エイミー 2
マーゴが部屋から出ていくときに私に向けて『 頑張って 』って言った気がしたのだけれど・・・なにを頑張るのかしら。それになぜマーゴとフィルが二人で部屋を出ていったのかわからないわ。どちらかというと私とマーゴが出ていく方がいいんじゃないかと思うのだけど。
あ、これは二人で婚約破棄について話し合えってことかしら?
そうね、このことはアルの、いえ、アルフォンス様のデリケートな部分ですものね。侍従とはいえ、二人の前では話すことではないのかもしれないわ。
そんな風に考えているとすぐ隣に人の気配がして、左手をぐっと握られました。この部屋にはもうアルフォンス様しかいないものね。なぜ手を握られたのかわからなくて横を向けば、目線を伏せて何かを考えているアルフォンス様の綺麗な顔がすぐそばにあって、こんな時なのにドキドキしてしまう。
はあ、さっき自分の気持ちに気付いたばかりの私にはもう今までどおりの態度ではいられません。よく今まで平気でしたわね、過去の自分。こんなに近くにアルフォンス様がいたらドキドキが止まりませんわ。たぶん顔も赤いはず。今までどうやっていたのかわからなくて動けなくなってしまいました。
「 ねえ、エミ。」
「 ひゃ、ひゃい。」
突然名前を呼ばれてびっくりしたのはわかるけれど、ひゃいってなによ! ダメだわ。今すぐ逃げ出したい。なぜマーゴは私を置いていったのか・・・。あ、このようになることを見越しての『 頑張って 』だったのね! すごいですわ。さすがマーゴ!
クスクスとアルフォンス様に笑われて我に返ります。ああ、現実逃避をしていたことがばれているのかしら。アルフォンス様のお顔を見たら終わりですから、なるべく目をそらしていきましょう。そうね、そうしましょう。脳内会議の決定には逆らえませんからね。ええ。目線はそらし気味です。
「 婚約破棄っていうけど、エミは俺と離れてもいの? 」
「 え、ええ。勿論ですわ。ほかの方を思っている方とは一緒に居れませんもの。だから私はアルフォンス様との婚約を破棄しようと・・・。」
そうですわ。どこの世界に好きな人の好きな人を見ている様を好き好んで見る人がいるのでしょう。
あら、早口言葉みたい。
「 違うだろう、エミ。アルフォンスじゃないよ。アルでしょ。」
なるべくアルの顔を見ない様にと横を向いていた私に耳元で優しく話しかけて来ます。私のすぐ! 横で! これは恥ずかしいですわーーーー!!
「 どうしたの? エミ。いつもみたいに俺の事をまっすぐ見てくれないの? 」
くすくす笑って話すアルはいつもよりも大人っぽくて、でも可愛らしくて・・・。心臓がどくどくと鼓動を加速させています。ん? 『 俺 』? いつもは 『 私 』と言っていた気が・・・。
「 え、あ、あの、ちょっと、距離が近くないかしら? 」
「 そうかな、俺はこれくらいがちょうどいい、いや、もっと近い方がいいんだけれど、エミがそういうなら仕方ないね。」
何が面白いのかさっきから笑みを浮かべているアルはいつもよりも強引です。
おかしいですわね、いつもリードしていたのは私のはずでしたのに。赤くなるのもいつもはアルだったはず。今は私がアルに赤くさせられています。なんだかショックです。そんなことを思ったら無性に悲しくなってきてしまいました。きっといつもと違うのは私という重しが無くなって私の顔色を窺う事なんかなくなったせいですわ。
ぽろぽろと落ちる涙をぬぐうためにアルが握っている手を振りほどこうとしました。でも握っている手に力が込められて抜けません。
もう! 何なんですの!
悲しみが一転、怒りとなって湧き出します。駄目、無様ですわ! と思いながらも止められません。
「 もう! 何なんですの。いい加減に手をお放しになってください。これでは涙も拭けませんわ。アルフォンス様はあの方の元へと行かれればよいのです。私の機嫌なんてとらなくてもいいのです。さあ! はやく! 私がこれ以上の醜態をさらす前に離してください。」
ぶち切れですわ! 言い切りましたわよ。大声で。
髪はぼさぼさ、目は真っ赤。薄化粧でしたからお化粧も落ちているでしょう。何より涙( と鼻水 )で顔は見れたものではない様になっているはずです。こんなものを見ているよりも愛しい方の元へと行けばよろしいのです。最後ぐらいは綺麗な姿を見せたかったのに・・・。今更遅いかもしれませんがアルに背中を向けます。もうこうなったら袖口で涙を拭いてやりますわ。ごしごし。
「 ごめん、エミ。ちょっと調子に乗ってたみたい。こんなに怒らせたり悲しませたりする気はなかったんだ。俺ばっかりエミの事を好きなんだと思ってた。でも、エミも俺のこと好きだったってわかったから嬉しくて。」
背中にあたたかいものが触れて肩に重みが乗ります。耳にさらさらと柔らかい髪の毛が触れてくすぐったいですが、私はそれどころではありません。なぜ私がアルの事を好きだって気付いたのかしら! 大混乱中です。
「 エミは何か誤解してるよ? 俺の好きは人はエミだけ。どん底の俺を見つけて引き上げてくれたのはエミでしょ? 最後まで責任とってもらわないと。」
「 せ、責任って・・・。」
「 俺のそばにいて、ずっと撫でて可愛がって慰めてくれるんでしょ? 」
ええ、それはこちらからお願いしたいくらいです、けれどあの方は・・・。
「 あとね、あの女性はヘレナ義姉さんで、二番目の兄さんの奥さんだよ。俺に祝福をくれたからお礼を言ってただけ。」
「 二番目の・・・? 祝福ですの? 」
「 うん、そうだよ。神官だからね。」
肩の重みが無くなってその代りに肩に置かれた手でくるりと回転させられました。私の正面に立っているアルは私の顔を覗き込みます。めちゃくちゃな私の泣き顔を。恥ずかしくて顔を背けようとしますが両頬をアルの両手で挟まれて動けません。こんなものを見ても楽しくないですわよー。
なんとかその手から逃れることに成功すると、今度は腰に手を添えられてソファーの方へとエスコートされました。そっと座らされた後、アルは私の正面に膝をついて私の両手を取って口を開きました。
「 エミはさ、俺と最初に会った時の事を覚えてる? 」
「 ええ、確か伯爵夫人主催のお茶会だったと。」
「 うーん、そうか。エミは覚えてないのか。」
「 あら?これより以前にお会いしたことが? 」
「 嬉しいような、淋しいような、がっかりしたような・・・。」
「 申し訳ありません。ええと、どこで・・・。」
アルと会っていたことを忘れるなんてないと思うのですけれど。
私が思い出そうと記憶をたどっていると、アルは立ち上がって壁ぎわにあるチェストの方に向かって歩いていきました。何かを取り出したアルは戻ってくると先ほどの位置にまた膝をついてハンカチを差し出しました。
ぐ、これで涙を拭けということかしら。そんなに見苦しかったでしょうか、おちこみます。
「 これ、覚えてないかな? 」
手渡しされたハンカチには刺繍・・・らしきものがされていました。一生懸命刺しているのがわかりますが、技術が足りてないのでしょう。あちこち糸がほつれて、もはや何のモチーフなのかわからなくなっています。おそらく紋章のようなものだとは思うのですが・・・。そして、この刺繍の型、どこかで見たことがあるような・・・。
そして思い出したのは昔、泣いている男の子にあげたハンカチでした。
その日、刺繍の課題となっている侯爵家の紋章を上手く刺すことが出来なくて、お母様相手にいじけてだんまりを続けていました。その時に言われた言葉は意味が分からず、私の耳を右から左へ流れていきました。
面白くなかった私はこっそりと屋敷を抜け出し、誰にも告げずに小高い丘までやってきました。何をするでもなく、ただただ禁止されている悪いことをして皆の慌てふためいた姿を見てやろう、ぐらいの軽い気持ちでした。
丘の一番高いところに上ると街並みが見えました。その眺めに少し気持ちが落ち着いてきた頃、少し下の方から、どごん、どごん、とくぐもった、重い感じの大きな音が聞こえてきました。私以外の誰かが、何かがいたことに驚いた私はその正体を確かめるべく、怖いもの見たさで音のした方に近づいていきました。
結論から言えば、そこにいたのは泥がついて濡れている、落ち込んで泣いている男の子でした。
泣いていたところを見てしまった私は男の子に元気になって欲しくてお母様から言われた言葉を、つい、まるっと口に出していました。
「 あのね、転ばないと起き上がれないの。それに人より多く転ぶと人より多く起き上がることが出来るのよ。余計なことだとは思うけど、その、元気出して起き上がってね。」
どの口がいうのです!! どの口が!!
言った後、恥ずかしくていたたまれない気持ちでいっぱいになってしまった私は、顔を隠している男の子にその時握りしめていたハンカチを渡したのです。・・・涙をぬぐうために、ですよ? 決して手元にあった失敗作を証拠隠滅しようとしたわけではありませんから!! そのまま走り去って、家へと逃げ帰った私はこっそりと宅内へと入ろうとしましたがとっくに抜け出したことはばれていて、ちゃんとついてきていた護衛の方と、お母様にめちゃくちゃ怒られてさらに追加で刺繍の課題を増やされたのでしたわ。
刺繍の腕が上がった今となってはいい思い出ですけれど・・・。
と、いうことはあの時の男の子がアルでした、の?
「 やっと気づいてくれた。」
そう言って私にあの顔で笑ったのでした。