魔物-2-
シャーロットの強さに感心するも、すでに疲れが出てきたラクトは次第に重くなっていく体に焦りを感じた。息は荒く呼吸も乱れ、身体中汗だくだ。一方魔物は変わらないスピードでまだラクトを狙って追いかけてくる。
(なんとか逃げ切りたい…けど、体が重い…疲れた…嫌だ…俺―――――――っ。)
頭の中でまたぐるぐる思考が混乱してきた。ラクトは必死で逃げているが、どんどん魔物との距離が近づいている。
(俺―――――――っこのまま…。)
熱くなった頭でボーッとなっていたのか、目の前に大きな木が立ち塞がっていたことに気づくのが遅れ、ついにラクトはそこで立ち止まってしまった。
(――――しまっ、た。)
振り返ると…魔物も十メートルほど離れたところで止まり、ジリジリと追い詰めるようにラクトに向かってくる。縮まっていく距離、次第に聞こえてくる魔物の呼吸音、逃げ場のない自分。
もう一度走りだそうとするも、一回止まってしまった足は言うことをきいてくれずガクガクと振るえていた。すでに限界が近かった。動かない足がラクトをさらに苦しませる。
(動け!嫌だ…動いてくれっ…俺は…嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…。)
荒い呼吸は一層荒く、激しい鼓動は一層激しく、ラクトは不安と恐怖に飲み込まれ、もう落ち着いて考えることなど出来なくなっていた。
(無理だ…。)
そして突如として、それは諦めに換わった。
(無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ―――――――――――!)
その時だった。
「――――はあああああぁっっ!!」
森にシャーロットの雄叫びが響き渡った。ラクトはその声に驚き、バッと顔を声のする方へ反射的に動かした。
目をやると、シャーロットは大きな魔物の上にまたがり大剣を大きく振り上げ、勢いよく魔物の頭と体の間に剣を突き刺していた。ブシュウウゥッと魔物から緑の体液が噴水のように溢れだし、魔物は金切り声をあげながら体を振ってシャーロットを落とそうとした。が、シャーロットは容赦なく突き立てた切っ先を奥へ奥へと差し込んでいく。
たった数十秒の出来事だった。魔物はガタガタガクガク震え、やがて力尽きドシンッと音を立てて地面に倒れた。勢いよく出ていた体液は傷口からドクドクと流れ、大地を緑色に染めていく。
夢を見ているようだった。
自分よりも何十倍もの大きさの化け物を、大剣一本で、しかも女の人が、目の前で倒す姿にただただ圧倒された。
この瞬間、ラクトは自分の措かれている状況を、本当に忘れていた。
「…すごい…。」
圧倒的強さを見せたシャーロットからラクトは目が離せず、自分に近づいてくる恐怖があることを思い出せないでいた。すると、倒した魔物の上からシャーロットはラクトの方に向かって視線を投げた。まだ茫然とこちらを向いているラクトを見て、シャーロットは大きく息を吸い、眉間にシワを寄せながら怒鳴り声を上げる。
「お前は死にに来たのか!?生きたいのか!?どっちなんだ、ラクト!!」
「…――――俺…?」
シャーロットの言葉がラクトの中に響く。
死にに来たのか…生きたいのか…。
死ぬか?
生きるか?
ついにラクトの前に魔物が立ちはだかった。シューシュー呼吸する音が、地面をザクザクと進む音が、すぐ近くにある。目玉のついた舌をダラッと垂らしラクトを見つめ、まるで人間が薄ら笑いを浮かべたように見えた。
(怖い、恐ろしい、逃げたい、嫌だ、俺…は。)
ようやくラクトを射程距離に捉え、魔物は叫び声をあげながら一本の足を大きく振り上げた。そしてその足をラクトめがけて振り下ろす。
勝てないとわかっていても、やられるとわかっていても…。
村を出て、自由になりたいと願ってここまできた。その理由は、考えるまでもなくシンプルだ。
「―――…俺は…。」
瞬間、ラクトは腰に差していた剣に素早く手を伸ばした。
「―――――生きたいっ!!」
ラクトは勢いよく剣を抜き、向かってくる足を避けつつ魔物の懐に飛び込んだ。そしてそのまま魔物の下に潜り、シャーロットと同様に頭と胴体の間に剣を突き刺した。
「ピギャアアアアアアア――――――ッ!」
魔物は叫び声を張り上げ頭を何度も振り、足をジタバタさせている。ラクトは必死で下から横に移動しながら、重くなった剣をギリギリと上げていき、ついに剣先を振り切った。刹那、ブシャアアアァッと緑色の生暖かい液体が魔物から吹き出し、ラクトは思わず目をつぶってしまった。
その時ついに魔物から生気が消え、魔物の体がガクガクとバランスを失い、すぐ側にいたラクトもろとも大きな音を立てて崩れてしまった。
一時、辺りは静寂を取り戻した。緩やかな風がさわさわと、森の木々を揺らす音だけが聞こえていた 。