天を駆けるものたち~ドラゴンが夜空へ吠える理由を、あなたはまだ知らない~
天を駆けるものたち
大気を引き裂く爆音と、天を震わせる咆哮。
「スカイ・サーキット」と呼ばれるこの競技場では、人類の英知を結集した最新鋭の、競技用戦闘機通称ファイターと、今なお、空の覇者として君臨するドラゴンたちが、速度の限界を競い合うレースが開催されていた。
「勝者――ヒース&レイガッド!」
実況の絶叫とともに、コロシアムが揺れるほどの大歓声が湧き上がる。
碧緑の鱗を持つドラゴン「レイガッド」の首を軽く叩き、ヒースは不敵な笑みを浮かべた。
彼らは、古代から続くこのコロシアムで、拍手を浴びて来た数多のアスリートのなかで、一番速い。
その視線の先では、エンジンから激しく黒煙を吹き上げながら、流線型の純白のファイターが不時着していた。
「クソッ……また、またあのトカゲに負けたのか……!」
コックピットから這い出たミツルは、地面を拳で叩き、悔しさを露わにした。
背後から、仕立てのいいスーツを着た男が冷徹な足取りで近づく。
ミツルの父、そして巨大財閥の総帥――ガロードだった。
「ミツル。我が社の株価は、レースの勝敗にかかっている。次世代型反重力エンジンを搭載し、軽量化も極限まで進めた。なぜ勝てん」
「言い訳はしません、父上。ただ、ファイターの出力は計算通りに出ていました。問題は……あのドラゴンがやってくれる理屈を超えた『加速』です」
ミツルは悔しそうにヒースたちへ目を向けた。
どれだけテクノロジーを突き詰めても、生き物であるドラゴンが時折見せる奇跡のような急旋回と爆発的な推進力には、届かない。
「ならば、理屈を超えればいい」
「これは……?」
「我が社の研究機関が、闇市場から入手したドラゴンの細胞を解析して突き止めたものだ。彼らの体内には、魔力とも呼べる高エネルギーを秘めた血液が流れている」
ガロードは不敵な笑みを浮かべ、データをミツルに差し出した。
「ドラゴンの心臓をエンジンに組み込むとドラゴンの魔力を帯びる。理論上、現在の限界値を三百パーセント上回る推力が得られる。機械と生物の夢の融合だ」
「夢? 禁忌の技術だろ」
「勇気があれば夢になる」
ドラゴンの心臓を持つファイター。実現できるのか?
ミツルの目が見開かれた。それは、レーサーとしてのプライドを投げ捨てる行為に等しかった。
しかし、遠くに見えるヒースの後ろ姿と、父からの絶対的なプレッシャーが、彼の理性を少しずつ狂わせていく。
「ドラゴンの心臓……それを手に入れれば、僕はヒースに勝てるのか」
「ああ。ただし、新鮮なものでなければ適合しない。ドラゴンを手に入れる算段はついている」
ガロードの視線は、厩舎でヒースと戯れるレイガッドへと静かに向けられた。
それから、しばらくしたある夜。ミツルのファイターのハンガーに大きなトラックが止まった。
中には、麻酔薬で眠ったドラゴンが収められていた。
「システム作動。生体エネルギー適合率――97パーセント。リミッターを解除します」
システムが再起動した直後、純白だったファイターのボディに、まるで血管のような不気味な赤紫のラインが浮かび上がる。金属的な高音が、やがて生き物の悲鳴めいた轟音へと変わった。
「ハハハ……! 素晴らしい。力が溢れてくる!」
テールパイプから青白いプラズマの炎が噴き出し、ファイターは夜空へと爆発的な加速で飛び立った。もはやそれは美しいファイターではなく、空を侵す異形の怪物だった。
今日の競技会はドラゴンが五頭。ファイターが五機。すでに周回軌道に乗った十個の物体はスタートの瞬間を待っているが、今日はドラゴンの様子がおかしい。ミツルの飛行機に敵意を向けている。見慣れない塗装のせいだろうか?
ヒースはレイガッドの気を静めようと話しかける。
ここは地表から100キロ。引力のくびきからは逃れるが、空気の保護はあまり期待できない。
この場所のレース模様は衛星から地上のスカイ・サーキットに送られ、立体映像となり見物人を熱狂させている。
薄く青い惑星の縁が遠く弧を描き、視界の先には黒い闇が広がっている。
十の影――ドラゴン五頭、ファイター五機が周回軌道上に並んだ。
ヘルメット越しにヒースは深く息を吐く。
レイガッドの背がいつもと違う。
鱗の下の筋肉が張りつめ、わずかに震えている。
「レイガッド?」
ヒースは首筋を軽く叩いた。
返ってきたのは低いうなりだった。
普段の落ち着いた響きではない。
腹の底を震わせるような、押し殺した怒気。
「グルルルル……」
レイガッドの瞳孔が細く収縮している。
視線の先には、純白だったファイター。
だが今、その機体には赤紫の筋が血管のように浮かび上がり、生き物じみた脈動すら見える。
まるで金属に血肉を無理やり埋め込んだ怪物。
ヒースは眉をひそめた。
「なんであんな塗装にしたんだ? レイガッドが嫌がってるじゃないか」
通信が飛び交う。
まわりのドラゴンも落ち着かない。
隣を飛ぶ紅のドラゴンが牙を剥き、銀色のドラゴンは翼を荒々しく羽ばたかせる。
五頭すべてが異様な緊張状態にあった。
その敵意は、ミツル機へ向いている。
ヒースはレイガッドの首に身体を寄せた。
「どうした」
レイガッドの喉が鳴る。
怒りと恐怖。
混乱とそして悲しみ。
ヒースの胸に、不快な感覚が流れ込んだ。
長年、共に飛んだからわかる。
言葉ではない。
概念が直接流れ込んで来た。
レイガッドは、震えている。
ヒースの喉がわずかに動く。
「なにがあったのか? 教えてくれ」
レイガッドが低く吠えた。
その瞬間、スタートシグナルが炸裂した。
閃光と轟音。
実況の絶叫が衛星回線を通じ地上へ響く。
「スタートです! 第九十二回スカイ・サーキット決勝戦――!」
ファイターが一斉に推進炎を噴き出した。
ドラゴンたちも翼を広げる。
だが、「なっ!?」
ヒースは目を見開いた。
レイガッドが前方へ飛ばない。
急角度で進路を変えた。
一直線にミツル機へ。
同時に、他の四頭も動いた。
五頭のドラゴンがまるで狩りの群れのように隊列を組んだ。
ドラゴンライダーも戸惑った。ドラゴンが騎乗者を無視するとは……
実況が戸惑いながらも叫んだ。
「な、なんだこれは!? ドラゴン勢、コースを無視! 一斉にミツル選手機へ向かっています!!」
地上の観客がどよめいた。
彼らは熱狂しながらも困惑していた。
演出か?
事故か?
誰にもわからない。
ただヒースは理解し始めていた。
レイガッドの感情が流れ込んでくる。
怒りと悲しみ。
喪失感。
そして叫び。
仲間を返せ。
ヒースの背筋が冷えた。
「……まさか」
レイガッドが咆哮した。
空気の薄いこの場所。
それでも震えが伝わるほどの怒声。
ミツルの機体が急加速する。
青白い炎を噴き出し、機体が爆発的に前へ飛ぶ。
今までとは比較にならない速さ。
だが、レイガッドも加速した。
次の瞬間、景色が歪んだ。
ヒースの身体が後方へ引っ張られる。
「っ……!」
レイガッドが見せた理屈を超えた飛翔。
一瞬で距離を詰める。
ミツルが息を呑んだ。
「な、なんだその速度……!」
レイガッドの黄金の瞳が、機体を睨みつける。
敵を見る目ではなかった。
仇を見る目だった。
仇を葬り去る意志を秘めた目だった。
奪われた命に対する怒り。
理不尽に裂かれた絆への悲しみ。
そして――裁きを下す覚悟。
ヒースの喉が乾く。
「レイガッド……」
その瞬間、紅のドラゴンが左から急加速した。
銀色のドラゴンが上に。
黒曜石のような鱗を持つ大型種が後方を塞ぎ、優し気な目の蒼白いドラゴンが右翼側へ滑り込む。
まるで訓練された編隊。
いや、違う。これは本能だ。
言葉を交わさず、何千年も空を支配してきた者たちの狩り。
五頭のドラゴンが、一つの意志のもとに動いていた。。
「なっ――!」
ミツルが操縦桿を倒す。
ミツル機が右へ急旋回。
通常なら誰にも追えない軌道だった。
だが、紅のドラゴンが先回りする。
牙を剥き、進路を封じる。
「くっ!」
今度は急降下。
下へ逃げる。
すると、黒い巨体が壁のように現れた。
巨大な翼が空を塞ぐ。
逃がさない。
そう言っている。
警報が鳴り響く。
ミツルの呼吸が乱れる。
「なんなんだよ、お前ら……!」
加速して回避。
加速しながらの旋回。
通常のレースなら勝てる。
どんなファイターにも、ドラゴンにも負けない。
なのに、逃げ道がない。
囲まれている。
レイガッドが下方へ潜り込んだ。
ヒースの身体にGが叩きつけられる。
視界がぶれる。
「く……!」
直後、レイガッドの肩がミツル機下部へ触れた。
押した。レイガッドの体に傷がつく。血が噴き出る。
だが、押し続けた。
ミツル機が上へ浮く。
ヒースが息を呑む。
「上に……押した?」
他のドラゴンたちも動いた。
銀のドラゴンが上空を塞ぐ。
紅のドラゴンが前方を封じる。
黒曜石のドラゴンが右を監視し、蒼白のドラゴンが左から逃走を阻む。
ミツルに逃げ場はない。
そして、レイガッドが再び下へ潜り込んだ。
ぐっと身体を持ち上げる。
機体を押し上げる。
宇宙へ!
ヒースの背筋が冷えた。
「まさか……!」
言葉が漏れる。
「追放するつもりなのか……」
ドラゴンたちの感情が流れ込む。
怒りと悲しみ。
そして拒絶。
――お前は空にいてはいけない。
――仲間を奪った者。
――この空に戻るな。
ミツルが叫ぶ。
「やめろ!!」
推進炎が爆ぜる。
前へ逃げようとする。
だが紅のドラゴンが翼で進路を塞いだ。
上昇しようとすると黒い巨体が現れる。
左右も閉じられる。
完全な包囲。
警報音が狂ったように鳴り響く。
計器が震える。
燃料消費が跳ね上がる。
操縦桿が重い。
そして、聞こえ始めた。
ミツルは最初は雑音だと思った。
低い咆哮、泣き声、怒り、悲しみ。
頭の奥へ直接流れ込む。
そしてもう一つ。
機体からも聞こえる。
脈打つような振動。
赤紫のラインが淡く光る。
苦しげに、呻くように。
ドラゴンの心臓を組み込まれたエンジン。
燃料に混ぜられた血液。
そこに封じ込められた何か。
ミツルの身体が震えた。
あの光景は忘れられない。
麻酔で眠るドラゴン。
引き裂かれる胸、取り出される脈打つ心臓。
黒い手袋と父の冷たい目と満足げな笑い。
ファイターが泣いている。
ドラゴンも泣いている。
そしてドラゴンたちの思念が届いた。
言葉ではない、概念。
空を汚す者への怒り。
未来を失った悲しみ。
ミツルの唇が震えた。
「あぁ」
視界が滲む。酸素が足りない。
操縦桿を握ってられない。
この意志の力からは逃げられない。
「悪かったな」
小さく呟く。
「すまない」
その瞬間、それが合図だったように、五頭が一斉に下から身体を差し込んだ。
翼がしなう。筋肉が軋む。
鱗が砕けそうになるほど力を込めた。
血が流れても、躊躇わずに押し続ける。
押す。押す。押し上げる。
ミツル機はゆっくりと上昇していく。
地球の青が遠ざかる。
薄い大気の膜が細くなる。
引力の感覚が希薄になる。
やがて、境界を越えた。
ミツルは自分の体を感じられない。
ミツルの意識は振り返った。
五頭のドラゴン。
彼らの翼には裂傷があった。
機体を押し続けたせいで、鋭利な装甲に鱗が削られている。
血が散っていた。
それでも、威儀を正して見送っている。
仲間を見送っている。
怒りだけではない。
悲しみの目で。
五頭が一斉に吠えた。
ミツル機のドラゴンが答えた。
礼を言い、別れを告げた。
中継は続いていた。
地上のコロシアム。
誰一人、席を立たない。
実況も途中から言葉を失っていた。
ただ映される。
宇宙へ見送られるドラゴン
見送る五頭の傷ついた翼。
血を流す背中。はがれかけた鱗。
これはヒース&レイガッドが、ただ一度負けた試合。
そして、世界中の誰もが見たことのある試合になった。
その後何年か置きに、ドラゴンが夜空へ向かって吠える夜がある。
理由はわからない。
だが人々は言う。
――ミツル機が近くを飛んでいる。
見つけた者はいない。観測もできない。
それでも皆、信じている。
その夜、人々は灯りを落とす。
一人で天を見る者は、過去を思う。
失ったもの。
許せなかったこと。
謝れなかった相手。
二人で天を見る者は、未来を見る。
暗い空の向こうに、続く希望を。
そしてドラゴンたちは、遠い闇へ向かって吠える。
怒りではなく。
祈りのように。
帰れない者へ届くように。
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