八話 食らうもの、現る
アカツキは、離れた場所にいるルスカが気になり仕方なかった。
その場で蹲り、動かないルスカに。
『アカツキ、左に避けろ!』
『イヤ、右ダ!!』
「二人して喋らないでください!!」
アカツキはルメールの爪を赤く輝く剣で受け流し、その身を流れに任せる。ルメールからの猛攻を凌ぎきれるのは、アカツキの中にあるレプテルの書。過去のルメールとルメールを封じ込める為に戦った神々の記憶が、それを可能にしていた。今までは視ることの出来なかった知識の一端、聖霊王と一つになったからか。
エイルの蔦も太く力強いものに変わっていた。
エイルが、レプテルが、ガロンが聖霊王と一つになることで大きく力が溢れてくる。
しかしながらルメールを越えるとまではいかなかった。
何度攻撃しても躱され、何度か攻撃されると一度は受けてしまう。決定打に欠けていた。
ルスカは、一撃をお見舞いしてやろうと魔力を練り聖霊を集めようとしていた。しかし、集まった矢先に聖霊は霧散する。
「くそっ、何故じゃ!? はっ、そうか“食らうもの”の仕業か!」
聖霊は一度は集まるも、“食らうもの”が先に息をするかの如く、吸い込んでしまっていた。それほど、ルスカに施された封印は緩み、解けるのも時間の問題となっていた。
「くそ、ダメじゃ。すまぬ……アカツキ」
ルスカは、その小さな身を震わせる。武者震いなどではなく、恐怖で。ルスカは怖かった、アカツキと離れ離れになることがなにより、怖かった。しかし、このままではアカツキがルメールに負けるのが目に見えていた。
「アカツキを死なせる訳にはいかんのじゃ」
ルスカの脳裏に弥生がそしてフウカの顔が思い浮かぶ。
「ワシにとって失うものが多すぎる……けど、何よりアカツキを失うよりマシなのじゃ!! あ、あ、あ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーッ!!」
悲痛な叫びを上げながら、ルスカの体と地面を繋ぐ封印の鎖が現れる。
(アカツキ……ワシを信じて欲しいのじゃ。ワシは絶対に負けぬ!!)
ルスカは無造作に残っていた封印の鎖を掴むと、力任せに引きちぎった。
◇◇◇
黒く冷たい風が吹く。聖霊王に守られているアカツキまで、その風は届き、肌がピリッと痛む。
「くく、人形め。とうとう壊れたらしいな」
アカツキはルメールからルスカのいる方角へ視線を移す。黒く冷たい風は、確かにそこから吹いているのはわかったが、そこにルスカの姿は無かった。
「ルスカ……一体何処に」
「何処を見ている? 人間。そっちではないぞ?」
そう言い不敵な笑みを浮かべながら天を指差すルメールに、アカツキは空を見上げる。
ルスカの居た方角から吹く風は、空の一点に向かって、やがて舞い上がり始め、集まり出していた。それは、まさに瘴気。昔、人をエルフに、ドワーフに、獣人に、そして魔族や魔物にした忌々しい瘴気と同じもの。
「あ、あれが“食らうもの”ですか」
集まった黒い風からは、黒く、鳥のような翼が見え始める。その数、片翼で四枚、計八枚の翼。そして、集まった風を吹き飛ばしその全貌が露になる。
その姿は巨大な八枚の翼を持つ全身真っ黒な鳥。全長は十メートルを優に越え、大きく裂けまさに全てを一口で食らいそうな口、その上には一つの大きな目が、ギョロりとアカツキ達の方を見る。
「さて。遊びはここまでだな、人間。予定とは大分狂ったが、君とはここまでだ」
「なっ!?」
ルメールの体が徐々に大きくなり始める。今のアカツキを越えて、まだまだ大きくなっていく。
「終わりだ、人間。これからワタシは“食らうもの”と遊ばなくてはならないのでな」
ルメールが右手をアカツキに向けると、前とは比べ物にならない突風がアカツキを吹き飛ばす。咄嗟にエイルの蔦を地面に突き刺し耐えようとするも、それすら簡単に引き剥がして、アカツキは、遥か遠くまで吹き飛ばされた。
最果ての地を取り囲む山肌の一角に叩きつけられ、それでも風は止むことなく、押し付け埋め込まされていく。
突風のせいにより殆んど開かない目でアカツキは“食らうもの”を見ると、「ルスカ……」と呟く。
その時、食らうものは金切り声で叫ぶとその場から姿を消す。
「おっと……そうはいかん」
ルメールはアカツキへの攻撃の手を止めて、その巨体に似つかわしくない速さで、その場から逃れる。すると、次の瞬間、先ほどルメールが居た場所の背後から突然現れた食らうものが通り過ぎていく。
「が……ガロン……動けますか?」
『コチラハ問題ナイ。聖霊王、オ主ハ?』
『大丈夫。というより、食らうもの、こっちに向かって来ていないか?』
ルメールの背後から、その直線上にいるアカツキへと真っ直ぐに“食らうもの”は向かって来ている。しかし、アカツキは冷静さを保っていた。
「ギリギリまで引き寄せてください……今です!!」
ガロンは、思いっきり山の肌を蹴り、めり込んだ体を抜け出させると、そのまま大きく横っ飛びで飛び退いた。
真っ直ぐ向かって来ていた“食らうもの”は、そのまま山へ激突──することはなく、触れた場所から山にポッカリと穴を開け、そのまま貫いた。
「ここは危険です! 離れて!!」
山は、その形を崩し始める。落石を避けながら、麓まで降りて来たアカツキは、空を見上げると、悠々に“食らうもの”は飛んでいた。
『くそっ、どうする? アカツキ。例えルメールを倒せても、まだアレが残るとなると厳しいぞ!』
「ルメール!!」
アカツキは地を走りルメールの近くまで寄っていくと、声を大にして呼び掛けた。ルメールは、腕を組みながら空を浮遊する“食らうもの”から、アカツキへ視線を落とす。
「あなたは、何がしたいのですか!? あの“食らうもの”は、あなたの言うことを聞くとは思えません!! このままでは、あなたも無事では済みませんよ!!」
「くく……はーっはっはっはー!!」
ルメールは突然腹の底から笑い始める。それは、もう楽しそうに。
「だから、どうした。人間の器量でワタシを測るな。ワタシはな……楽しければいいのだよ。憎たらしい、神々の人間どもが苦しむ様が見れればな!!」
「馬渕と同じような事を……」
ギリッと歯軋りして悔しがるアカツキは、以前馬渕が言っていた事をフィードバックしていた。
「馬渕? ああ、その男なら知っているぞ。封印されながらも見ていたからな。面白そうな男ではあったが。ま、人間にしてはの話だが」
馬渕と同じ思考、それも規模も遥かに大きく厄介。このままルメールを放っておくと、すぐにその牙は弥生やフウカに向いてしまう。しかし、アカツキはルメールに立ち向かわずに意外な行動を起こす。
「ルスカアアアアアアアアアァァァァァァーー!!」
何を思ったのか、アカツキは食らうものに向け声を張り上げる。
「くく、気でも触れたか?」
『アカツキ、残念だがルスカ・シャウザードは……もう』
「まだですっ!! ルスカは、まだ戦っています!! そう、あの中で必死に!!」
根拠など全くもって無かった。ただ、アカツキは、ルスカを信じていた──。