実家通いで、登校は犬連れ
朝、起きてクマのぬいぐるみに囲まれながら身支度をする。断じて言っておくけれど、このファンシーな内装はあたしの部屋のものじゃない。もちろん、この身に魂をゆだねたときからずっとこれだ。即ち、兄の部屋である。
そもそも兄として目覚めたときにはもうあたしの部屋は微塵もその存在を残しちゃいなかった。扉を開けてみればあらびっくり、使わない家具がガッツリ押し込まれた物置だったのである。真面目な勉強部屋だったのに……南無。
「よっし、お着替え完了」
つーわけで、兄ちゃんの部屋インあたしでお送りしてます。
しかし女の子であるあたしの部屋よりファンシーってどうなのよ。外面とのギャップがまた激しいもんだけど、もちろん誰にもこのお部屋のことは秘密だったらしい。
最後に鏡でチョチョイと前髪をセットして、部屋を出た。
ダイニングには朝ご飯が用意されつつあった。フライ返しを振り回しながら、母さんが手際よく机に三人分を並べていく。
「あら、そうちゃん、おはよう」
「母さん、おはよー。今日もかわいいね」
「まあっ、そうちゃんたらどうしたのよ! そんなお世辞みたいなこと言うなんて! 最近はおしゃれだし、まるで娘を持った気分だわー」
ははは、いましたいました。忘れてるようだけど、過去にいましたから。
フリルのエプロンが似合う母さんは、お世辞ではなく、本当にかわいいひとだと思う。童顔のせいで年齢よりもはるかに若く見えるし、ふわふわした雰囲気や言動がさらにそれを引き立ててる。そりゃこんなひとに娘がいたら見てみたいもんだわ。
あ、いますいます、ここにいました忘れてました。
「宗二、母さんを口説くのはやめなさい」
「父さん……別に口説いてやいませんがね」
新聞紙をバサァっと広げつつ、視界にフェードインしてきたこのスーツ姿のサラリーマンこそ、我が父である。父さんはちゃんと年相応だけれど、残念なのが中身というかなんというか……母さん相手だから仕方ないかもだけど、いつまでたっても奥さんラブな人。
今日もきれいだよハルカさん、とか甘いボイスで囁くけど、それもう聞き飽きました。毎度毎度同じことしか言えないのかね、アキユキさん。
とにかくいつも通りに、こんな感じで食卓につく。いつも通り、というには何かが足りないけれど。足りないことをあたし以外に知る人なんていやしない。
三人で、ささやかながら楽しい朝食。不思議だけれど間違っては無いみたいだ。
「あ、そろそろ来るころじゃない?」
母さんの一言で思い出した。あたしは味噌汁をごくりと飲み下す。
「来なくてもいいって言ってあるんだけど、一応」
「でも、分かるわ。小太郎くんは、そんなの聞く子じゃないもの」
ニコニコ、笑顔が素晴らしいけれど、言っていることは結構酷い。でも、確かに母さんの言っていることも否めない。
悲しきかな、あたしもフォローはできないよ、とお茶碗を流しに片づけた。
そろそろ来るならしょうがない、出掛ける準備をしておこう……。
と、ちょうどそのとき、ピンポーンとベルが鳴った。
「ほら」
音符マーク付きで、母さん。やけにウッキウキなのは、母さんがコタローを気に入ってるからだろう。なんたってマダムキラーだもんね、母性本能くすぐってくるもんね、父さん気が気じゃないけどね。
「や、でもホントにコタローとは限らな」
「宗二先輩ー!」
「くないね、うん」
コタローだね。
あたしは、勉強道具入りのリュックを背負って玄関に向かった。父さんが「暗くなる前に帰ってきなさい」と釘を刺す。そうそう、父さんって母さんも好きだけどあたしのこともそこそこ好きだったよね、今は兄ちゃんに向けた言葉かも知れないけれど。
「今、出る」
玄関を開けた瞬間、大きな影が飛びかかってきたのでサッと避けた。ドデーンと現実にあり得ない音がしたけど、いつもと何ら変わりない。
家の中から、あらあらあらあ、っていう母さんの声が聞こえてるから、まだ平和。オーケー平和。
「はよっす! 先輩!」
「うん、おはよう。コタロー。朝から元気だね」
「五時間前からジョギングしてましたオッス!」
五時間前て。軽く夜中だよアンタ。
わけのわからない元気を持て余す、お隣さん家のコタローくんはあたしの一個下。わふわふと犬が尻尾を振ってるかのように嬉しそうな姿は、本当に微笑ましいのだけれど。
「じゃあ行きましょ!」
「あ、うん」
しゅばっと立ち上がってあたしの隣に並べば、思わず身が竦む。
いや、でかすぎ。後輩とか言ってるくせに、あたしより頭一個分はでかい。この姿で出会い頭ハグされようものなら、心臓潰れて死に至る。
「でもコタロー、来なくていいって言ったのに」
「だから昨日は行かなかったっす! それとも、今日もダメだったっすか?」
「……ユルス」
っていうか、モユルス。そのウルウルした瞳は反則だ……。
何故か、コタローは小さなときからあたしに懐いていた。あたしってのはもちろん、兄ちゃんじゃないあたしに、だ。それが今兄ちゃんの姿になっても慕われているのは、変な気がしないでもないけど。
「でも先輩、どうして転校しちゃったっすか? せっかくオレ、同じ高校に入ったのに」
「あ、悪い。事故で入院してたから折り合い悪くなっちゃって」
ということになっているらしい。兄ちゃん、二ヶ月意識を失ってた設定、で目覚めたときにはあたしが入っていたという現実。
「でもがっこ、そんな遠くないでしょ? ほら、我慢しよう、ね」
「先輩……事故後なんだか変わったと思ったけど、やっぱり変わってなかったっす。優しくて、強くて、かわいくて……ってあれ、これはおかしいっす、かわいいって、男の先輩にこんなこと!」
「あははは、誉め言葉として受け取っておくよ」
ちょっとだけ、嬉しかったのも事実だから。コタローは、本当のあたしのときにもそうやってあたしを誉めてくれた。
きっとその名残なんだな、あたしがいたという証みたいで安心する。
「でも、コタロー。盲目もほどほどにね、そろそろ彼女でも作ってよ」
「オレ、先輩一筋っす!」
「それはちょっと心苦しいっす」
以前だったら、かわいいわねえ、と微笑ましく思ったりもしたけど、今この姿で言われると果てしなく危険というか、洒落にならない部分がある。まるであたしがコタローをその道に引きずり込んでるみたいで申し訳ない。
コタローだって、くりくりの瞳と淡い色の短髪でゴールデンレトリバーみたいにかわいいんだから、あたし以外の誰かを見つければいいのに。そりゃイケメン好きなあたしには嬉しい話だけど、そうはいってももう弟みたいなもの、そういう対象で見られるかっていうと否。
それにこう、純粋に尽くしてくれるのにも飽きたっていうかね……。
「もう着いたね」
「え、もうっすか? 早いっすー!」
くっちゃべりながら歩いていたら、あたしの通う高校にたどり着いてしまった。校庭にふと柳井くんの背中を見つけて、思わずテンション急上昇。
事故を装って背後から飛びついたらどうでしょう、と思ったけど、その隣に和磨を見つけて邪な思惑を断念した。命と引き替えにそんなはしゃげるわけがない。
「先輩?」
「あ、ごめん。もう行くよ」
「せんぱーい」
「なんでそんなキューンて鳴くの。帰りも迎えに来てくれるんでしょう」
「キューン!」
「鳴くな」
あたしは、わっしゃわしゃとコタローの頭をなでまくり、校舎に向かって走った。振り返ると、千切れんばかりに手を振るコタロー。ああ、人見てる、見てるから
でもやっぱり、振り返さずにはいられないほど、あたしもついつい気を許している。