を口にするフレドリックからふっと視線をそらせた。この件は名無しになんの益もない。けれど……エミリアならきっと惜しみなく手を貸せと言うだろうと名無しは思ったのだ。
「人は支え合って……か……」
「アル?」
「いや、なんでもない。あんた宿は?」
「とっていない」
「ならうちに泊まれ。あんたにはちょっと小さいけどベッドはあるから」
名無しはそう言って先にスタスタと歩いていってしまう。フレドリックは慌ててその後を追いかけた。
「あ、パパ! ……そのお爺さんだあれ?」
村の外れの小さな家にたどり着いたフレドリックが、名無しをパパと呼ぶ少女が思ったより大きいことに驚いた。
「エミリアを送る旅で知り合った爺さんだ」
「こんにちは! クロエです!」
「あ、私はフレドリックです」
「宿が無いそうだから今夜うちに泊めるぞ」
「はーい、じゃあベッド整えてくる。随分使ってないし!」
そう言ってクロエが家の中に入ってしまうと、フレドリックは恐る恐る聞いた。
「あの子は……」
「あれが娘だ。実の娘じゃないけどな」
「そうですか……」
旅の途中に愛しげに語っていた娘が義理の娘と知って、フレドリックは驚いた。
「駄目かな」
「は?」
「俺があの子の父親じゃ、やっぱ駄目だろうか」
「いやいやいや!」
フレドリックの動揺が伝わったのだろう、名無しが振り向いてそう聞いて来たのでフレドリックはぶんぶんと首を振った。
「私も人の事は言えませんから」
フレドリックにとってライアンもまた、身分も血も違ってもかわいい我が子のようなものだった。他人だからといってそこに家族の情が生まれないなどとは彼には微塵も思えなかったのだ。




