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餓鬼

作者: 笹クレ団子

 目の前の光景に男は絶句した。

 世界中のありとあらゆる料理が一同に介していた。和食に洋食、中華を初めアジア各国の料理、どこの国の料理か判別できないもの、肉に野菜に魚介類、赤青黄…。

 それまでホームレスをしていた男にとっては夢のような光景であった。

 今すぐにでもそれらの料理を食いあさりたい衝動が取り憑いていた。

 男の目の前には料理とそれ以外、白い服を着た老人があった。老人は白衣を着ている。その姿から男は老人を医者だろうと思った。白い服にしわくちゃな白い肌、白い髭をたくわえ、眉毛も白い。

 男には生気が無いが、老人には生気が漲っていた。

 数時間前に男は公園のベンチでゆっくりと、しかし着実に死へ向かって不毛な時間をぼんやりと費やしていた。生命を維持するための栄養が底を尽きかけていた。意識はモウロウとし、全身の感覚はただ重かった。

 そこに黒服の男達が数人現れた。始めは何が起こったのかさっぱり判らなかった。黒服達は男の腕を掴み、その場から引き離そうとした。強引に。男がいくらぼんやりしていたとしても、いくらただ死を待つだけだったとしても目の前に急速に迫る死の可能性を回避しようとするのは必然であった。栄養の行き届いていない腕、足、首、腰、間接という間接を全てをデタラメに動かし抵抗を試みた。最後の抵抗に相応しい狂ったような行動であった。

 黒服の男は、ホームレスの男とは違い、身体の隅々まで栄養が行き届いた屈強な腕、それも二本ではなく、多数本でホームレスから自由を奪い車へと押し込んだ。

 ホームレスは尚も生への執着を見せる。今までの自らの腑甲斐無い生き様を恥もせずに生へ執着した。黒服にとってはただ面倒が一つ暴れているに過ぎず、面倒事を消すには薬を嗅がせることが最良の手であった。薬物はホームレスの意識を消し、面倒事も消し去った。

 気が付くと男の目の前には食があった。

「気が付いたようだな」

 目の前の白い老人が、恐らく男に話しかけてきた。

「誰だ」

「ここにある食べ物は全部君のものだ」

 すぐに意味は判らなかったが、唐突に男は無限の御馳走を手にしたのだった。

「これ、全部食っていいのか」

「そうだ。好きなだけ食べればいい。だが一つだけ条件がある」

「何だ」

「残さず食べること」

 言葉を聞き、後は本能だった。手当たり次第に口に含んだ。味は関係ない。空腹を満たすものが有るだけで幸せだった。

 残さず食べる。栄養の全くない男には無限の栄養を摂取することは容易いように思えた。

 三十分もしない内に満腹になった。男の胃は鍛錬を怠ったために貧弱であり、望む栄養も今まで耐え抜いて来た分ではなく、今必要な分しか必要としなかった。

「誰かは知らないがありがとう。もう満腹だ」

「それは良かった。残りもこの調子で食べてくれ」

 そう言うと老人は部屋を後にした。

 部屋には頑強そうな扉が一つあるだけで、他には無限の食べ物が残されていた。

 男には状況が理解できなかったが、目の前の御馳走を全部食べればいいのだろうと、考えていた。よく判らないが、悪い状況には思えなかった。

 初めの数日は何の苦もなく満足した日々を送った。世界の食を好きなように食べることができた。それまでの男からしたら天国そのものだった。

 しかし、その後には地獄が待っていた。世界中の料理は腐りだし、異臭を放ち、食べても腹を下す。部屋に備え付けられたトイレを日に何往復もする。それでも少しでも栄養がある腐ったものを食べた。しかし、いくら食べても終わりが見えてこない。世界には果てしがなかった。

 頑強な扉を叩き、どうにかこの地獄から出してもらおうと懇願する日が続いた。

 地獄の門は閉ざされたままだった。

 やがて男は衰弱し、ホームレスだった時と同様にただ死を待つだけとなった。それはホームレスだったころよりもより強力な苦痛だった。世界中の料理を目の前にそれを食べ損ねたということがその原因だった。

 意識は薄れ、今まさに死を迎えるという瞬間、老人が現れた。老人はおにぎりを一つ持っていた。男は薄れていく意識の中でこう言った。

「どうか、このまま、私を、死なせて、下さい」

 願いはおにぎりと同じく放置された。


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