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1人ワンライ企画

明の夜空

作者: 岬百

テーマは「遠い空」「憧れ」「生き物の声」です



ただひたすら暗い道を走った。

この道の先に何時たどり着くのか、そんなこともお構いなしに。


いつから走っているのか、そんなこともよく思い出せないのに、走らなきゃという気持ちばかりが前に出る。




思い返せば、くだらないことばかりだった。

両親は不仲、冷え切った家庭に体裁のためだけに産み落とされた俺。

当然のことながら愛情なんて欠片もなくて、何度死んでやろうと思ったかなんてわからない。


せっかくできた友人も、

「うちの子の友達に相応しくない」

その一言で遠ざけられる。


そんな年月を過ごしたせいか、俺の周りには誰もいなくなっていた。



それでも俺が死ななかったのは、全部、あいつと会うためだったんだって、今なら分かる。




大学を卒業し、両親のいる田舎がうっとおしくなって都会の会社に就職。

その時に出会ったのがあいつだった。


俺より三歳年下のあいつは俺の初めての後輩だった。

あいつは後輩とは思えないくらいふてぶてしくて、最初はお互いに微妙な気持ちで接していた。


けれど、あるプロジェクトを二人で任された時、この会議を通らなければ計画も全ておじゃんという、まさに佳境に入っていた会議の直前、あいつの唯一の肉親である母親が危篤状態になる、という事態に陥ったことがあった。


そのときのあいつは見たこともないくらい憔悴していて、思わず

「行ってもいいんだぞ」

と、声をかけたほどだった。


しかし、あいつは真っ赤に腫らした目で、こっちを睨み付けるようにじっと見つめたあと、

「薄情だといわれるかもしれない。でも、任されたものを放り出して駆けつけたところで、母は嬉しいなんて思わない」

そういって気丈にも会議に出席した。



その甲斐あってか会議は大成功を収め、計画の進行は確定。

一気に期待のプロジェクトといわれるまでになった。


会議が終わったあとのあいつは、普段の様子からは想像もできないくらいに弱っていて、俺はどうしても見ていられなくなった。

よくよく聞けば、彼女の母のいる病院は隣の県らしく電車の本数も少ない。

この辺でタクシーを捕まえようにも今日は金曜日で、どうしても込み合うため、どう向かえばいいのか分からないということだった。


その時に出た言葉は、我ながら信じられなかったのだが

「どうして俺に頼らない!」

だった。


俺はその後、あいつの手を強引につかむと、車に乗せ、そのまま夜の高速道路に飛び乗った。

車内は、時々あいつのしゃくりあげる声だけが響いていて、いやに静かだった。

気を利かせて音楽を流してやることすら、その時の俺には思いつかなくて、ただひたすら押し黙って車を運転した。



病院に着いたときには、もう夜中をすぎていて、あたりは静まり返っていた。

急いでかけていくあいつを病院の待合室で見送って、置いてあった自販機から缶コーヒーを買うと、椅子に深く腰掛けて、天井を見上げた。


初めてだった。

あいつのあんなに弱い姿を見るのは。

いつも憎らしいくらい飄々としているくせに、家族との絆は強かったんだな。


と、そこで初めて気がついた。

俺があいつをどうしても送り届けてやりたい、と思った理由。


それは、その柔らかな『愛情』ってやつを、少しでも傷つけずに守ってやりたかったからだった。

俺には一度として訪れたことのない愛情ってやつを、せっかく持っているあいつから少しでも損なわないようにしてやりたかったのだ、俺は。


いつからだろう。

頑固に仕事をこなそうとするあいつを見ていて、気づいた。

あいつが、倒れそうになっても、疲れていても、しんどくても頑張るのは、いつも誰かのためだった。

これを今日中に終わらせなければ、誰かの明日が大変になる。

これを今日中に終わらせなければ、仕事のために約束を破らなくてはならない人が出る。

そんな動機ばかりだった。


それを見ていて俺は、ああ、情ってこういうことか、とやっと分かったのだ。




病室からあいつが帰ってきたのは、何時間がたったあとだったか。

いつも身奇麗にしているあいつの顔は、化粧でぐちゃぐちゃだった。


思わず駆け寄って、あいつの腰を抱き、椅子に座らせた。

そうでもしなければ、あいつは今にも倒れそうだったから。



「先輩、今日は本当に、ありがとうございました」



そういって笑うあいつの顔は、いつものクールな笑い方ではなく、素直で、純粋な色をした無垢な笑顔だった。


その時の俺には、彼女の母親がどうなったのか、どうしても聞けなかった。

だから、彼女に言われるがまま、近くに建っているという彼女の実家に、ゆっくりと車を走らせた。


行きとは違って、後部座席から漏れ聞こえてくる声はなかった。

それが痛々しくて、行きには思いつかなかった音楽をかけることを思いついて、数分の道のりを音楽を聴いて押し黙って運転した。


ぜひ泊まっていってください、そういうあいつの表情がいつも通りなのが気になって、俺はあいつの実家に泊まらせてもらう事にした。

あいつの実家は昭和の香り漂う一軒家で、俺の実家とは違い、生活観にあふれた温かさのあるうちだった。


物珍しく思いながら上がらせてもらったリビングで、あいつはとうとう泣き崩れた。

ぼろぼろと大粒の涙を流して、嗚咽をかみ殺すこともせず、大声で泣いていた。

その顔を見ていたら、俺の胸は張り裂けそうなほど苦しくなって、気づけばあいつを抱きしめていた。

あいつは抵抗することもなく、むしろ、離さない、といったように、俺の服を強く握り締めた。


それからはずっと、おれはあいつの母親との思い出話を聞いていた。

大好きだった父親が交通事故で死んだこと、

悲しいはずの母が気丈にあいつを宥めながら、なれない仕事をがんばってくれたこと、

仕事が終わらないためあいつとの約束を破ることになるたび、母のほうが泣きそうな顔で謝っていた事。

俺には縁のなかった、温かい家庭というやつの話は、日が昇ったその後も続いた。




「あんなことに付き合ってもらって、本当にありがとうございました」


数日後、忌引き明けの時にあいつはそういって俺に頭を下げた。

また泣きはらした顔をしているんじゃないかと心配していたが、その時のあいつは妙にすっきりした表情をしていて、ほっとしたのを覚えている。


その後、微妙だった俺達の空気は親しみやすいものに変わり、気づけば、あいつと俺は付き合うようになっていた。

愛情を与えるのも受け取るのも不慣れな俺に、あいつはいつも根気よく付き合ってくれた。

ケンカも、たくさんした。


それでもいつしか、俺達は、一緒の家に住むようになり、そして、添い遂げようということになった。


俺の両親に報告に向かう前、俺はあいつに


「俺と両親は愛情もなにもない、家庭とも呼べないような冷え切った関係だ。お前と両親みたいに温かいところは何処にもない。そんな俺と一緒になって、本当にいいのか?」


と、尋ねた。

するとあいつは、


「今更何を言っているの?私とあなたで、温かな家庭を作るのでしょう?なら、なんの心配もいらないわ」


そういって笑い飛ばした。

そんなあいつを見ていて、やっと俺は認めることができたのだ。

あいつの持っている、あの温かさに焦がれ、憧れていたのだと。


そう気づいた時、知らず知らずの内に俺は涙を流していた。

あいつは一瞬だけ驚いた顔をした後、あの日とは逆に、俺を胸に抱き寄せてきた。

今までにも何度も抱き合ったことはあったはずなのに、その日のあいつの腕の中はいつもよりも温かかった気がした。




結婚一周年を迎えた日、家に帰った俺を迎えたあいつは上機嫌だった。

そして一周年の記念にネックレスをプレゼントした俺に


「私からもプレゼントがあるの」


と、写真らしきものを渡した。

それは、単調な白と黒で描かれていて、一瞬なんなのか俺には分からなかった。

そんな俺に笑ったあいつは、新しい家族の写真だ、と満足そうに言った。


それを聞いた後、俺の手はかすかに震え始めた。


不安だった。

両親からの愛情を知らない俺が、自分の子どもを素直に喜べるのか。

けれど、実際にそれを手渡されてみれば、俺の胸は言い表せないようなものでいっぱいになった。

喜びで、はち切れそうになった。


それが分かった安心と、新たに加わる新しい命への感動が一気に押し寄せてきたせいか、俺はまた泣いていた。

結婚を決めたとき以来の俺の涙に、あいつは呆れた顔をしていた。

でも俺は知っている。

その時のあいつが、一瞬安心した顔で笑ったことを。


きっと、俺の不安に気づいていて、俺に喜んでもらえるかあいつも不安だったんだろう。

心配をかけて、悪かった、ありがとう。

そう、今すぐ言いたかったけれど、涙があふれてどうしても言葉にならなかった。




その後は、心配の連続だった。

悪阻がひどかったらしいあいつが一日中気持ち悪そうにしていたり、

食べると余計気持ち悪くなるタイプの悪阻だったせいでどんどん痩せていくあいつを見ていたり、

ただでさえ細くなってしまったあいつの腹が大きくなってふらつく度、俺は思わず駆け寄ってあいつを抱きしめてしまうようになった。


心配のしすぎだ、とあいつはいつも笑っていたが、俺はそうは思えなかった。

大昔ほどではないにしろ、出産は命がけの行為だ。

なにしろ、新しい命を生み出すのだから。

そう思うたびに、感謝と、底知れぬ心配がない交ぜになって苦い表情になる俺に、あいつはいつも楽しい未来の話をするようになった。


この子は男の子か女の子か、

生まれたらなんて名前をつけようか、

あそこに連れて行ってあげよう、

あれを買ってきてあげようか、

将来なにになりたいというんだろうか。


そのたびに単純な俺はすぐ不安なんて忘れて、あいつと希望のある未来を描くことに夢中になった。




気づけば、出産予定日まであと一ヶ月、といった今日。

会議を終えた俺のスマホには、大量の留守番電話がかかっていた。

何事だろうと急いでおりかえすと、それは病院からだった。


それは、まだ出産予定日までは遠いが、あいつが産気づいたという連絡だった。

俺は悲鳴を上げるような声色で上司に声をかけると、鞄をひったくるように持ち上げて会社から走り去っていた。


くしくも今日は金曜日。

数日前から愛車を車検に出していた俺はタクシーを捕まえることは諦めて、終電間近の電車に滑り込むことにした。

ぎりぎり捕まえた電車のなか、始終ソワソワとしている俺を周りは怪訝に見ていたが、その時の俺には気にしている余裕などはなかった。


やっとこさ病院の最寄につくと、バスはもう動いておらず、タクシーも一台も止まっていない。

そう気づいた俺は、いつの間にか病院目指して駆け出していた。



革靴の立てるカツカツという音が、暗い空にまで響き渡る。

しばらくまともに運動をしていない身体が悲鳴を上げるが、俺はお構いなしに走った。

少しでも早くつきたい、その思いからか苦痛は遠くの世界のことのようで、全く気にならなかったのだ。


こじんまりとした病院の入り口までやっとたどり着いた頃には、真冬だというのに俺の全身は汗でびしょびしょになっていた。

ベテランそうな看護師は、まあまあ、と穏やかに笑うと、俺にタオルを手渡してくれた。

それを見てドッと力の抜けた俺は、病室の前のソファに倒れこむ。


心臓が破裂しそうだった。

それが、走ってきたからなのか、緊張からなのかは分からないけれど、確かに俺は苦しさを覚えた。


それから数時間。

硬く閉ざされていた病室のドアがゆっくりと開いた。

俺は思わず立ち上がって、出てきた助産師にすがりつくように問いかけた。


そんな行動はよくあることなのか、助産師は微笑んで、元気に生まれましたよ、といってくれた。

はやる気持ちを抑えて慎重に病室に入ってみれば、そこでは、はじめて聞く声が鳴り響いていた。

その『生き物』の声は俺の鼓膜を揺らし、そして気づけば俺の視界までもが揺れていた。


やつれた顔なのに、今までで一番の美しい顔で俺を手招きしたあいつ。

涙の膜で揺れる不安定な視界で必死に近づけば、その腕の中に皺くちゃな新しい命が、いた。


「ほら、あなたのお父さんよ」


そういって腕の中に語りかけるあいつの声を聞きながら、俺はぼんやりと赤ん坊をみていた。

小さくて、細くて、本当にこれが、あいつの腹をあそこまで膨らましていたものの正体なのか、と疑いたくなるような大きさだった。


「ほら、あなた」


そう言われた俺は、恐る恐る、俺の手のひらにも満たない小さな小さな手に触れる。

すると、俺の人差し指は小さな手に握りこまれ、それまで響いていた泣き声はとまった。


弱弱しい見た目からは想像も付かないほどにしっかりと握られた指に、俺は、小さくとも本当に生きているのだと、そこでようやく実感した。


そして、揺れた視界は、とうとう見えなくなった。



「ありがとう、元気に生んでくれて、生まれてくれて、ほんとうに、ありがとう」



赤ん坊を抱いたあいつを俺はさらに抱きしめて、頬をすべる温かい水が止まらないのも気にせず、浮ついた声で、何度も、何度もそういった。

最初は笑っていたあいつも、いつの間にか俺と重ねるように嗚咽を漏らしていて、俺達はそうしてしばらく泣き続けた。


様子を見に来た看護師に笑われてようやく我に返ったときには、二人してまぶたを腫れぼったく膨らませていて、思わず笑ってしまった。







ああ、俺はやっと、家族を手に入れたのだ。








明の夜空 END


幸せな誕生は、当たり前のようでいて、とっても貴重なもの。

その様子が表せていたらいいな、と思いつつ書き上げました。

ご覧くださり、ありがとうございました。

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