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最強の暗殺者は田舎でのんびり暮らしたい。邪魔するやつはぶっ倒す。  作者: 高井うしお
第二章

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50話 氷のかけら

「……待たせてすまなかった」


 ようやく名無しが発した声は掠れていて、一同は今までにない名無しの様子に戸惑いを覚えた。


「とりあえず……浄化の魔法を。それから頬の傷も治しましょう」


 エミリアが名無しに近づき、その肩に触れた。途端、びくっと名無しは体を震わせた。


「アル……?」

「あ、いや……なんでもない。頼んだ、エミリア」

「ええ」


 エミリアの掌から溢れた光が名無しの体に降りかかった血糊をぬぐい去っていく。


「アル、少しピリッとしますよ」


 そう言ってエミリアは名無しの頬に触れた時、異常な程の皮膚の冷たさに驚いた。頬の傷の血は止まり、うっすらと跡を残すだけになったが、名無しの強ばった表情は変わらないままだった。


「……終わりました」

「ああ」


 エミリアの視線を避けるように俯いた名無しを見て、エミリアは固唾を飲んで見守っていたライアンとフレドリックに声をかけた。


「少し……アルと二人きりにさせて貰ってもいいですか?」

「あ、ああ……」

「行きましょう、ライアン様」


 二人が扉を閉めるのを見届けて、エミリアは名無しに向き合った。


「とりあえず座りましょう?」


 エミリアは名無しの手を取ってベッドに腰掛けさせた。その時、名無しの右手が不自然に握られている事に気が付いた。


「アル、何を握っているの?」

「あ……これ……」


 名無しはようやく掌を開いた。そこから切り落とした指が三本現れ、一つは床に転がり落ちた。


「……っ」


 エミリアは思わず悲鳴を上げそうになるのを堪えた。名無しはかがんで床の指を拾い上げた。


「落ちた……」

「誰の、指……ですか」


 驚きと単純な恐怖を押さえ込みながら、なんとかエミリアが息を飲みながら問いかけると、名無しはエミリアを見上げて答えた。


「これ? これか……バードのだ」

「バード……?」

「元の仕事仲間だ。そして俺を殺しに来た……あ、また落ちた」


 名無しの掌からまたバードの指が転がり落ちた。そう、名無しの手は細かく震えていた。


「これ、使ってください」

「……すまん」


 エミリアはハンカチを取りだして名無しに渡した。名無しがそこにバードの指を包んだのを見届けて、エミリアは名無しの両手を掴んだ。


「人を……殺してきたのですね」

「ああ……殺さないと無理だった。それに……あいつ……」


 そこまで言うと、名無しは口ごもり、また俯いた。


「アル、どうしたんです?」

「あいつは……死にたがってた……」

「そう……」

「だからって殺したかった訳じゃないんだ、エミリア」

「分かってますよ。アル。分かってます」


 エミリアは名無しの手をぎゅっと握って答えた。名無しは俯いたまま、ぽそりと呟いた。それは誰に聞かせるでもない小さな呟きだった。


「……分からん」

「なにがですか?」

「今まで何人も殺した。まして俺を殺しに来た奴を殺して……なんで」


 そこまで言って名無しは口ごもった。エミリアは名無しの手を優しくさすった。少しでもこの温かさが伝わればと。


「……怖いと思った」

「……そう、ですか」


 エミリアは責めるでもなく、ただひたすらに名無しの冷たい固い手を握り頷いた。


「アルは何が怖いのですか?」

「うん……それは……なんて言うか」


 その問いかけに名無しはしばし考え込んだ。うまく話さなくたっていい。そう思いを籠めてエミリアは名無しを見つめた。


「バードが言ってたんだ……自分は帰る所なんてないって……俺も、そう思ってた。そんな事が怖いなんていままで思わなかった」

「それは……」

「俺はバードみたいになるのが……怖い」

「大丈夫ですよ。アルには帰る所がちゃんとあるでしょう」


 名無しはその言葉を聞いて一旦頷いたが、すぐに首を振った。

「それだけじゃない。俺の殺してきた人間にだってちゃんと帰る所が……」

「アル!」


 エミリアは思わず名無しの肩を掴んだ。


「……ハーフェンの村の事を思い出してください。みんな優しかったでしょう?」

「それは……本当の俺を知らないからだ。……本当の俺は……汚い」


 エミリアはその言葉を聞いた瞬間、名無しを抱きしめていた。


「アルはそんな人間じゃありません!」

「……」

「アルはここまで私を守ってくれましたよね? 放っておいたっていいのに。そんな人が汚い訳ありません」

「でも……」


 肩の向こうで名無しがそう呟くのを聞いて、その言葉を遮ってエミリアは大声で叫んだ。


「私は! アルに幸せになって欲しいんです。いままで辛い事があった分! あの村で、笑って過ごして欲しいんです」

「……なんでそこまで」

「まだ分からないんですか? アルはもう私にとって他人じゃないんです!」

「……」


 エミリアは名無しの背にしっかりとしがみついた。そうでもしないと名無しが遠く知らないところに行ってしまいそうで恐ろしかった。


「……いくら聖職者でも……人間の手なんてちっぽけです。ですからこの手に触れた人は出来るだけ笑顔でいて欲しいんです……」

「エミリア……」


 名無しの肩をエミリアの涙が温かく濡らした。ずっと鼻をすすりながらエミリアは顔を上げた。


「それじゃ駄目ですかね……」

「いや……」


 名無しはエミリアの肩を掴んで上半身を起こした。そして今度は真っ直ぐにエミリアを見て言った。


「ありがとう」

「……いえ」


 その名無しの表情を見てようやく安堵したエミリアは、今度は凄い格好でベッドの上にいることに気が付いた。


「わっ!」

「どうした?」

「あの……その……駄目ですね! 聖女になるというのに泣いたりして!」


 途端に湧き上がってきた羞恥心に、エミリアはさっと立ち上がった。


「……ちょっとは落ち着きましたか?」

「ああ」


 名無しはそう言って薄く微笑んだ。エミリアはそんな名無しの額に手をやった。


「今度はなんだ?」

「アル、今から昏睡の魔法をかけます。今日はゆっくりと眠った方がいいです」

「だが……護衛は?」

「中央教会に伝令を寄越しました。これから到着しない方が不自然です。いざと言うときはフレドリックさんもいます。だから……」

「……分かった」


 名無しが頷くと、エミリアは微笑みながら昏睡の魔法を名無しにかけた。エミリアの手から発せられた光が名無しの頭部を包み混み、名無しはパタンとベッドに倒れ込んだ。


「……おやすみなさい。アル」


 エミリアは名無しの額にかかった髪をそっと直してやると、静かに部屋を出て行った。

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