一夜-1-
「はぁ…。」
緑色の体液を拭き終え、大剣を鞘にしまったシャーロットから、一つのため息が漏れた。
自身が倒した魔物から離れ、ラクトが倒した魔物の方へ歩みを進める。そこにはラクトのつけた切り傷からドクドクと体液を流し、白く濁った目玉のついた舌を伸ばして崩れる魔物の姿があった。その周りの土は緑色に染め上げられ、魔物自身の髭や胴体にも及んでいる。
そして、ヒタヒタと溜まる体液の水の中に、人間の足が見えた。頭と胴体の間、そして大地との間に挟まるようにして、そこにある。シャーロットはその前に立ち、小さく呟いた。
「――――…ラクト…。」
「……………ぅ―――――――っはっ。」
シャーロットの足元から声が漏れた。
魔物の体がカタカタと揺れて、頭と顎がカクカク交互に動いている。すると、ザリザリと土を擦る音が聞こえてきた。シャーロットは膝をつき、魔物の下を覗き込む、と。
「…はぁ…はぁっ、―――――――――生ぎでるぅ―――っ!」
静かな森に弱々しく、そして大きな安堵のこもった声が響いた。
魔物と地面の間から土まみれの顔を出し、ボロボロ大粒の涙を溢して彼は泣いていた。
「っぷ、ははっ!よくやった、ラクト!」
魔物の下からラクトを引っ張り上げながら、シャーロットは笑って言った。
辺りは夕暮れの赤い光が拡がり、もうすぐ夜がやってくる。二人は少し移動し、見つけた川で汚れた服を洗って、そこで一夜を過ごすことに決めた。石だらけの川辺に拾ってきた長い木の枝を二本突き刺し、ロープをくくりつけ、洗った服を通して乾かした。
シャーロットは自分の荷物の中から円盤を取り出しスイッチを入れた。すると円盤は薄緑色の柔らかい光を放ち始め、やがて中心からみるみる炎が上がりだした。ラクトも家から持ってきたランプに光を灯す。
すでに日が落ち月が顔を出していた。二人はローブを羽織って円盤を囲み、ラクトが村の少女ミルからもらったお弁当を開けてみた。魔物との闘いで、逃げたり潰されたりと散々だったが、なんとか形が少し崩れただけだった。木の皮で編んだ包みの中身は村の家庭料理、イモと木の実をすりつぶして焼いたもので、ラクトは目に涙を浮かべながら黙々と食べた。シャーロットも美味い、と一言だけ呟き、あとは何も言わなかった。
食べ終わった後、シャーロットは持っていた缶詰でスープを作りラクトに渡した。夜になって冷えてきたので、温かいスープが体に染み渡る。
しばらく沈黙が続いたが、ラクトは重い口を開いた。
「…………ありがとうございました、シャーロットさん。」
「ん?なんだ突然。」
向かい合って座っていたラクトを見てシャーロットは言った。ラクトは彼女の目を見つめたあと、手に持っているスープの器に視線を移す。
「…すごく今さらなんですけど、昨日初めて会った俺なんかの為に、こんな危険な旅についてきてもらって、ちゃんとお礼言ってなかったので…。さっきも魔物に襲われた時、シャーロットさんがいなかったら…俺、絶対死んでたなって思って。」
「まあ、そうだろうな。」
あっさり肯定されてちょっとだけショックだったが、ラクトは苦笑いしながら一口スープを飲んだ。
「…ま、でも初めて魔物と出会って、あの大きさを倒したんだ。まあまあよかったんじゃないか?」
「本当ですか?…へへ。」
その言葉を聞いてシャーロットに初めて褒められた気がしたラクトは照れたように笑う。
「ああ、普通だったら死んでたからな。初めてなら。」
「…………………へ?」
シャーロットのその言葉にラクトは思わず顔を強張らせた。
「…え?シャ、シャーロットさん…それってどういう―――――?」
「私も色々見てきているが、あれだけの大物がうじゃうじゃいるとはな。ま、この森に迷い込んだ人間なんかが餌になってたってことなんだろうな?」
「…。ハアァ―――――――――――――――――――――――――ッッ!?」
平然に淡々と話すシャーロットにラクトはおもいっきり大声をあげた。そんなこともお構い無く、スープを飲み終えたシャーロットは荷物の中から酒の入った缶を取り出し、ラクトの動揺を気にもとめずにぐびぐび飲み始める。
「いやいやいやいやいやいやいやいや!?それって俺死ぬかもってわかってて一人であの化け物と闘わせたってことですよね!?ほ、本当に初めてだったんですよ!?実戦も魔物を見たのも――――――!?」
「それは聞いてたけどさ、お前ならやれると思ったんだよ。ほら、村で小さい頃から訓練受けてたんだろ?筋肉もまあまあついてるし、あの逃げ足の速さがあったし…。それにお前、逃げてるときも魔物と対峙したときも、目をしっかり開けてたからな。よく訓練されてたんだと思ってさ?」
自分も闘いながらだったのによく見ている。シャーロットは見殺しにするのではなく、ラクトを試していたのだった。これから一人で生きていかなければならない無知なラクトが、どこまで通用するのかを。
あの魔物でさえ倒せないのならば、そのまま置いていくか村に突き返すかしようと考えていたのだが、それはあえてラクトには言わないことにした。一方ラクトは褒められて嬉しいような、冷たく突き放されたような、なんだか色んな気持ちがごちゃ混ぜになってシャーロットも自分の気持ちもよくわからなかった。そこで一つだけ質問してみることにした。
「…そんな…確証とかはあったりしたんですか…?」
「まあ、勘だな。」
見事に一刀両断された。
「っ――――――勘って…!?そんなぁ――――…。」
ラクトの口から魂が抜けていくように、体から力が抜けていった。危うく持っていたスープの器を落としそうになったが、なんとか意識を取り戻し溢さずにすんだ。
「昨日今日初めて会った人間のことなんてわかるわけないだろ?でもお前は、あの図体のでかい化け物を一人で倒したんだ。私が一切手を出さずに。よくやったよ。」
強く、そして柔らかいシャーロットの言葉に、ラクトは思わず顔を赤らめた。単純な性格だ。
「…でも、やっぱり俺だけじゃ倒せなかった…。」
勇ましく魔物と闘うシャーロットの姿を見て、いや、その前にあの状況の中にシャーロットが一緒にいたからこそ、ラクトは最後の最後に勇気を出し立ち向かうことができたのだ。ラクトは顔をあげてシャーロットの目を見つめた。二人の間にある炎がユラユラと揺れて、シャーロットの瞳がまるで赤く燃えているように見えた。
「………シャーロットさん、本当にありがとうございました!」
座ってスープの器を握りしめながら、ラクトは深々と頭を下げた。
シャーロットは一瞬きょとんとしていたが、ニカッと笑ってこう言った。
「お役に立てて光栄ですよ、勇者様。」




