KPどころか事実はKY
「あぶな、かった」
息を乱しながら、薄暗いグラウンドの端にひっそりと立つ一本の電柱にくっつくようにして寄り添う。
激しい運動の後だからか、あんなことがあったからか、そのどちらともなのか、心臓がバクバクいっている。緊張する口から漏れる言葉も、とぎれとぎれだ。
部活も終わってしまっているため、人がいないときで本当に良かったと思う。
こんな姿を誰かに見られたら、二重の意味で大変なことになっていただろう。なんといっても、泣きはらした顔でべろべろの、学ラン女子……改めて想像すると、酷い。
どうしてこんなことになってしまったんだ……。
あまりの動揺にいてもたってもいられず図書室から走って逃げてきてしまったから、その場にいた和磨もさぞや困惑していることだろう。
心配なのは、突然元の姿に戻ってしまったから、正体がバレていないかということだ。
だって、結構、くっついていたし。
くっつくっていうか、密着だし。
……っていうか。
思い出して、顔が熱くなってくる。
ていうか、考えることが他にもいろいろありすぎる!
ぎゃあああ、そもそも和磨の前で泣いてしまったのが失態! 理由は咄嗟にすり替えたし、ついでに思う存分抱きついてやったけど!
単純に恥ずかしいいいい!
だって、精神状態もよわよわだったせいで、思いの外優しくされて、本来なら頼らないところ、本能のまま甘えてしまった。
いや、あ、甘えるって!
割れるのは電柱が先か、あたしの頭蓋骨が先か。それくらいの力を込めて恥ずかし紛れに電柱を抱きしめる。
今冷静になって考えると、あれってどうなんだ。和磨からしてみれば完全に男だっていうのに、泣いたり抱きついたりって、気持ち悪いほど女々しすぎるだろう。
これじゃあ宗二のイメージダウンも甚だしいぞ。和磨に愛想尽かされてたらどうしよう。
どうしよう。
でも、慰められたのも事実だから。
大丈夫だって、怖くないって言われたときの、ひどく安心したあの気持ちが胸に温かく残っている。
普段は真面目で煩くて厳しいくせに、なんでこういうときだけ優しい。
まあ、けど、ずっと、なんだかんだ、普段から優しいのか。
あたし宛のものじゃないから、あたしが意識するのってどうなんだと思うけれど、だって安心してしまったものはしょうがない。
さらに酷い顔になっている気がして、誰もいないと分かっているけれど外界から隠すように小さくうずくまった。長い髪の毛が体にまとわりつく。
うーあーもーいたたまれねー。
なんという顔をして明日から和磨に会えばいいのか、分からない!
しかしその懸念は、しばらくは意味のないものとなりそうだった。
その日、家に帰り着いてもあたしの姿は、元のままだった。今まで何度かこの姿に戻ったことはあるけれど、大抵はすぐに戻ったし、長くても一時間ほど。
その時間はとっくに過ぎていた。母さんたちにこの姿で会うわけにもいかないので、なんとか会わないように帰宅して部屋にこもったものの、夕飯すらとらず、呼びかけにもまともに返さないのを不審がられてしまった。
そして、翌朝。
警戒して眠らないようにしていたけれど、いつの間にか寝ていたらしい。目が覚めて飛び起きたが、鏡に映ったあたしは、宗二ではなく、正真正銘のあたしだった。
「これは、やべえ」
寝起きのテンションというか、鬼気迫りすぎたのか、自分でも男前すぎると思うつぶやきが冷静に放たれた。
なにがやべえってこの姿のままじゃ、あたしは「認識」されない。
状況を確認しようと、居間にいる母さんたちの会話を死角からこっそり盗み聞きするも、話題は「宗二」が部屋から出てこないという、一見してなんら変化のないものだった。
まだ、あたしは「宗二」なのだ。
ここにいる、「あたし」は。
昨日までの自分だったら、意味が分からず動揺したに違いない。
あたしが完全に元の姿に戻っているなら、世界は兄ちゃんを死んだものとして認めているはずだ。母さんたちの会話には「あたし」が話題に上るはずだ。兄ちゃんが戻ってこないことは悲しいだろうけれど、それが当然の姿と納得するはずで。
でも、そうはならなかった。
やっぱり、最初にあたしが元の姿に戻ったときと同じで、世界は「宗二」を生きていると認めたままで。何かが変わるわけでもない。
そのことに、動揺はしなかった。
いっそ、ようやくこの意味を理解して、納得した。
図書室で垣間見てしまった、夢のおかげだ。
「兄ちゃん……」
白く儚い空間の中で、見慣れたあの姿があった。自分の感覚すらままならない中で、兄ちゃんの表情、仕草、思いだけが明確に感じ取れた。
鏡で何度も向き合った顔は、こうしてみると小さな表情はまるで違う。宗二のふりをした「あたし」じゃなくて、正真正銘、あたしの兄ちゃんである「宗二」だと分かる。
そんな宗二が、切なそうに微笑んでいた。
「きみが、代わりになることはなかったのに」
そう言って、頬に触れてきた兄ちゃん。触れられるという感覚は無かったけど、伸びてきた手は、あたしを労りたかったに違いない。生前でもあまり聞かなかった声色だった。
「兄ちゃんのフリをすることくらい、いいよ。というか、フリなんて、してないような気がするよ……好き勝手してむしろごめん」
「男であることを利用してイケメンと仲良くなったり、いっそ立場を忘れて本能のまま行動したり?」
「……そうハッキリ言われると、酷いね。見てた?」
「うん」
自分で謝っておきながら、指摘されるとより心配になってくる。
そりゃ確かに柳井くんにラブコールしてみたり拓磨くんに心奪われたり和磨と抱き合ってみたりしているけれど。
……見てた?
まさかよもや椿本先輩に甘ーく迫られたりしたところも?
客観的にそんなことになっている自分の姿を見るなんて……。
結構、本気で、罪悪感。
「兄ちゃん、どこにいるの?」
再度謝りながら、何とはなしに聞く。見てたってことは、草葉の陰から? 幽霊となって、あたしのまわりに居着いているのだろうか。
兄ちゃんは、んーとね、と何か考える素振りをして、自らの胸元を指さした。
「心の中? あたしの?」
クサイ言い回しだなと、我が兄ながら呆れそうになる。そりゃまあ兄ちゃんのことだから冗談だろうけど。
表情に出していたのか自分でも分からないが、兄ちゃんが繕うように笑った。
だから、あたしも気を取り直して、ずっと言いたかったことを口にする。これがほんとの夢であろうと、そうじゃなかろうと。
兄ちゃんに会ったのは、あのとき以来なのだ。
「ねえ、ごめんね。兄ちゃんを、助けられなくて。だからこうして代わりになっているのかどうか分からないけど、兄ちゃんに生きていて欲しかったのは本当だから。……寂しいけど、でも」
成仏を、と言おうとしたときだった。
ほんの些細な違和感が胸に突き刺さって、咄嗟に「あれ」と思った。体の感覚がないせいで、そのトゲのような異物の感触だけが大きく意識を占める。
あれ? なんだ?
「気付かなくていい」
言葉を失ったあたしに、兄ちゃんが首を横に振る。おそらく頼りなく見つめているであろうあたしの視線を受け止めて、いいから、と何かを止めようとしている。
助けられなかった、兄ちゃんを。
何から?
電車に轢かれて、死んでしまうのを?
でも。
兄ちゃん、本当に、あのときに、死んだ?
「……思い出すな。だめだ」
ハッとして、あたしは信じられない思いで、兄ちゃんを見つめた。
兄ちゃんの言葉が、何かとリンクする。何かとだぶって、耳の奥にこだました。
――だめだ、いくな!
そう言ったのは、兄ちゃんだった。
何かが潰れて、何かが消えていく。その感覚を味わったのは、兄ちゃんじゃなくて……あれっ。
「あたし?」
……代わりになることはなかったのに。
代わり。
身代わりになったのは、生活じゃなくて、体そのもの?
「あのとき死んだのって、あたしだったっけ?」
口から飛び出したのは、あまりにもマヌケな言いようだった。
自分でもどうかと思うが、あちゃーとか言いながら片手で目元を覆う兄ちゃんも、さほど真剣味を帯びていない。
それもどうだ。
シリアスには、させない!
主人公はなんかやたらと和磨と顔合わせづらくなるよね。
(活動報告にて、ボツ晒してみました)