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蒼の女神 暁の聖女  作者: 木之本 晶
第二章 彼らの道
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四 王女降嫁と血筋の行方

「舐めた真似を」

 ヴィーフィルド皇国当代皇王リダーロイスは、その知らせを聞き終わると即座に毒づいた。

 この人には珍しいほど怒りを露わにしている。

「いかがなさいますか」

 傍に控えて同じくその知らせを聞いていた宰相が低い声で問うた。

「皇都へ戻る。ガルダニアの小倅の性根を叩きのめしてやらねばならん」

 ……叩き直すの言い間違いではないか、という疑問は挟まれない。

「何かにつけて人のものを掠め取ろうとする性分は父親に似たらしいな。この先のこともある。礼儀というものを教えてやらねば」

 そう言って目の前の止まり木で羽を休める鳥を撫でているが、鳥は全く動かない。皇王の怒気に当てられて、恐怖のあまり動けなくなっているのだ。蛇に睨まれた蛙ならぬ、怒れる神の後裔に怯える小鳥である。

 しかし皇王を怒らせる原因となった知らせを運んできたのはこの鳥だった。

 腹や翼の内側、つまり飛んでいるときに地上側になる部分は、どうなっているのか、必ずその日の空と同じ色になる――曇天なら灰色、晴天なら淡い青という風に。それ以外の部分は目の覚めるような美しく深い青である。

 この鳥は「青鳥」と呼ばれる、ヴィーフィルド皇国にしか生息しない鳥だった。人の声をそのまま記憶し、離れた場所にいる者に運ぶ鳥だ。人間と違い言われたことを文字通りそのまま繰り返す上、銀一粒を食して国境までの距離を三日とかからず飛ぶため、伝令役として重宝されている。ただ数が少ないので、自由に使えるのは皇族筋の者に限られていた。知能は高いのか低いのか今もって不明だが、その特殊な生態のため、準聖獣と認定されている。

 この青鳥は、皇妃がヴィーフィルド皇都リーヴェルレーヴから、トロイナス鉱床を視察中の皇王に言葉を持たせて飛ばした鳥だ。つい先ほどまで皇妃の声と口調そのもので、皇妃の言葉を語っていた。

『――できるだけお早くお戻りくださいますよう。それが叶わぬなら、せめてファナルシーズだけでも』

 らしくなく弱気な后からの言伝に、皇王は眉間の皺が深くなるのを止められない。

「しかしガルダニア国王もあざとい真似を。子供、それも王太子を使者として寄越すとは……」

「新ミルフェン公を勝手に擁立し、王女降嫁を画策し、世界会議の主催を目論む。……まあ、最近何かと出遅れがちですからな、あの国は」

「しかし自国の王妃の座を餌にしてまで各国の注意を引こうとは、目立ちたがりなエスライド二世らしい」

 背後で好き勝手に言い合う臣下達を一瞥して、皇王は皇太子に向き直った。

「ファナルシーズ」

「わかっております。我らがこのままでは事態は動かない。――私は適当に理由をつけてリーヴェルレーヴに戻ります。父上はいかがなさいますか」

「あまり急いで戻っても足元を掬われようが……そう日を置かぬうちに戻るつもりだ。だが一度、転移神術でミルフェンの様子を見てくる」

 皇太子は静かに頷いた。



「ライ――ライ従兄様!」

 セライネ伯爵家の次期次期跡取り・ライゼルトは、思いもかけないところで、ありえない人物に呼び止められた。

「……シェラン様っ!?」

「シェランでいいってば」

 皇城一の郭は、謁見の間や元老院議会などがある外殿と、皇王、皇太子など直系成人皇族が執務を行うための執務室、皇族会議が行われる竜の間などがある内殿、さらに直系皇族居住区の後宮に分かれる。

 そして、彼女の行動範囲は基本的に後宮と内殿だけ……の、はずだった。

 こっちこっちと手招きする従妹に、ライゼルトは何とも言えない思いを抱いた。何故。

(なぜ、厩舎…………)

 厩舎、平たく言うなら馬のお宿。馬は交通手段の一つだから、もちろん皇城にもある。その機能ゆえに、もちろん外殿にある。それはいい。

 問題は、なぜ彼の父方の従妹にして皇太子の愛娘である彼女が、そこから市井の少年のような格好をして、藁まみれで手招きしてくるのか――ということだ。

「なに……何をやっているんです」

 脱力気味の質問は答えを期待したものではなかったが、シェランは至って真面目に返答した。

「馬屋の掃除よ。見てわからない?」

 見てわからないでもなかったが、認めたくなかったというのが正直なところだ。誰も自国の世継ぎの姫君が厩舎の掃除をしているなんて事実は認めたくない。たとえその手に見紛いようの無い掃除用具が握られていたとしても。

「人に見られたらどうするんです。御身の名誉に関わるのですよ」

「ここはお祖父様とお祖母様とお父様とお母様と私の馬しか扱わないわよ。良かった、こんな微妙に離れたところ通ってくれて。最近会えてないでしょ? なんかカールもセイもあんまり会いに来ないから心配してたの」

 その言葉にライゼルトは体がぴくりと揺れるのを抑えた。会いに行かないのは神への返礼の件があるからだが、武芸大会が終わる前に本人に気付かれては意味が無い。シェランには妙に聡いところがあるので、悟られないよう面会を控えめにしていたのだ。

「申し訳ありません。騎士団の勤めが忙しく、つい」

 とっさにそれらしい言い訳を口にする。嘘というわけではない。祭典期間中は皇城の警備を普段より厳しくしなければならないし(浮かれた不埒者や祭りの騒ぎに乗じて城内に入ろうとする者は意外と多い)、城下の最低限の治安維持にも近衛騎士団は駆り出されている。

 そう、と応じたシェランは、ふと、真剣な表情になった。

「ガルダニアの王子が来ているのは知ってる?」

 唐突な話題にライゼルトは面食らったが、頷く。

「ミルフェン継承問題やら何やら、厄介な問題ばかり持ち込んできていると聞きました。昨日の宴から、アルがいつにも増して険悪な顔でいますね」

「それはいいのよ、放っておいて好きなようにさせれば。……そのミルフェンのことなんだけど、前の公爵、本当に子供がいなかったの?」

 ライゼルトは答えに困った。実は先代ミルフェン公は有名な男色家で、あるときその道に開眼して以降女性には見向きもしなくなったという筋金入りなのだ。その事実をまだ十四歳の皇女に伝えていいものか。

「さあ……私には何とも。ただ、若い頃はそこそこ……その、何と申しますか……複数の女性と付き合いがあったらしい、ですが」

「付き合いってどのくらいの付き合い?」

「は? どのくらい、とは?」

 シェランは望む答えがなかなか返ってこないことに苛立っていた。そして周囲の者達が気を回しているほど、恋愛ごとに関して無知なわけでもなかった。彼女が九年を過ごした異世界・地球は何といっても情報社会。知ろうと思ってわからないのは、国家機密ぐらいのものである。

「だから、男と女の付き合いって程度があるでしょ。友達なのか恋人なのか、恋人なんだったら手繋ぎ止まりかそれより先に進んでたのか。後は、何だっけ…………そうだ、体の関係? で合ってる?」

 ――――この場に自分一人しかいないことを、ライゼルトは盛大に呪った。一体何が哀しくて、まだあどけない従妹の口からそんな言葉が出てくるのを聞かなければならないのか。

 顔が引き攣るのを全力で阻止しながら、そこまでは存じませんと答えるのが精一杯だった。

 だが大陸随一の高貴な姫君は、そこで話を終わらせてくれなかった。

「ライ従兄様。忙しい事をわかっててお願いしたいの。ミルフェンの神殿まで行って調べてきてくれない? 公爵が隠し子を作っていないかどうか。ミルフェンとヴィーフィルドでは家督に関する法律が違うから、爵位を継ぐのは庶子でもいいのよ。――ミルフェンをガルダニアに渡したら、ガルダニアは財政難から立ち直る。エスライド二世は領土拡大に熱心だと聞いているわ。鉄には事欠かない国だもの、財政に問題が無くなったら、すぐにでも戦争を始めるかもしれない……!」

 シェランが必死に言い募る内容に、ライゼルトは戦慄した。

 エスライド二世はその奇抜さに目が行きがちだが、剣を以って実兄を弑して玉座に就いた。保守的な兄王との仲の悪さは有名だった。そしてそれは、たった四、五年前の出来事である。

 ガルダニアの狙いは今はまだ定かではないが、一つでも対抗手段を増やしておいたほうがいいことは馬鹿でもわかる。

「……わかりました」

 武芸大会の本選開催に間に合えばいいが。頭の片隅でそう考えた自分に、ライゼルトは苦笑した。



 皇太子を追うようにして皇王が皇都に帰還したのは、シェランがライゼルトを送り出した一週間後のことである。

「お帰りなさいませ。ご無事のお戻り、何よりでございます」

 型通りの挨拶を済ませた皇妃は、さっさと本題に入る。

「随分とゆったりとしたお戻りでしたわね。わたくしはできるだけお早くと言ったはずでしたのに。あのガルダニア王太子、シェランと同い年とは思えないほど小賢しいわ」

「最初の一言がそれか」

 旅装を解いて皇王執務室に入った皇王は、妻からの経過報告……もとい、愚痴を聞かされていた。息子である皇太子は、自業自得とばかりに素知らぬふりだ。

「それで? ミルフェンにこっそりと寄ってきたのでしょう? 何か収穫はあったの?」

「ああ。ガルダニアの王太子は色々と急かそうとしてきているようだが、ミルフェンに目立った混乱は無かったな」

「もともと公爵と議会が統治権を半々に分けている土地柄ですから。議会としては先代とよく衝突していたようですし、次の公爵には操りやすい人物をという腹では」

 皇妃が愚痴を言っている間、部屋の隅に控えていた宰相が淡々と述べる。

「もしや、統治を全面的に議会に任せる代わりにガルダニア人を受け入れる……という密約でも交わしたのでしょうか」

 こちらも隅に控えていたヴィライオルド公爵が、はっと気付いたように言う。

「ありえますな。ガルダニア人とガルダニア王女を公爵と公爵夫人に据え置けば、ガルダニアを後ろ盾にミルフェンの王国昇格も夢ではない」

 近衛騎士団団長を務めるサリアネス侯爵。

「ルイセルーエ王女の母君はアーラントードの第四王女でしたか。ガルダニアに嫁した後も東の信仰を貫いていたと聞きます。先代のガルダニア王はそのために神殿と対立していたはず……」

 思慮深い声音はセライネ伯爵のもの。

「母が異教徒なら娘も異教徒、ということですか。ガルダニアにしてみればいい厄介払いになり、ミルフェンにとっては国主の血脈にれっきとした王族の血を迎えることができる。互いの利害が一致したと見て間違いないようですね」

 苦々しい響きは、剣術の腕で名高いオルソール子爵だ。

 そこへ皇王が声をかけた。

「…………一つ、お前達に訊きたいのだが」

「何でございましょう」

「なぜそんなに隅の方でこそこそと話をまとめている!? 自分達だけで納得するのはやめろと何度も言っているだろうが!」

「妃陛下のご報告が終わられましたらまたお声掛け下さい、陛下。我々は時間の無駄を省くために、同時並行で今のところ考えられるガルダニアの思惑について話し合っておきます。恐れながら、犠牲はお一人で十分でございます」

 要約すると、「勝手な行動で皇都に帰るのを遅らせたのは自分なのだから、甘んじて皇妃の怒りを受けろ」だ。

 薄情な臣下を持った我が身を心の中で嘆きながら、皇王は思考を切り替えた。

「ミルフェンをガルダニアにくれてやるわけにはいかん。金と物の流れもそうだが、何より地理的に惜しい。ガルダニアに竜の背骨山脈のこちら側に領土をくれてやれば、絶好の侵略拠点になるぞ」

 宰相はふっと考えに沈む表情をした。

「……策が無いわけではございません。要は、ガルダニア王女の降嫁を阻止できれば良いのでして。ですが……」

「何だ」

「我が国の歴史上、他国に嫁がれた皇女殿下は一人としておられません。さらに現状たった一人の皇女殿下は、皇太子殿下のお世継ぎであらせられます。…………ミルフェンとしては、皇族筋の姫すらを出し惜しみする目の上の瘤よりも、気前良く王女をくれ、なおかつ良い条件を提示してくれるガルダニアに心が傾いても仕方の無いことかと」

 皇王はこめかみを揉んだ。ミルフェン建国は六十年ばかり前のことだが――――

「建国と同時に従属を誓ってきたのはあちらの方だぞ。それを今更白紙に返す気か」

 反抗期にしてはたちが悪すぎる。

 ずっと黙っていた皇太子が口を開いた。

「宰相。ミルフェン側の婚姻許可証はどこの神殿区が出す?」

「ミルフェンの上級神殿区です」

「大神殿を通して圧力をかけておけ。婚姻許可証は出させるな。……全く、油断大敵とはこのことだな」

 大国ゆえの油断がこの事態を招いたといっても過言ではない。デルフィニアの動向だけでも頭が痛いというのに。

「とにかく、ミルフェン議会とガルダニアと新公爵候補……本人はともかく彼の実家は固く手を結んでいる。綻びさせる時間は、今のわたくし達にはありませんわ」

「新公爵候補が頭がおかしいとか、ガルダニア王女が病がちだとか、何でもいい、適当に理由をつけて破談にしてしまえ」

「父上。残念ですがそれは不可能です」

 皇太子が一枚の書類を取り出した。

「先手を打たれました。ミルフェン近くに領地を持つハイルズ男爵からの報告書です。――ルイセルーエ王女は、既に花嫁行列と共にミルフェン入りしたとの由」

「何!?」

 その事実は単にルイセルーエが必ず(・・)ミルフェンに嫁ぐということを示すだけではない。王女の警護にかこつけて――

「軍隊をミルフェンに入れたか!」

 通常、他国の領域に自国の軍を入れれば、侵略と見做される。

 しかし今回は王女の警護を名目にやってきている。どれほどの大軍を同行させようと、あちらが必要だと言い張れば文句を言える筋合いではないのだ。そしてその大軍は、そのままミルフェンへの脅しにもなる。

 全てが後手に回っている。これが全て今皇城の中にいるガルダニア王太子の策略なのだとしたら、十四という幼いともいえる若さにして、何という外交手腕か。

「……ガルダニア王太子は、末恐ろしい策略家のようですな」

 サリアネス侯爵の言葉に、誰も返す言葉を持たない。

 リダー、と皇妃が皇王に呼びかけた。

「今夜の晩餐に、ガルダニア王太子を招いていてよ。……出席なさるでしょう?」


 このとき、思いもかけない一手がその晩餐の席で出されるとは、その場の誰も予想していなかった。

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