六 遺産の行方
最近のアルモリック卿はご機嫌が悪いと、リーヴェルレーヴ城ではまことしやかに囁かれていた。
近衛騎士団の同僚曰く。
「一緒にいると抜き身の剣を背に突きつけられている気がする。ウッカリしたら地獄の果てを見そうだ」
ヴィシュアール公爵家の執事曰く。
「昨夜などは御酒も召されました。皇女殿下に『従兄様、お酒臭いわ。臭いが消えるまで近寄らないで』と仰せを頂いてより控えておられたのですが」
兎にも角にもアルトレイスは、今日も今日とて不機嫌なのだった。
黒髪はどことなくつやがなく、藍色の瞳には憂いが濃い。それもこれも従妹のことが心配で心配で気が狂いそうなだけなのだが、彼に秘かに想いを寄せる令嬢達の間では、「叶わぬ想いを抱えて苦悩する閣下」とすこぶる評判が良かった。……あながち間違っていないとも、言えなくはない。
従妹以外の女性が自分のことをどう噂していようと、「閣下の憂いを除いて差し上げたい」と胸を焦がす娘が何人いようと、アルトレイスには悉くどうでもよいことだった。彼の世界は「従妹とその関係者」と「その他のぺんぺん草」で見事なまでに綺麗に分類されており、うるさいハエ(←群がってくる貴族令嬢)なぞ「その他以下」でしかなかったからである。
「世の男の知られたらいつか刺されるぞ」
呆れた祖父皇王や父公爵からの忠告も、うるさい羽音のひとつだ。
デルフィニア王弟クラウディオに取引を持ちかけうまく国へ帰してやったはいいものの、その後約束を守れるとは思っていない。何といっても彼は兄王と対立しているのだ。あの密談はできるだけ早くクラウディオが決起するよう、クラウディオの自尊心を刺激してやるのが目的だったのである。従妹を狙う芽は早い内に潰しておくに越したことはない。建国間もないデルフィニアは王位継承者が乏しい。更に兄弟の内輪揉めで国ごと斃れようが、それはアルトレイスの関知するところではない。
「何より不安なのは、ソールの馬鹿です!」
連日、彼は皇王に愚痴っていた。実の孫とはいえ、彼は臣下の身分なので本当は手打ちにされても文句は言えないのだが、皇王は苦笑しながら聞いてやっていた。
「旅は人の心を軽くすると言います。婚約者はあくまで婚約者! その辺をわきまえているのか…………ああ、婚前なのに間違いでも起こったらと思うと!」
「法律は変えられるぞ。別にお前が言うところの間違いがあってもどうせ結婚させるのだから問題はなかろう」
「そういう問題ではありません!」
今日も今日とて、アルトレイスは何かしら従妹の身の安全を危惧しているのだった。
シェランは何か不穏な気配を感じて身震いした。
「いかがされました」
夏だというのに震えた主を心配したジスカールが声をかけてくるが、シェランは首を横に振った。
「うーん……なんか誰かに激しく誤解されて噂されてるような気がして」
「噂ですか」
「ほっといて大丈夫だと思う」
うんうん、と頷いてシェランは自分を納得させた。思考を切り替える。
目の前にはニュクス島が見えていた。
「長いような短いような行きだったわ」
「珍しく様々な方と交流されておられましたな。アリテスタ嬢と親しくなられたようで」
「うん。……あの子とは、いつか本当の身分で話し合ってみたい」
ここまで言うとは、本当にアリテスタを気に入ったらしい。相手は商人の娘なので皇女としては褒められたものではないが、人見知りが少しでも克服できるきっかけになるかもしれない。
「お嬢様。午後には港に着きますが、お荷物の方はまとめ終わっておられますか」
「大丈夫。今すぐにでも降りられるくらい」
太陽が最も大地を照りつける時間に着いたニュクス島の港は、大賑わいだった。
「なんでこんなに人が多いの?」
入った宿屋の窓から表通りを見下ろしながら、シェランは疑問に思った。観光地として栄えているとはいっても、これは結構な数である。
「海鎮祭の期間ですから。この近辺の海はこれから冬の初めにかけて時々大きな嵐が来るそうで、それを少しでも和らげて欲しいと海の女神へ奏上する祭りです」
「……ああ。オルファ様か。あの人華やかなこと好きよね」
列聖式には、皇族や上位貴族だけでなく物好きで人好きな神もやってきていた。海の女神オルファは、穏やかな印象だが話してみると意外に気まぐれな性格だったのを覚えている。
「人じゃなく、神ですよ。このニュクス島は比較的大きな島ですし、今年は火祭りも同時に開催される年ですから、人も多く集まるでしょう」
「またお祭り?」
言ったその目はわくわくする、と語っていた。前回の聖エディリーン祭はミルフェン継承問題と、何より自国の祭祀であったことで、彼女は楽しむ以前に皇女としての公務を優先させられていた。今回はお忍びということもあって、好奇心がそそられるようだ。
「シエラ。一人で行動されませんように」
先にイルヴァースが釘を刺すと、
「じゃあ、誰かが一緒なら行ってもいい?」
と、訊いてきた。期待に満ちたその顔には、苦笑するしかない。皇城から出ることをほとんど許されない身の上なのだから、仕方がないともいえるが。
「ここまで来た目的を覚えておいでですか」
「もちろん。聖遺物の回収よ。でも……」
「肝心の聖遺物は島の神殿に安置されているようですからね。神殿まで行く途中にも色々と祭りの出し物はあるでしょう」
ぱあっとシェランは表情を輝かせた。
「ルヴァ!」
すかさずジスカールが注意を入れる。
「ですが、くれぐれも警戒を怠って下さいますな。特に食物です。我々が毒味をしていないものをお口になさってはいけません」
「わかってる! やった、そうと決まれば善は急げ、よ。神殿まで行ってみましょう!」
善であるのかは疑問だが、こうなったら誰も彼女を止められない。
荷解きすら後回しにして、彼等は大通りへ繰り出した。
大通りはごった返していて、なおかつ華やかなものだった。
目に鮮やかな極彩色のスカーフを頭や腰に巻くのは、南方女性特有のおしゃれだ。大きな宝石を嵌め込んだ耳飾りや首飾りは富を表し、男でも身につけるのが普通なようだった。
目にするもの全てが新鮮、珍しくて面白くて仕方がないシェランは、童心に帰ったように年上の幼馴染の袖を引いては
「あれは何?」
「これは?」
「どうして?」
を繰り返していた。
「三つ四つの幼子でもないのですから、少しは落ち着いて下さい」
「お待ちを! いけません、お一人では危のうございます」
「何度言わせたらわかるんだ!? 毒味をしていないものを食べるなとあれほど――!」
「聞き分けて下さい、お嬢様。それはなりません」
「そのように寄り道ばかりでは、神殿に着く頃には日付が変わっておりますよ!」
ちょろちょろと駆け回る主に、護衛兼、保護者達は、気の休まる暇がない。
「全く、貴女という方は!」
露天商に誘われるままに硝子細工を覗き込んでいたところを捕獲されたシェランは、もともと小さな体を一層小さくした。さすがにはしゃぎすぎた自覚はあるようだ。
「我々との約束をお忘れですか。絶対に一人にならない、傍を離れないと仰って下さいましたからこそ、我々は随行させていただいております。お一人になってはなりませんと申し上げるのは、御身の安全のためとお分かりですか? お傍に控えておらぬでは、いざというときお護りできません。主君をお守り申し上げるのは臣下の務めですが、臣下がそれをしやすいよう主君にもまた努めていただく義務がございます」
お忍びであることも忘れて、いつも皇城で諭すように言われては、さしものシェランも反省した。追い討ち一言も痛かった。
「我々にこのようなことで、『セリエ・レ・イエラ・ベルタンジェス』を言わせないで下さい」
『セリエ・レ・イエラ・ベルタンジェス』――神聖エルミア古語で「我が王に申し上げる」の意味である。
ヴィーフィルド建国間もない頃、初代皇王とされる時空神から四代に亘って皇王家に仕えた名宰相、当時の地霊王グェンダルスが王をただす際の口癖であったという。この故事に倣い、王はこの言葉が臣下から語られたとき、決して耳を塞いではならない。また、決まりごとの多い宮廷において、唯一臣下から王に話しかける無礼を許される一言だった。今ではヴィーフィルドだけでなく、世界の常識だ。
諫言の象徴でもあるこの重い言葉を持ち出されれば、いくら聖女であろうと皇女の身分を持っていようと、黙るしかない。
「……ごめんなさい」
「わかって下さればよいのです」
どちらが主君なのか臣下なのか、それこそわかったものではない。はしゃいでしまったその気持ちは彼らもわからないではなかったので、説教はそこで終わった。
最も、シェランは確かに彼等から離れなくなりはしたものの、逆に周囲に目が行き過ぎて何度も人の足に扱けそうになることに変わりはなかった。
「見られない?」
神殿に着いたはいいものの、『女神の遺産』とやらを見せてくれと神殿の長巫女に頼んだところ、それは無理だと返された。
いかにも「神職です」という浮世離れした雰囲気を漂わせるほっそりとしたその巫女は、なぜか疲労の濃い顔をしていた。ちなみに彼女に神力はないようで、本当にただ神殿に仕えているだけの巫女だった。
「確か『女神の遺産』とやらは公開されていて、しかも動かせないから参拝の者が触れることも許可されているはず。それが見られないとはどういうことです」
セイルードが問い詰めると、巫女はぎくりと身を引いた。
これは何か特殊な事情がありますと告白しているようなものである。少なくとも直後に巫女が口走った言い訳を鵜呑みにするほど、彼らは単純ではない。仮にも大貴族の嫡子として育てられたのだ。人の心の動き、特に動揺には敏感だった。
「我々はヴィーフィルドの大神殿から派遣されて参りました。一体どういう事情なのか、お話し願えますか」
イルヴァースのこの言葉、嘘八百だが、それでも容姿からヴィーフィルド人であることはすぐに知れる。巫女はすんなりと信用し、仰天して、大急ぎで奥の間に一行を通した。
部屋に入った途端、巫女はばっと床に平伏した。
「申し訳ございません!」
驚いたのはシェラン達の方である。
「まずは説明を」
巫女は促されて話し出した。
「もう半月ほど前になります。見習いの巫女達がいつものように『遺産』の御座に様子を確認に参りましたところ、『女神の遺産』が……『遺産』が、御座ごと消えておりました!」
わっと泣き伏した巫女を、シェランはおろおろと慰めた。
「そんなに泣いたら瞼が腫れちゃいますよ。それにほら、『女神の遺産』だって散歩に行っただけでそのうちひょっこり帰ってくるかもしれませんし」
こちらも大分、うろたえているようだ。
予想外の事態に、青年達は顔を見合わせた。さっさと『女神の遺産』なる冠とやらが聖遺物か否かを確認して速やかに帰国する予定だったのだが、これでは話が違う。滞在日程が大幅に伸びるようなら、一旦その旨を皇王に報告せねばならない。何より、皇女を長く国外に置くわけにはいかないのだ。
「御座ごと消えたというのは、どういうことですか」
イルヴァースのやんわりとした問い掛けに、巫女は啜り泣きながら答えた。
「そ、そのままの意味でございます。御座でありました大岩ごと、どこかへ……。もちろん、島中を隈なく捜索いたしました! ですが、ですがどこを捜しても見つからず……。不届き者が持ち去ったのか、それとも『遺産』御自らお姿を隠されたのか、それすらわかりません!」
一層激しく泣き出した巫女は、もう語る言葉を持たないようだった。
シェランは困惑していた。
大岩ごと動いたとは尋常ではない。しかし神器とはいえ勝手に動くとは考えにくい。少なくとも大神殿で見た目録には、そのような特性を持つものはなかった。
「この神殿の警備状況は?」
「神殿騎士が十名ほどです。な、何分にも田舎ですので……」
ここにシェランがいなければ、彼等は苛立たしさから舌打ちしていただろう。この規模に騎士十人では、いないも同然である。ザルという表現さえ生ぬるい。田舎なのは事実なので、この地を重要視しなかった中央の思惑はわからないでもないが、せめて五十人は派遣しておくべきだった。
件の『女神の遺産』が誰にも動かせないということで油断していたのだろう。聖遺物であるという可能性さえ大神殿も把握していなかったのだ。ケレリス侯国に属するこの島では、そもそも聖遺物という言葉さえ知っているかも怪しい。
「神気の残滓は残っていますか」
仮にも神器、強大な神力を内包した代物のはずだ。皇族のそれと同じく、『痕跡』に似た神気の残滓が残っていてもおかしくない。
巫女は顔を上げ、かすかに頷いた。
彼等が巫女に案内された先は、巨大な天然の洞窟だった。
ここが『女神の遺産』があった場所ですと言われ、早速『目』を開いて調査を開始した彼等だったが、即座に事件解決というわけにはいかない。
「シェラン、どうだ?」
ソルディースの問いかけに、シェランは「うーん……」と唸った。
「特に何も……神気の残りは見えるけど」
「『痕跡』は見えますが……これは少し異常ですね。異界での貴女の『痕跡』に似ています」
巫女は既に去った後だ。神殿を統括する立場にある巫女とはいえ、これほど田舎でしかも神力がないとあっては、いても邪魔にしかならないのでイルヴァースがのらくらと言って帰らせた。
金色の糸のように見えるその『痕跡』は、切れ切れでか細く、今にも消えてしまいそうだった。
「弱いといってもこの神気の質なら間違いないようだな。ここに『女神の遺産』として奉納されていたのは、聖遺物である可能性が極めて高い」
「皇祖の話では聖遺物は通常はその力を封印されているらしいですからね。これは封印から漏れた神気だと見ていいでしょう。それ以外に説明がつきません」
シェランは金の糸に指を沿わせながら、僅かに残るその気配を感じ取ろうとした。
その指先が『痕跡』に触れるか触れないかのところでびくっと止まった。
「姫?」
「殿下?」
気付いた周囲が訝しげにしているが、シェランの意識はそのときそこにはなかった。
――……!
何か――想い。僅かに残されたそれと共鳴していたのだ。
(どこ……あなたはどこにいるの!?)
残された金の糸を辿って、彼女は今、聖遺物と意識を共有していた。
今、彼女の体がある場所とは全く違う風景が、彼女の視界を占めていた。
鬱蒼とした森の中である。数人の人影、闇に紛れることが容易であると思われる濃い色の外套。彼らが囲んでいるのは、大きな岩。その上に輝く――銀色の輪。冠だ。
蔓と薔薇の意匠が辛うじて見て取れるその冠は、不本意な者達の手によって動かされたことをひどく怒っている。……そう、あれには、人間のように明確な意識と意思があるのだ!
冠はシェランに自分が怒っていることを訴えた。早く見つけて、とも。
(待って、それではわからない。まだあなたはこの島の中にいるの?)
肯定の意思を伝えてきた冠は、同時に警告を発した。自分を動かした者達の目的は、貴女の命だと。
私達とは対極の力を持つ者達だと。
シェランは冷たいものが背筋を伝うのを感じた。
(そんな……)
蒼白な顔で力の入らない体を抱きしめるシェランは、そこで一旦、冠との交信を閉じた。
「シェラン、どうした?」
気遣いと共に伸ばされてきたソルディースの腕に縋りながら、シェランは最悪の事態を彼らに告げなくてはならなかった。
「ここにあったのは、間違いなく聖遺物の『冠』。持ち去ったのは……魔力保持者よ」




