アルフォンス 2
体調はどうかとエミがいる俺の部屋の扉をノックしようとしたらなんだか変な言葉が聞こえた。
エミの声で聴きたくないセリフ第四位であるところの婚約破棄しましょう、だ。
空耳だと思いたかったが、俺の耳がこれはエミの声だと言っている。
それまでの浮かれた気分が真っ逆さまに急降下していく。一気に血の気が下がった俺はその場にしゃがみこんでしまった。もうすでに涙目だ。辛すぎる。
「 俺、なんかしたっけ? 」
ダメだ。心当たりがありすぎてどれが決定打なのかわからない。あれと、アレとあれか・・・?
氷の貴公子なんて呼ばれて騒がれているけど、それは俺じゃない。みんなが勝手に作り上げた虚像であるけれど、エミに少しでもかっこいいって思ってもらおうとそれを利用していた俺。卑怯だな。
戦うために、守るために剣を捧げることもできない弱い俺はあの時の事を忘れない。
やっと俺の弱いところを見せてもいなくならない人を見つけたのにここで手を離すなんてひどい。
何に向けてかわからない猛烈な怒りが腹の底から湧いてきた。
トントン、とノックをする。中から返事が聞こえた瞬間に満面の笑みを浮かべて中に入る。
「 エミは私と婚約破棄したいの? 」
急に俺が現れてエミとマーゴは驚いている。驚いたエミもかわいいけれど、今は事実確認の方が先だ。
チラリとエミを支えているマーゴの顔を見ると、殺気のこもった目でにらみつけられた。そのまま目線を流してエミを見ると顔色も悪いし、泣きそうに潤んだ瞳があった。ああ、こんな顔をさせるようならばマーゴに殺気のこもった目で見られても仕方ないな。
「 はい。アルフォンス様においては大変ご迷惑をおかけしまして申し訳なく思っております。それとこのお部屋をお借りしまして、ありがとうございました。あまりにも似ていたので自室かと思っていろいろ歩き回ってしまいました。申し訳ございません。 」
グサッと胸に突き刺さるエミの言葉。アルフォンス様、だなんて、他人行儀な呼び方して欲しくない。息が詰まる。
「 わたくしがずうずうしく鈍いばかりに相手の方にもご迷惑をおかけして・・・。いらぬご心配をおかけした事、お詫びを申し上げたいのですが、それもかなう事はないと思いますので、お相手の方によろしくお伝えください。」
「 ・・・。」
何を言っているのかわからない。エミが鈍いのはわかっていたけど、相手? 誰の、何の事だ? よっぽど混乱していたのか、背後にフィルがいることにすら気づかなかった。不覚だ。
「 エイミー様、アルフォンス様もいきなりの事で驚いていますので、最初から順を追って、少し座ってお話いたしませんか?もしお話の通りに婚約破棄をなさるのならば、どうせうちの坊ちゃんが原因でしょうし、破棄の際の細かい取り決めなどを決めなくてはなりません。 」
「 そうですよ、エイミー様。なぜ先ほどのいい感じのところから一気にそのような考えに至ったのか、きちんとお話ししていただきますよ。」
後ろからフィルに羽交い絞めにされてソファーに無理矢理座らせられる。そんな風にしなくても座るよ!俺だっていきなり婚約破棄になった経緯を説明されたいし!
フィルは俺を見ながら口元だけでニヤリと笑う。ああ、『さっきエミが倒れたことを喜んだ罰が当たったんだよ。』って、目が言ってる。
向かいにはマーゴに座らされたエミが座った。エミの目には向かいに座っている俺が移っているのに、辛そうにゆがめられた目頭と口元は変わりそうもない。いつもなら優し気に笑っているのに。
マーゴがカチャカチャと香茶の用意をしている音が聞こえる。誰の声も聞こえないこの部屋の雰囲気に、気持ち的には酒を浴びる様に飲みたい気分だが、体質的に酒が受け付けないのでそんなこともせず入れてもらった香茶を飲む。飲んでいる間にもエミから目は離さない。この部屋か? エミと離れていても淋しくない様にと色違いで揃えた家具がやっぱり駄目なのか?
しかし、俺の事を嫌ったマーゴがエミに進言したのかと思ったけれど違うようだ。さっきの言い方だと婚約破棄はエミの独断のようだった。はあ、エミに嫌われてるのかな、俺。
香茶を飲んで心を落ち着けたせいか、さっきまでの怒りは凪いで来たが、今度は悲しさや淋しさが一気にわいてきた。マーゴやフィルの前だし、我慢しているけれど、だんだん泣きたくなってきた。何としても追い詰めて、問い詰めてやるなんて思っていたのにそんなにエミが辛いなら解放した方がいいのかとすら思ってしまう。
隣で俺が暴れない様にけん制しているフィルがため息を一つ吐いて、沈黙を破った。
「 まずは、エイミー様。なぜアルフォンス様と婚約を破棄なさろうとしたかお聞きしてもよろしいですか? 」
マーゴもエミのそばについてそっと手を握って言う。
「 エイミー様、最初から、順番に、ですよ。」
「 はい。」
手に持ったカップをそっとテーブルに置くと、エミは深呼吸して姿勢を正して話し出した。
アルフォンス様には好きな方がいらっしゃるのではないでしょうか。
先ほどその方とご一緒にいらっしゃるところを拝見いたしましたわ。私にはたまにしか向けられない、とても素敵な笑顔を向けていらっしゃって、あの方の事をお好きなんだという事がよくわかりました。
アルフォンス様は素敵ですし、努力もなさって今の立場を手に入れ、実績を積んで活躍されています。私と婚約なさる前と今では私とアルフォンス様の立場は逆転しております。
その様な立派な方にもう利用価値のない年上の私よりも可愛らしいあの方の方がお似合いですし、無理に政略結婚をなさる必要もないでしょう。周りも納得なさるはずです。
アルフォンス様に害が及ばない様、私に非があるように婚約破棄なさってくださいませ。私はこのまま女神様の神殿へ参ります。
ちゃんとお勤めをし、女神様の元でいつまでもアルフォンス様の幸せを願っています。
一時でもアルフォンス様の婚約者になれて幸せでした。ありがとうございました。
そう言ってうつむくエミはどこか淋し気に笑った。
俺はもちろん、フィルもマーゴも動きが止まっている。一瞬後に一気に恥ずかしさとうれしさで顔に血が上ってきた。たぶん俺の口元はだらしなく緩んでいると思う。
なにこれ! なにこれ! なにこれ!
マーゴとフィルがため息をついて立ち上がった。本当に優秀な侍従たちだ。後でお礼とボーナスをあげなくてはいけないな。そのまま出ていこうとするマーゴをエミが不思議そうな顔をして見ている。
「 エイミー様、先ほどおっしゃられていた可愛らしい方とはどなたなのか、うちの坊ちゃんにちゃんとお聞きするといいですよ。」
「・・・アルフォンス様、くれぐれも、くれぐれも、よろしくお願いしたします。」
マーゴが申し訳なさそうに俺に向かって言う。大丈夫。でも俺の心臓止まってしまうかもしれないから、
「 ・・・保証できないかも。」
「 まあ、エイミー様の自業自得ですけれど、く・れ・ぐ・れ・も、お手柔らかにお願いいたします。」
マーゴが振り向きながらエミと俺の顔を交互に見ながらフィルと一緒に部屋から出ていくのを見送ると、俺は一気にエミとの距離を詰める。
さて、どうやって婚約破棄を撤回させようかな。
やばいな。おれ、今最高に幸せかもしれない。ニヤニヤが止まらない。
涙も止まって不思議そうに、でも恥ずかしそうに俺を見るエミの左手を強く握った。
俺がどれだけエミを必要としているのかわかってないみたい。
俺の情けないところを見せてもエミならちゃんと僕の事を見てくれるよね?