マーゴとエイミー
長いです。
私がエイミー様のお付きになったのは侍女の訓練所を卒業してすぐの事でした。
どんなわがままなお嬢様でも仕えてみせる!と、意気込んだのも今となっては笑い話です。
ええ、大笑いです。
「 エイミー様、お行儀が悪いですよ。お顔に感情が出すぎです。」
「 でもね、マーゴ。アル様が可愛らしいのがいけないのよ~~~。」
恐れ多くも『氷の貴公子様』に向かって可愛らしいときましたか。この方の眼と脳みそはどうなっていらっしゃるのか、本当に謎が尽きません。
大物なのか、何も考えてないだけなのか・・・。
確かなことは、私がお仕えする方がエイミー様でよかったという事です。
*******
エイミー様がアルフォンス様の前で倒れられました。椅子に座っているのに「立ちくらみ」を起こされたそうです。
まあ、貧血ですね。
とっさにエイミー様を支えようとしましたが、私より早くエイミー様を支えたのはアルフォンス様でした。
急いでエイミー様の状態を確認しますが、エイミー様のお顔は血の気が下がっており、気分が悪そうです。これは馬車での移動は出来なさそうですね。
「 アルフォンス様、申し訳ありませんが、少しエイミー様を休ませていただけるようなお部屋を用意していただきたいのですが。」
「 あ、ああ。もちろんだよ。フィル、至急部屋を用意してくれ!」
あ、アルフォンス様、どさくさに紛れてエイミー様を抱き寄せましたね。
大丈夫ですよ、そんな顔しなくても。いくら何でも私にエイミー様を抱き上げる力はありません。抱き上げて運ぶのはアルフォンス様にお譲りいたします。
侍従のフィルを振り返ると頷かれました。もうお部屋の用意が出来ているのですね。ちょっといい加減な感じがするフィルですが、仕事の速さは流石ですわ。
そのままフィル、アルフォンス様、( に抱き上げられている )エイミー様、私の順に伯爵家の飾り気のない廊下を進みます。
フィルが部屋の扉を開けておさえています。ここが用意していただいたお部屋ですね。アルフォンス様に続いて扉をくぐります。
・・・。
これは・・・。
その・・・。
何といえばいいのか・・・。
驚いた私は戸口に立っているフィルを振り返りますが、そのことに気付いたフィルは苦笑して肩を少しすくめます。目が「 すまんです 」と、言っているように見えるのは私の願望なのでしょうか。
部屋の奥に置いてあるベットの上にそっとアルフォンス様がエイミー様をおろそうと・・・。早くおろしていただけますかね?
名残惜しそうに抱き上げているアルフォンス様に向かって咳ばらいをすると我に返ったのか、そっとベットにおろします。
さあ、ここから先は侍女である私の仕事です。男性方は出ていってもらいましょうか。
いつまでも出ていかないアルフォンス様をフィルが説得し損ねて引きずるように部屋を出ていきます。
二人が出ていったことを確認し、エイミー様の靴を脱がし、首元と胸元を開けます。濡れたタオルで手と足を拭いて体を楽にすると体をきつく縛っていたものがゆるんだせいなのか、顔色も少し赤みがかってきました。回復してきたようなのでひと安心です。
それにしても・・・。
この部屋の内装は侯爵家のエイミー様のお部屋にそっくりです。家具や配置などは言うに及ばず、少し色合いが暗色系になっており、暖色系に囲まれたエイミー様のお部屋とは違いますが、これほど違和感がないという事に、私としたことが驚きを隠しきれませんでした。よくここまで詳細に調べられたものだと感心すら覚えます。しかし、いくらエイミー様を溺愛しているからと言っても、自室をここまでにするなんて、粘着ですし、はっきり言って気持ち悪いです。
まあ、今のところエイミー様はアルフォンス様に弟やペットのような気持ちしか向けていない様に思われますが、どうでしょう。この部屋きっかけで破談になったりは・・・。ないですわね。アルフォンス様が逃がすとは思えません。
ふう、と、息をつきます。
想像していた未来とは程遠いところまで来てしまいました。
でも、こちらの方が断然幸せですわね。
あら?エイミー様が目覚められたときに飲ませたいお水がありませんわね。私としたことが、痛恨のミスです。厨房はどちらでしたか・・・。
エイミー様を起こさない様にそっと扉を開けて出ていきます。
直ぐにもどりますから、ここにいてくださいね、エイミー様。
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パタン、という音に気付きました。あら、私、どうしたのでしょう? 思い出そうと息を深く吸い込んでみると、なんだかうれしいような、楽しいような、ドキドキするような、安心するような・・・?
どうやら私はいい匂いのふわふわの物に包まれているようです。
閉じていた瞼をゆっくりと開けると目に入ってきたのは見たことのない天井です。パチリと瞬きをしますが、しっかりと目は開きませんし体のけだるさが抜けません。ふわふわなものに横になっているようなので寝具だという事がわかります。私がいつも使っているものよりもふわふわなそれは柔らかくて、ここは夢の中なのかしら。
・・・。
思い出しました。私、デスバレーにアルが行くと聞いて急に目の前が真っ暗になって気分が悪くなったんだわ。その時にマーゴに抱きとめてもらって・・・。ここまでしか思い出せません。
なぜ私はここにいるのでしょう。マーゴに聞けばわかるかしら。
ぼやける視界の中でマーゴを探しますが見当たりません。どこに行ったのかしら?
首を左右に動かして確認しますが、どうやらここは私の部屋のようです。いつの間に家へと帰ってきたのかしら? それに、私の格好は先ほど外出していた時のままです。胸元が開いていたり裸足なのは少しはしたないですけれど、自室ならば問題ありませんわね。
そっと足を下ろして立ち上がるとちょっとまだ視界が暗い気がします。足元もいつもよりふわふわしてなんだか私以外の世界がぐるぐると回っているようです。
いつもと何となく違って、部屋の中の空気はなんだか落ち着きませんし、新しい空気を入れた方がいいかもしれません。家具伝いに歩いて窓に向かいます。そのまま大きく開けるには思ったより腕に力が入らず、細くしか窓が開きませんでした。
窓際にある椅子に腰かけると、細く開けた窓からそよそよと風が入ってきて気持ちがいいです。
深く息を吸い込んだり吐いたりしていると、気分もだいぶ良くなってきました。
目を閉じたまま耳を澄ますといろんな音が聞こえてきます。風が通っていく音、小鳥のさえずりや、何かを話している男女の声・・・。
ん? 男女の声?
聞いたことのある声と聞いたことのない声が聞こえてきますが、何を話しているのか、会話の内容まではわかりません。
でも、聞き間違いでなければ男性の方の声はアルの声に似ています。なぜアルの声がうちの庭から聞こえるのかしら?
不思議に思って窓の外をのぞくとアルと可愛らしいふわふわした感じの女性が向かい合って話しているのが見えました。でも、なんだか様子がおかしいことに気付きました。女性の方はなんだか悲しそうな目でアルを見つめているし、何かをこらえているかのように胸の前でぎゅっと手を握りしめています。アルもすまなさそうな顔で話していますが、女性がアルの手を取り、胸の前に手繰り寄せて何かを言った後、アルは私に時々、まれに、本当に希少であるところの『ワンコ耳』が生えている顔で笑いました。
「 どうして・・・!! 」
------ なぜその顔で笑いかけるのです?
------ 私以外に!!
何か重いもので殴られたかのような衝撃で息が止まります。視界がぼやけてすべてがあいまいなものになっていきますが、丁度良かったです。今は何も見たくありません。そのまま何も見なかったことにしましょう。きっとそれがいいですわ。このまま。このまま・・・。
「 エイミー様、いかがなさったのです? 」
誰かの声が聞こえます。嫌です。今は何も考えたくないのです。
「 どこか痛いところでもおありなのですか? 」
「 ・・・いいえ、痛いところはないわ。」
嘘です。本当は胸が痛くて痛くて息が出来ません。落ち着こうと深呼吸を繰り返します。吸って、吐いて、吸って、吐いて。
誰かが側に来てそっと背中を撫でてくれます。何度も何度も撫でてくれるたびに高揚していた気分がなだめられてきます。落ち着くとそばにいるのがマーゴだという事に気付きました。
「 マーゴはいつからそこにいたの? 」
「 エイミー様が椅子に座りながら泣いているところからです。」
ぐっ。そこからですの? 体がぎくっとなります。別に悪いことしたわけじゃないのに・・・。
「 何かありましたか?」
「 ・・・いいえ。」
「 エイミー様はうそをつくときは足元をもじもじさせる癖があることをご存知ですか?」
「 え? そんな癖が?!」
どうりで嘘がつけないわけですわ。
「 嘘です。」
「 嘘なんですの!」
「 マーゴはエイミー様の体調や何を思っているかなどは大体わかります。でも、何があったかまでは言ってくださらなければわかりません。お話ししていただけないのは私の力不足だという事はわかります。その様な者がそばに控えていることが、エイミー様に申し訳なくて申し訳なくて・・・。」
「 ち、ちがうの!マーゴは全然悪くないわ!ちょっとお説教が長いけど私にはもったいないくらいの優秀な侍女さんよ!」
「 ・・・でも、私にはお話しできないことが・・・。」
「 そ、それは、その、自分でもよくわからなくて・・・。」
「 それでは、目が覚めたところからお話しください。はい、どうぞ。」
「 え? ええっと、目が覚めた私は・・・。」
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エイミー様が話すのを聞き逃すことのないように集中します。
先ほどやっと戻られた頬の色もまた青ざめています。こんなにショックを受けて顔面蒼白になるのは一度きりで十分なのです。ましてや同じ日に二回もなどと、いったい何が起こったのかと思えば・・・。
「 何ですか、エイミー様はアルフォンス様がエイミー様以外の女性に笑みを向けたことがショックだったと、そういうことですか?」
「 ショックだったというか、びっくりしたら息が苦しくなって・・・。」
「 それで泣いてしまったのですか?」
「 ええ。でも!泣こうと思ったわけじゃないのよ。急になんだか殴られたみたいに胸が重く、痛くなって。」
「 しかし、アルフォンス様はいつもではないですが、同僚の方やお友達によく笑いかけていらっしゃいますが・・・。」
「 いつもの笑い方とは違ったの。あれは・・・あれは・・・」
「 あれは?」
「 ・・・私にたまに笑いかけてくれる顔だった。」
こ、この方は!!
下を向いて恥ずかし気に手指をもじもじさせて話すエイミー様はほんとうに可愛らしい。このような様子をアルフォンス様がご覧になったら、いえ、ほかの方がご覧になったとしても大変な破壊力です。思わずきょろきょろと周りを見渡した私は、私とエイミー様の二人だけだという事を確認し、胸をなでおろしました。大変な事態になることは避けられたようですね。
しかし、自覚がない恋心ですか? 無いとは思いますが、私以外の者に相談を持ち掛けては困りますね。このような姿を( もったいなくて )見せるわけにはいきません。
「 エイミー様は自分以外の女性に笑いかけたことが嫌だった、と、いう事で合っていますか? 」
「 ・・・うん。そう、合ってる。」
「 では、なぜ嫌なのかよく考えてみてください。そこにエイミー様の嫌な気持ちだったことの答えがあると思いますよ。」
私が言ったことについて真剣に悩み始めたエイミー様をそっとソファーに誘導し、座らせてからお水の用意をします。気分が悪そうでしたから少し柑橘のしぼり汁を入れてさっぱりとしたものをお出ししましょうか。
グラスに入れた水をエイミー様にお渡ししようと近づくと、これまでうつむいていて悩んでいらっしたエイミー様は急に顔を上げて私に詰め寄ってきました。目に涙をためて握りこぶしを二つ胸の前で作るエイミー様は落ち着いた、あきらめたような声色でおっしゃいました。
「こ、婚約を破棄しましょう。」
そっちに行ってはダメです―――!!