40 大切なもの
まるで俺たちの言葉を聞いていたかのように、カーン、カーンと鐘が鳴る。
女神なら本当に聞いててもおかしくないけどな。
さて、決着をつけようじゃないか。
誰が来たか確認もせずに扉を開けた。
ちゃんとリルハさんが立っている。
「お待たせしましたか。あるいはもっと待ってほしかったですかね。とにもかくにも、対価をいただきに参りました」
表情は今回も硬い。取立てと考えればそれも当然か。
「結論はあっさり出ました。ただ、また店の前で立ち話というのもなんなんで、空いてる席にでも座ってください」
サンハーヤとレトも前回より近い距離で見守っている。
でも、あくまでも家主も店主も俺だし、力を得てしまったのも俺で、リルハさんが指名したのも俺だ。俺がすべてを決めなければならない。
とはいえ、けっこう恥ずかしいことを言うから抵抗はあるけどな……。
でも、案というかネタを考えたサンハーヤが見てるわけだし、全然違うことをいきなり言うわけにもいかないだろう。
適当なテーブル席にリルハさんは座る。
「さあ、それじゃ、早速ですがオルフェさんにとって大切なものを代価としていただきましょうか。それが何かお聞かせ願えますか?」
「その前に確認なんですけど、これってまた何度も召喚能力を使ったら代価をもらいに来るってことですか?」
「それなりのものであれば、召喚能力を一生涯使っていただいてかまいませんよ。別に請求して儲けるような意識はこちらにはありませんので。あくまでも、公平性を期すためのものなんです」
傾いた天秤を元に戻せってことなんだろうな。
後ろからサンハーヤが「あれを言っちゃってください!」とエール? を送っていた。レトも腕を組んでみている。
「わかりました。リルハさん、俺が出す代価はこれです」
聞くリルハさんもそれなりの覚悟がいるのか真剣な顔になる。
「俺の童貞です!」
最初、リルハさんは反応がなかった。多分、変な答えすぎて理解が追いついていないんだろう。
「すいません、聞き間違いかなと思うのですが、オルフェさん、童貞と言いませんでした?」
「それで合ってます」
「な、ななな……何を言ってるんですか、あなた! バカにしてるんですか? しかも下ネタじゃないですか! こっちは腐っても女神のはしくれなんですよ!」
顔を赤くしてリルハさんが怒った。やっぱり、ダメだった! 想像ついてたけど、ダメだった!
そこにサンハーヤが飛び出してきた。
「オルフェさんの大切なものを代価にすればいいんでしょ? じゃあ、いいじゃないですか! 大切ですよ!」
発案者は譲る気はないらしい。あれ、ギャグじゃなくてマジだったんだな……。いくらなんでもギャグを言う空気じゃないと思ってたけど……。
「大切かどうかとか、あんたらの貞操観念なんて知りませんよ! そんなんで誤魔化せるわけないでしょ! ええと、エルフのサンハーヤさんですね、もうちょっとまともなことを言ってください……」
「まともです! 私はずっとまともです!」
むしろ、だから困るのだが……。
「ほら、ほら! 女神としてオルフェさんが捧げる童貞もらってくださいよ! さあ、さあ!」
女神の顔がとんでもなく真っ赤になった。それもそうか……。
「あ、あなた、おかしいですよ……。それ、ハラスメントですし……」
「知りませんよ! 私たちだって女神のイチャモンをどうやって切り抜けるか全力で考えたんですからね!」
ああ……なんだろう。すごく重大なシーンのはずなのに、とてつもなくあほみたいなことになってるぞ……。
「こっちはこっちで冒険者の皆さんに無茶苦茶感謝されてやってんですよ! つまり無茶苦茶社会の役に立ってるんですよ! じゃあ、いいじゃないですか! 善行ですよ! なんで対価とか求めてくるんですか!」
その時、サンハーヤが俺が思っていたことを言ってくれたと思った。
そうだ。俺たちは役に立ってる。それじゃダメなのか? そりゃ、ほかの世界の誰かの店の料理を奪ってるっていうならともかく、召喚しても減らないとかそういう話だったし。
だからって、それで女神を追い返すことなんてできないけどな。
料理を召喚しても女神には勝てない。
「と、とにかく……代価が童貞なんてのはダメです! それは無価値です!」
なぜ女神に辱められてるんだ、俺は……。辱められた分の代価は払ってもらいたい。
ここまでは規定路線だ。とくに絶望したりなんてこともない。サンハーヤだけがこれでいけると思っていたらしい。
「リルハさん、じゃあ、ほかの案を提示します」
「あ、ああ、よかった……。ゴリ押しされたら、最悪存在を抹殺していいか上司に聞かないといけないところでした……」
おい、縁起でもないことをさらっと言ってきたな……。
「それで、ほかの案って何ですか?」
俺は自分の胸に手を当てた。
そして、こう言うつもりだった。
――俺の、異世界の料理を召喚できるこの能力を渡します、と。
もう、決めていた。
召喚能力がなくなってもやっていける。料理の存在を知ったんだから見よう見まねで似たものを作ることはできるかもしれない。そのうち、味のレベルだって上がるだろう。
それにサンハーヤとレトっていう家族を失わないなら、それでいい。店だって残るんだし、いくらでもやっていけるじゃないか。
「リルハさん、俺は異世界の料理を召喚できるこの能力――」
「待ってくださいっ!」
サンハーヤが叫んだ。
俺の声はそれで中断されてしまう。
そして、サンハーヤも俺みたいに胸に手を当てて言った。
「リルハさんでしたっけ? あなたに代価として支払うものは私が言います! それは、私ですっ!」
え……? えええっ!?




