エイミー
魔術師らしき青年が詠唱を始めた。闇の中に浮かび上がる姿はまるで浮いているように見える。
暗闇の中に炎の渦があらわれ、そのまま青年の前に渦巻き続け、おぼろげながら何かの形にまとまろうとしている。青年は魔力を声に乗せ、呪を朗々と唱えた。
「 我が命に応えよ!! 炎の申し子、出でよサラ、バンジャー!!! 」
噛んだ! 盛大に最後のところを、一番大事な所を噛んだ! 最後なんて声が震えてたもの!本当だったら『 サラマンダー 』のはず。
そうこうしているうちに大きな破裂音と共に炎の渦が飛散した。完全に失敗ですわね。
消えた渦の向こうには目を見開いて呆然としている青年がいた。
「 ・・・。アル、これは・・・その? 」
やはり失敗なのかしら・・・?
「 ごめん、エミ・・・。」
シュンとうなだれる青年。頭の上についている幻のワンコの耳が申し訳なさそうにペタンと垂れている様に見えます。
今は下を向いて顔の表情はわからないけれど、肩が震えているのでひょっとしたら泣いているのかもしれません。
いつもはキラキラと輝いている黒曜石のような瞳が潤んでいるところを想像しましたところ、物凄くしっくりくるではありませんか。
・・・うん。きっと落ち込んでいるのでしょう。
急いでこれからの予定を頭の中で考えます。あれは明日でも間に合うから今日やらなくても大丈夫だから・・・。ええ、大丈夫そうですわね。
「 アル。私、先に帰りますわ。」
「 え! 帰っちゃうの? 」
「 ええ。後でリンゴのケーキを持っていくからお茶にしましょう。」
「 う、うん!! わかった!! 」
あら、好物のリンゴのケーキと聞いてもう笑ったわ。そうよ、気にしないことが一番なのよ、アル。次頑張りましょう。ね?
そばによってそっとハンカチを渡す。男子たるもの人に涙を見せてはいけませんわ。
アルは受け取ったハンカチでごしごしと目元をぬぐいます。たれ目の目元がこすりすぎたせいか赤くなっていますわ。そっとハンカチを取って優しく目を上から押さえて涙を拭ってあげます。あら?さらに赤くなってしまったわ。でも涙は拭えたみたいです。
「うん。もう大丈夫ね。じゃあ、アル、また後程。」
お別れの挨拶をして急いで鍛錬場を後にします。急がないとリンゴのケーキがお茶の時間に間に合いませんから。
ちょっとお行儀が悪いですが速足に急いで、さらに小走りで待たせている馬車へと戻ります。
私の姿を確認した若い御者が慌てて身なりを整えます。仕様がありませんわね、後で家令に報告ですわ。
「急いで出してちょうだい。」
私の気持ちをすぐに読み取る、侯爵家きっての優秀な侍女のマーゴは御者に指示を出します。安心してここからの段取りに集中できますわね。
そのまま馬車が止まるまでマーゴと、アルフォンス様をどうやって元気づけたらいいのかを話し続けました。
*******
私の婚約者である伯爵家ご子息のアルフォンス様は、優秀な騎士を輩出する家系の中では珍しく魔術に長けているお方です。とても素敵な方で、年頃の女の子たちほとんどが彼に恋していたといっても過言ではありません。冷たい雰囲気を纏ってあまり表情を変えないアルフォンス様は髪色と相まって、『氷の貴公子』という呼び名が定着するほど女の子たちの話題の中心でした。
そんな方が私の婚約者になったと聞いたときは、嬉しさよりも戸惑いの方が大きかったのです。
「 お父様、あの、本当ですの?アルフォンス様が私の婚約者になったというのは・・・! 」
「 ああ。あちらから打診があった。本来なら格上の侯爵家へと申し込む、という事はありえないことだが、相手はアルフォンス君だ。こちらからも願ったりだったな。むしろこちらから打診しようと思ってたくらいだ。」
「 ですが、わたくし、アルフォンス様よりも二つも年上ですのよ? 」
「 あちらもそんなことは承知の上だ。政略なんてこんなものだろう。」
「 でも、本当に私でよろしいのでしょうか。」
「 しつこいぞ。言っておくが、この婚約をみすみす逃すでないぞ。あの伯爵家は先の魔物討伐での英雄だ。その息子で畑違いとはいえ最年少で魔術団に迎えられた天才だ。こんな縁を壊すなんてもったいないことはできん。これを足掛かりにもっと高みに上り詰めてやる・・・! 」
欲に取りつかれているお父様はこのお話を大層喜んで私に言いつけました。
決してアルフォンス君に嫌われることは許さぬ、と。
機嫌を取るためなら金銭は惜しまぬ、なんてケチなお父様にしてはずいぶんと思い切ったことをおっしゃりましたわ。おかしくて笑いそうになる口元を押さえるのに精いっぱい表情筋を動かさない様に締めたのも懐かしい思い出ですわね。
婚約が発表されてから周りもずいぶんと変わりました。そういえば最近は嫌がらせも落ち着いてきたような気がします。最初のころは容姿をこき下ろされたりすごかったですわ。主にこき下ろしてくる方のお顔が、その、控えめに言っても醜い魔物代表と言ってもいい、オーガのようでしたのよ。流石に怖くてちょっぴり涙が出てしまいました。
でも面と向かって言ってくるのはいい方でひそひそと陰口を立てられ、ないことないこと噂されて、人の悪意というものに触れて、正直気持ちが折れそうになることが何度もありました。
婚約を破棄しようかと思うところまで追い詰められて、でも誰にも言えなくて・・・。そんな私が持ち直したのはアルフォンス様の言葉でした。
「 貴女が今、どんなにつらい状況なのかはわかっているつもりだ。でも、申し訳ないが婚約は破棄できない。貴方と離れてしまったら自分はダメになってしまう。ずっと一緒にいられるように頑張るからそばにいて!! 」
「 ・・・。」
前々から何となく見えていたような気がしたんですけれど、そんなはずはないと否定していたんです。だって、『 氷の貴公子 』様ですのよ! そんなはずがありませんもの。でも、この時にはっきり見えたのです。幻のワンコ耳が頭についていて、ペタンと伏せられているのを! しかもモフモフの耳が!!
アルフォンス様、そんなウルウルした目で見られてしまうと・・・。もう我慢なりませんわ!
怖がらない様にそっと近づいて頭をなでなでなでなでなでなで・・・・・。くっ! 手が止まりませんわ。サラサラでいてつややかな柔らかい髪。なんていう恐ろしい攻撃力かしら。私の心をピンポイントで攻撃してきました。
私の心の中を察している侍女のマーゴは先ほどから部屋の隅で引いています。そんな残念なものを見る目で見ないでください。こんなアルフォンス様を見たら可愛がって面倒見てあげたくなりますわよね!
キュンキュンしている胸を押さえて右手はアルフォンス様の頭を止まることなく撫でています。ああ、この撫で心地、たまりませんわ。
ほう、とため息が出ます。ため息が思いのほか部屋に大きく響いたようで、アルフォンス様が私の撫でている右手から後ずさります。
ああ、至福の時間が終わってしまったのですね、残念ですわ。
そう思ってアルフォンス様の方を見ると、もう普段通りの『氷の貴公子』になっていました。
先ほどの可愛らしいお姿はもう見ることはできないのかしら・・・。
ちょっと悲しい気持ちがあふれてしまい、口元が震えます。あまりにも淋しく、胸にぽっかりと穴が開いたようでした。何なんでしょうか、この気持ちは。そんな自分に驚いているとアルフォンス様が少し離れた場所から話しかけてくださいました。
「 ・・・すまない。その、ぼ、いや、私にできることならなんでもしよう。だから・・・。」
「 本当ですか? 」
「 あ、ああ。男に二言はない、です。」
ちょっと食い気味に問いかけた私にアルフォンス様が後ずさりながら答えます。
アルフォンス様がおっしゃることが本当なら、これは私にとって、チャンスですわ!
「 では、また、頭を撫でてもいいでしょうか・・・。あ! もちろん無理にとは言いません。その、時々でいいんですの。」
はしたなくもお願いした私にスッと息を吸い込んで青ざめるアルフォンス様。私は空気が読める子なんですのよ。慌てて取り繕います。沈黙が続くにつれて、段々と焦りが出てきます。交渉事には焦りは禁物なのですけれど、自分の感情を抑えられません。いたたまれなさに部屋を飛び出しちゃおうかしら、と思い始めた時、アルフォンス様が口を開きました。
「 わ、わかりました。では、私が落ち込んだ時だけ、その、な、撫でることをお願いします。」
「 ・・・は、はい!!ありがとうございます。」
満面の笑みを浮かべながら距離を縮めて、思いっきりアルフォンス様の手をこれでもか、と握りしめてしまいました。ちょっとアルフォンス様のお顔が引きつっていたような気がしますが、それは、ほら、撫でてもいい許可をいただけたことよりも些末な事ですわ!
それから少し時間がたちまして、アルフォンス様は私、エイミーをエミ、と。私はアルフォンス様とアル、と呼び合うくらいには私とアルフォンス様も仲が良くなっているはずと自負しておりますが・・・。
しかしながら残念なことに一度も魔術が成功したところを見たことがありませんの。
・・・まあ、私的には撫でさせていただくことが増えますのであまり気にしていませんでしたが、アルフォンス様の方が気にしてしまって・・・。
本当になんで初歩の魔術を失敗してしまうのでしょうか。世間ではできる魔術師と名高いはずですのに・・・。またもや盛大に失敗した婚約者の為に、大好物のリンゴのケーキを持って行って、少しは慰めになるとよいのだけれど。
そしてその後に待っている至福の時間をお互いに至福の時間にすべく、全力を尽くす所存であります!!
鼻息も荒く、いえ、決意を固め手を握りしめます。お茶の時間までのタイムトライアルですわね。がんばって間に合わせますわよ!