三話 幼女、初めてのおつかい
グルメール王国からの動乱の終局から五日が経ち、アカツキは裏庭で肩を震わし泣いていた。
「これで料理の幅が広がる……」
目の前にあるのは、まだ全く煤けていない真新しい窯と竈。
喜びに打ち震えるアカツキを見て、何故そこまで……と不思議に思うルスカが首を傾げる。
「のぉ、アカツキ。何故そこまで嬉しいんじゃ? 確かに色々食べれるのはワシも嬉しいが……」
ルスカの言葉を聞き、アカツキの首が半回転……したように振り向き、ルスカは体をビクッと震わす。
「何言ってるんですか!? 高温で焼けるのですよ! パンだけじゃなく、グラタンやピザも作れるようになるのです!
それに増えた竈。確かに台所に作れなかったのは無念で、無念で仕方ないですが、お湯を沸かすのに竈を一つ占領されないのです! 時短です、時短!」
「そ、そうか……それは良かったのじゃ」
両肩をガクガクと揺さぶられ熱弁を聞かされるルスカは、適当な相槌を打ち解放される。
「ああ……まずは、やっぱりパンですね! パンを焼くなんて久々です、上手く出来るでしょうか……」
両手を組み天を仰ぐアカツキ。
ちょっと付いていけなくなったルスカは、早々にこの場を立ち去りたかった。
「そ、そうじゃ。請求書、アイシャに渡してくるのじゃ」
体のいい理由を見つけたルスカは、早速と出て行こうとする。
「あ、大丈夫ですよ。言伝もありますし、私が後で行きますよ」
「そ、それなら、請求書に書けばいいのじゃ」
どうしようかアカツキが悩む間、ルスカの心臓の鼓動は速くなる。
「そうですね、そうしますか」
「そうじゃ。その間にパンを焼けばいいのじゃ」
アカツキは請求書に一筆入れルスカに手渡す。
受け取ったルスカは、白樺の杖を左手に請求書を右手に家をそそくさと出ていった。
「出発なのじゃ」
ルスカは短い足を動かし、懸命にギルドへ向けて走っていく。
家の玄関の前の通りを真っ直ぐ進んで行くが、丁字路が見えてくると、足を止める。
「金物屋の前を通るのは嫌なのじゃ」
ルスカは丁字路を避け、路地裏を通り大通りに抜ける道を選ぶ。
狭い路地裏も体の小さいルスカにとっては、大したことなくスイスイ進む。
視界が開け、大通りへと出てきたルスカは、一旦止まり、この街唯一三階建てのギルドを確認すると、再び走り出す。
「あっ!!」
カラカラカランと音を鳴らし、地面を転がる白樺の杖。
派手に転んでしまったルスカを見ていた周りの大人がやってくる。
「大丈夫? お嬢ちゃん」
恰幅のいいおばさんが杖を拾い、立ち上がろうとするルスカに渡す。
「だ、大丈夫なのじゃ……」
服に付いた砂を払い、おばさんに頭を下げるルスカの目にはうっすらと涙が。
「強いねぇ、お嬢ちゃん」
おばさんに頭を撫でられたルスカは、裾で涙を拭くと笑顔を見せて再び走り出した。
ギルドの前に着いたルスカは、扉を開ける前にもう一度涙を拭ってから扉を開けた。
◇◇◇
「いらっしゃ~い、あ、ルスカ様」
受付のナーちゃんに出迎えられると、受付に並ぶ。
ルスカの前にいるむさ苦しい男四人組のパーティーの用事が終わりルスカの番になる。
「アイシャはもう帰ってるのじゃ?」
「うーん、まだですね。用事ですか?」
ルスカは目一杯背伸びをし、受付のテーブルに請求書を置く。
「これをアイシャに渡して欲しいのじゃ」
ナーちゃんは、請求書を受け取ると書いてある内容を見て、ぐふっとおかしな笑いをする。
「わっかりました! 必ずマスターに渡しておきますね」
ナーちゃんは、満面の笑みをルスカに見せる。
用事の終えたルスカは、喉が渇き隣の酒場へ行くと椅子によじ登る。
「酒!」
「駄目です。ちょっと面白──じゃなかった、アカツキさんに怒られますから。ピーンの絞り汁でいいですか?」
酒場も切り盛りするナーちゃんに、止められルスカは不貞腐れる。
「あれは、酸っぱいから嫌じゃ!」
「エールも苦いですよ?」
「そうなのか?」
実は酒を飲んだことのないルスカは、苦いと聞いて嫌な顔をする。
「ホットミルクにしますか?」
ミルクと言っても山羊に似た動物のミルクで、結局ルスカが飲めそうなのは、ホットミルク位しかなく渋々注文する。
三分ほどで、出てきたホットミルクを口にするも、どうにも乳臭くルスカは顔を歪める。
「美味しくないのじゃ」
それでも冷ましながらチビチビ飲むのは、今帰ってもあのテンションのアカツキについていけないからで、どうにか時間を潰せないか考えていた。
「そうじゃ! セリーの所に行くのじゃ!」
ルスカはローブの内側に縫われたポケットから、銅貨を一枚テーブルに置く。
この銅貨はルスカのお小遣い。
無駄遣いは駄目と注意されながら渡された銅貨五枚の内の一枚だ。
「喉が渇いたからミルクを飲んだ。これは、きっと無駄遣いじゃないのじゃ」
ルスカは一々理由を付けたのは、後々アカツキに怒られないようにするためである。
ルスカは椅子から飛び降り、杖を持つとそそくさとギルドから出て行った。
◇◇◇
ギルドから出たルスカは大通りを進む。途中でまたつまずき転びそうになると、走るのを止めて歩き出す。
“酒と宿の店 セリー”
看板が見え始めると再び走り出して、店の扉を開けた。
「いらっしゃいませぇ」
セリーは受付の台に顔を伏せて出迎えの声にも覇気がない。
「ど、どうしたのじゃ? セリー」
「あー、ルスカちゃんかぁ。パクくんがねぇ……」
「パクがどうしたのじゃ?」
「私の王子様じゃなくなっちゃって、王様になっちゃったのぉぉぉ!」
セリーがおいおいと泣き出し、ルスカは困惑する。王子だったパクが王様になるのは、特段おかしなことではない。
意味が分からずに、ルスカはどうするべきか迷ってしまう。
「そ、そうじゃ! それなら、出掛けよう! 気分もきっと晴れるのじゃ!」
「駄目だよぉ。お店あるしぃ」
受付のカウンター内に入り込み、ルスカはセリーを動かそうと服を引っ張る。
しかし、頑として動こうとしないセリーをどうすればいいのか悩んでいると、酒場で配膳をしていたゴッツォと目が合い、さっさと連れて行ってくれと手で合図を送ってくる。
ルスカは黙って頷くと、セリーのスカートをおもいっきり引っ張り急かす。
「ほらほら、早く行こうなのじゃ。ゴッツォも構わないって言ってるのじゃ」
「ちょっ、ちょっとルスカちゃん、パ、パンツ見えちゃうぅぅ!! わかった、わかったからぁ!」
必死にスカートを引っ張り返すセリーは、渋々出かける事を決め事なきを得る。
「もう! それで、どこ行くのぉ?」
「決めてないのじゃ!」
あっけらかんと答えるルスカに、大きなため息を一つ吐くとルスカと手を繋ぐ。
「それじゃ、北門に行こっかぁ? なんでも行商人が来てるんだってぇ」
「行くのじゃ」
二人は手を繋いだまま、北門へ向かって歩いて行く。
◇◇◇
北門近くに到着したルスカとセリー。しかし、行商人など見当たらない。
仕方なく箱を大事そうに抱えたおじさんに聞いてみる。
「行商人? ああ、それならさっきグランツ王国に帰っちまったよ。日の落ちる時間に砂漠を渡りたいって」
帰ったと聞き、ルスカとセリーは残念そうな顔をする。
二人に同情したおじさんが、脇に抱えていた箱を二人に見せてきた。
「こいつはさっき行商人から買ったものなんだ。なんでも、気にくわない奴や嫌いな奴に渡せばいいって言ってたんだが。どうだ? 一緒に中を見て見ないか?」
二人の顔はパッと明るくなり、頭が取れるのじゃないかと思う位、頷く。
「よーし、じゃあ通りの端で……」
「何かなぁ? ルスカちゃん。虫とかだったら嫌だなぁ」
「きっと大丈夫なのじゃ。どっかで聞いたような話じゃが」
おじさんと二人は通りの端に移動すると、箱を地面に置き箱を囲んで座った。
「なんでも、相手をギャフンと言わせるらしいからな。おじさんも楽しみだぜ」
セリーとルスカは胸を踊らせ今か今かと待ち焦がれる。
おじさんが、箱の蓋をそっと開ける。
「ギャフン!!!」
おじさんは、何かに顎を打ち抜かれ三メートルほど、ゴロゴロと転がっていく。
セリーは目を丸くし、ルスカはポンと手を叩いて思い出す。
「そうじゃ! これ、ビックリ箱じゃ!」
ルスカオリジナル魔法のビクリバコの元。箱から飛び出している赤いグローブが揺れていた。
「ルスカちゃん、おじさん動かないよぉ」
的確に顎を打ち抜かれ、脳を縦に揺らされたおじさんはピクリとも動かない。
「よし、放っておこうかぁ」
「それがいいのじゃ」
セリーとルスカは立ち上がり、その場を後にする。
「空き地に行こっかぁ。誰かいるかも」
セリーはルスカの手を繋ぎ、空き地に向かって二人で駆けて行った。
その場から逃げ出すように……
◇◇◇
「ただいまなのじゃ」
散々遊んだルスカは、夕暮れ時に家へと帰ってきた。
家の扉を開けると、臭い匂いに部屋が包まれ、椅子に腰掛け項垂れているアカツキが。
「ど、どうしたのじゃ?」
ルスカの質問にアカツキは顔を上げず、テーブルを指差す。
椅子に登ってルスカが見たのは、黒い消し炭。
「はぁ……窯の火加減があんなに難しいとは……」
パンを炭にして落ち込むアカツキを、慰めるかのように膝の上に座ってきたルスカは、手に持っていた革袋を渡す。
「何ですか、これは?」
「ゴッツォが、お礼に持っていけって渡されたのじゃ」
「お礼?」
ルスカが落ち込んでいたセリーを元気出したお礼で持たされたと話をする。
「家で開けるように言われたのじゃ」
「何でしょうか?」
アカツキが革袋をテーブルに置き開けると、袋の中から目と鼻の粘膜を刺激する臭いが。
「かはっ! こ、これはもしかして……」
「うわー、アカツキどこじゃー!? 目が開かぬのじゃー」
目は刺激され涙は止めどなく溢れ、鼻の奥も喉の奥も刺激臭で痛み出す。
アカツキの予想は当たりで、ゴッツォの店の激辛料理に使われる調味料“火炎ペッパー”だ。
ハバネロ等に比べれば辛さは大した事ないが、放っておくと揮発する性質があり、その刺激が強いことで知られるローレライの唐辛子の粉。
袋に溜まった揮発した臭いが一気に部屋の中に広まり出す。
「扉を開けてなくては!」
アカツキが玄関、勝手口、台所の窓、二階の寝室の窓を全開にする。
「うわぁ! 目が痛ぇ!」
「ちょっと、なんなのこれ!?」
臭いは近所にまで広がりを見せ、人々の声が木霊する。
「ごほっ! な、なんでゴッツォさんはこんなものを……」
「あ、余ったからって言ってたのじゃ……」
アカツキを見失わないように、太股に抱きつくルスカを伴って、二人は近所中に謝りに行く羽目になった。