一 束の間の平穏
『そもそも神術と魔術の違いは、どこにあるのか。それは今日まで多く論議されていることではあるが、未だに答えのない問いの一つである。
神術と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、かの西の大国ヴィーフィルド皇国と数千年前の二つの神魔大戦、その後の大迫害であろう。そのせいで彼等は我々只人に対して頑なになっているが、一度仲良くなれば、彼等は非常に情に厚く得がたい友人となる。
しかしひとたび、敵対してしまえば、比喩ではなく文字通り地の果てまで追い詰められてしまう。私が見たところ、これは神力・魔力保持者双方に言えることだが、力持つ者は総じて感情の起伏が激しい。情の深さがこれを助長しているといえよう。
一概に言えることではないが、前の章で述べたように神力・魔力保持者は精神の構造・思想は非常に似通っている。ではそこから関連して神術と魔術の相違となると、一転して話は専門的なことが多く、一般市民には理解しがたいのだが、私はあえて、現時点で明らかになっていることだけではあるが、これについての解説を行っていきたいと――』
――オーリス・イーラン著『なぜ世界は双極に溢れているのか』より
以下破損のため欠落
**************************
「アル従兄様って兎みたいよね」
シェランの突然の発言に、ソルディースは手にしていた稽古用の剣を取り落としかけた。
「……な、にをいきなり?」
妙なところで言葉が切れたが、誰も彼を責められないだろう。
ソルディースだけではない。居合わせた彼女の父である皇太子、ジェレストールは目を点にしている。先程までソルディースと打ち合っていたセイルードも、イルヴァースも、ジスカールも、弓を番えた姿勢で固まったライゼルトも、世にも奇妙なことを聞いたという気持ちと、愕然が入り混じった複雑な表情だ。
彼等の思いは、今、一つだった。
密かに存命中のヴィーフィルド皇族の中で最も物騒だと囁かれている男を、どこからどう見たら「兎」になる!?
「兎は寂しいと死んじゃうでしょ。アル従兄様もきっとそうだと思うの」
「はぁ…………」
どう考えても、どう考えても、この皇女様は何かを勘違いしている!
誰もがそう突っ込みたかったが、当のシェランは自論を語る。
「年下や部下の面倒見はいいけど、結構世話焼きでしょ。でもねぇ、あれ実は、寂しさの裏返しなんじゃないかって、最近思うの」
アルトレイスが面倒見がいいのは従妹皇女に対してのみであり、その他の年下・部下に対しては、血も涙もない冷血漢だととみに有名だ。無表情で冷徹なところは、実の娘を差し置いて伯父である皇太子に似ていると評判である。
「いや、シェラン、別にお前はアルが仕事をしているところを見たわけでもないし……」
「何言ってるの、ソール。見たことぐらいあるわ。休憩時間に話しに行ったら盤上遊びでこてんぱんに負かされるし、こないだは海賊拿捕の場面を目撃したし。公私で性格変わるよね、アル従兄様って」
「………………」
皇太子とジェレストールは目を逸らして茶を啜った。二人は全く別々に、しかし同じようにシェランが異世界から帰還した直後のことを思い出していた。
**************************
「王子宣下を取り消して下さい」
光臨の奇跡の後、城に戻って溜まりに溜まっていた書類の山が残り二つにまで減り、心理的に余裕が生まれ始めていたときのことだ。
皇王と皇太子、ヴィライオルド公爵とジェレストールが春の祭祀についての打ち合わせをしているとき、アルトレイスはげっそりとした顔で皇王執務室に来て、開口一番にこう言った。
「……どうした」
孫息子の常になく憔悴した様子に、皇王は驚いた。手にしていた書類を置いて、向き直る。
「お前を王子に叙したのは、後継者のこともあったが、あれが戻った後も何かと苦労するのがわかっていたからだぞ。位が高い方が動きやすいことも多くある。逆は他の者に任せておけばよい。……なんだ、この期に及んで全ての補佐を自分がやりたいなどと言い出してくれるなよ」
「そうではないのです。できるものならしますが、俺一人で補佐しきれる量ではありませんし」
女性が百人いたらその百人を全員陥落させられそうな秀麗な顔を苦悩に歪ませて、アルトレイスは葛藤を吐き出した。
「……嫌われそうで」
全員が目を瞬いた。
「誰に」
「シェランにです、もちろん」
「意味がわからん」
だんっ、と拳を皇王の机に叩きつけて、アルトレイスは叫んだ。
「だって、シェランの中で絶対絶対、俺は悪役ですよ!? 王子宣下を受けているなんて知られたら、シェランに自分がいない間に俺が皇位を乗っ取ろうとか考えていたなんて思われるに決まってます! 『最低ね、大嫌いよそんなヒト』――そんなことを言われて絶縁でもされたら、生きていけません!」
沈黙が落ちた。
「…………飛躍しすぎだ、アルトレイス」
皇太子が額に手を当てて疲れたように言った。
「王子宣下を受けるときも似たようなことを言っていたな」
「あのときは本当に苦渋の決断でした」
再びどんよりとした空気がアルトレイスを覆い始める。
「それほどあれの反応が気になるのなら、直接言ってくればいいではないか。何なら今宵の晩餐の席にでも言っておこう」
絶叫を上げてアルトレイスは皇王に縋りついた。
「アルモリック卿!」
ヴィライオルド公爵が慌てて注意を促すが、こと従妹皇女が中心となると、生半な制止ではこの青年は止まりはしない。血走った目で皇王に迫る様子は、はっきり言って理性が飛んでいる。
「駄目です! 絶対に、駄目です! そんなことをするくらいなら、いっそ……」
「落ち着かんか、馬鹿者」
「俺の人生をどん底に突き落とすつもりですか!」
そうとうキている。頭は大丈夫かと問いかけたくなる様子だ。
この後、約一月に渡って言う、言わないの問答を繰り返す羽目になったが、結局は別口からシェランに王子宣下の事実は知られていたという落ちがあったというのは笑い話である。
にっこりと笑って「アル従兄様がいるなら安心ね」と言った従妹に対してアルトレイスがどのような反応をしたかは割愛する。
しかし、その様子を見ていた皇王は一言、呟かずにはいられなかったらしい。
「その甘さを千分の一でいいから、部下達にも見せてやればよいものを……」
*******************************
「それにしても寒くなってきたね」
シェランは周囲の複雑な思いをよそに、湯気を立てる蜜茶の碗を両手で包んだ。
聖遺物『銀環』を回収して帰ってきたのが十の月半ばのことである。それから一月以上の時間が過ぎ、新年祭まであと僅かという、十二の月も下旬となっていた。
それに合わせて、装いも変わる。
女性はドレスの上に厚手で、時に上等の毛皮を袖口や裾にあしらったコタルディを羽織り、掛け衣も透けるような薄手の絹地ではなく、織りのしっかりとした綾絹を腕に絡ませる。シェランは掛け衣こそ使ってはいないものの、コタルディの袖口、襟元にはふわふわとした毛皮が暖かいものを着ていた。
男性は女性ほど装いの変化は顕著ではないが、やはりこちらも厚手で襟の高い上着を着て、夏にはほとんど付けていなかったサーコートを略式の肩章で留めている。襟締め(地球でいうところのネクタイ)も存在を主張しており、それを留めるためのピンは本当に多種多様だ。
旅から帰った後、季節の変わり目で体調を崩し寝込んでしまっていたシェランは、未だに外に出ることを許されていない。だからこうして、衣装の移り変わりでしか、今のところ季節の変化を感じる術がなかった。
「ねぇ、お父様……」
「駄目だ」
「まだ何も言っていない!」
「外へ出たいと言うのだろう。駄目だ」
シェラン以外の皆も皇太子の言葉に頷いて同意を示す。
「またお風邪を召されてはいけませんから。治りかけが一番危ないときですよ」
ジェレストールにまで笑顔で遠回しにきっぱりと「駄目」と言われては、引き下がるしかない。
シェランは大きな溜め息をついた。
「……暇」
超詰め込み型の後継者教育も一段落つきつつあるし、新年祭まではこれといった公務もない。聖女関連で言えば聖遺物回収のことがあるのだが、前述の通り風邪を引いてしまったため、占具を取ることも禁じられていた有様だ。
要するに、彼女は今、退屈していた。
「姫様」
咎める声を聞き流して、シェランはもう一度、その単語を呟いた。
「暇。……大事なことだから二回言った」
「そうか? しかし年が明ければそのようなことも言っておられんだろう」
全員が一斉に、その声がした方へ振り向いた。その人の姿を認めると、立ち上がり礼をとる。
「お祖父様!」
鷹揚に手を振って面を上げさせた皇王は、用意されていた茶菓子を摘んで口に入れた。すっと侍従達が椅子を差し出し、侍女が新たに茶を入れる。
皇王は孫娘を見て、口元に笑みを佩いた。
「風邪は落ち着いたようだな」
「もうすっかり元気です。それよりどういうことですか、年明けが忙しいって……新年祭が済んだら、またしばらく暇になるのではなかったのですか」
「何だ、誰も言っておらんのか」
驚きというより面白そうな表情で言った皇王に、皇太子が渋面で返した。
「まだこの子は病み上がりです」
「だとしても、自分の誕生記念式典の予定を知らされぬとは可哀そうに」
聞いていたシェランの目が点になった。他の者は「……あ」という表情になった。
「たんじょうきねんしきてん?」
何それおいしいの? と言わんばかりの表情に、皇王は嘆息した。
「誰か言っておけ」
「仕事を溜めまくるどこぞの皇王陛下のお陰で、暇がなかったものですから」
息子の嫌味にもめげず、皇王は「まあ、座れ」と着席を促す。
シェランは首を傾げつつ祖父に問うた。
「どういうことですか、お祖父様。私、誕生日は式典なんて面倒なの嫌ですよ」
一応、祝っては欲しいらしい。
微苦笑しつつ、皇王は未だに『こちら』に戻りきれていない孫娘を諭した。
「考えてもみろ、お前の肩書きは聖女にヴィーフィルド皇女だぞ。今まで病弱と言い訳してやらなかっただけだ。光臨の奇跡を起こした後に正式な披露目となるような何かを催さねば、格好がつかんだろう」
つまり国としての体面の話、ということだ。
シェランは頬を膨らませた。
「だから最近、侍女や女官達がそわそわしてたと? 私は病み上がりで採寸地獄に叩き落されたと?」
「都合のいいときだけ病み上がりを盾にするな」
「事実です」
完全に機嫌を損ねてしまったらしい。
「大体、一年も経ってからそんなことしたってしょうがないでしょう。聖エディリーン祭にも、もちろん婚約式でも顔見せたのに、今更……」
「それは国内のみの話だ。今度は国外へ向けてのものになる」
「だからって……」
シェランの誕生日は年明けて三の月上旬である。今年は閏年だから、例年に比べて七日の猶予があるが、その期間は全ての業務が止まるから、実質準備期間には入らない。
二月程で式典の準備を整えなければいけないわけだ。はっきり言って担当者は気が狂うのではなかろうか。皇女の国外への正式なお披露目を兼ねた式典ともなれば賓客も膨大な数に上ろうし、他の細々としたことにも気を抜いてはいけない。
しかも、皇王は更なる爆弾を投下した。
「その次の日に、今度は二十五周年記念式典もやらねばならん」
「え、何の二十五周年?」
「陛下のご即位二十五周年です」
今度こそシェランは目を剥いた。
「即位二十五周年記念式典と、私の誕生記念式典を立て続けに!?」
それだけ大掛かりな式典を立て続けにやる――否。
「やれるんですか!?」
「やるしかないな」
淹れたての香草茶の香りを楽しむ皇王に、シェランは物申したいことがたくさんあった。
「じゃあ、面倒だから私の誕生記念式典なんて来年に持ち越しましょうよ! 来年なら成人の儀も兼ねられますし!」
「馬鹿を言うのも大概にしろ。来年は婚姻の儀も続けてやらねばならんのだ。披露目に成人の儀に婚姻の儀なんぞまとめてやれというのか? 三日続けて? それなら今年を披露目に当てた方がまだ面倒が少ないだろうが」
論点が激しくずれている。
どちらがより面倒か、と意見を戦わせる祖父と孫の仲裁をするのは、皇太子ファナルシーズの役目だ。
「シェラン、いい加減にしなさい。これは決定事項であって、お前の意見を求めているのではないのだ。父上も、もう少し言い様というものがあるでしょう」
「だって、お祖父様が!」
「シェランティエーラ」
父の鋭い睨みに、思わずシェランは身を引いた。
萎れた花のように小さくなってしまった娘に軽く罪悪感を覚えつつも、皇太子は話を進めた。
「主な招待国はミルフェン、オルトニア、サン=スース、ウェスタリア、イェストニア、ノルスリア、サースリア、イヤルド、ラーランド、先頃貿易を開始したカンカリエ、エードルト、エルレイン、ケレリス、ガルダニア、ローデンクロリア、間に合うようであればアーラントード、そしてデルフィニアだ」
途中から真剣に聞くことを放棄して木苺と林檎のパイに取り組み始めたシェランだったが、その皿を横合いから取り上げられてむくれた。
「返してよ、ソール」
「重要なことなんだ。ちゃんと聞いていたか?」
「招待国の話でしょ。私が聞いてなくても女官長やお祖母様が把握してるわよ」
「そういう問題じゃない」
前回の婚約式は、まだ婚約なだけあってそれほど大掛かりにはならなかった。しかし今回は国際規模で国の威信を示す行事を二日続けて執り行うのだ。主役の一人である皇女が、上の空でいてはいけない。
「招待客の中で貴女が直接面識があるのは、ミルフェン公夫妻とガルダニア王太子、それにカンカリエ王女とその父君ぐらいでしょうか。デルフィニア王弟は来るのかどうか……微妙なところです」
「近隣諸国の王族が、こぞってご機嫌伺いに来るだけでしょ。エヴァとルーエに至っては現在進行形で皇都にいるし」
「当日はお前からも一言挨拶してもらうからな」
蜜茶を思い切りむせてしまったシェランである。
侍女が差し出した手巾を受け取ってそのままごほごほと咳き込んだ後、シェランは抗議の声を上げた。
「聞いてません!」
「当たり前だ、今初めて言った」
何食わぬ顔で胡桃を混ぜ込んだケーキに手を伸ばす祖父に、シェランは「この甘党大狸!」と心の中で絶叫した。口に出すと各方面から一斉に注意と説教が飛んでくるからだ。
「わ、私の誕生記念だから挨拶はしますけど…………外交は今回は任せますよ? この前のエリアス王子とは比較にならない事態じゃないですか」
考えずとも馬鹿でもわかる。それだけ多くの国の使者が集まるとなると、ただ単純に一人の小娘の誕生日会などという平和なものになるはずがない。水面下で多くの情報が飛び交う、複雑怪奇な暗黙の外交の場だ。
そこでシェランははっとした。
「お祖父様……」
「何だ」
「式典二つもやらかして、釣り上げたいものは何ですか?」
皇王はにやりと笑った。
正解だったらしい。
「そろそろ、デのつく川向こうの国の真意を問い質しておかねばならんと思ってな」




