巧妙な天然KP作戦
一件落着どころか。
俺自身、いや、俺の人生に大きな爪痕を残してしまった、台風のような出来事に。
感謝するべきか、そもそもこうなったことを後悔するべきか、答えを出すことは難しい。
ただ、分かるのは。
「和磨、何見てんの? 自分にも見せて!」
後ろから身を寄せてくる男をじとりと見つめる。
……俺って、カワイソウな男かもしれない。
「何って、教科書。お前も持ってるだろ、今、そこに、ばっちり広げてる」
「え、あ、コレー? 一緒に見せてくれてもいいじゃん」
「無理、狭い」
近づけてくる顔面を片手だけで追い返す。変な生き物が潰れたような奇声を上げて、元の位置に納まったが、ポツリと吐き捨てた言葉が耳に入る。
「ダメか」
何がだ。
こっそり振り向くと、何やら書き留めているのが見えたが、意味不明すぎて掛ける言葉が見つからない。
顔を上げた田中と目が合うと、慌てたように手元を片づけた。
「あっはは、どうしたんだい! 和磨くん!」
ごまかすの下手くそか。
下手に突っ込むのもまた面倒か、と気付かないふりをしてやりながら違う話題を探そうと口を開く。
「あー、今朝の髪型、崩したのか?」
「髪型? うん、ちょっと間違ったようで……じゃなくて。似合わなかったからさ!」
「えー、そうか? 可愛かったと思うけど」
田中の横から、授業の準備をしていた一馬が口を挟む。田中は顔をひきつらせると、瞬時に髪の毛に手を差し入れ、さらにボサボサにするように手を加え始めた。
「いやいや、和磨も嫌いだったよね? ちょっとやりすぎたかな……」
……俺に聞くな。
しかし、あまりにもボサボサと広げるから、寝癖どころの騒ぎじゃないくらいみっともない頭になってしまっている。
手を伸ばすと、少し硬めの感触がした。
「おい、あまり乱すな」
手をいれてみると、意外と柔らかい。一つ、二つと、指で梳けば、短いその髪の毛は簡単に元通りにおさまっていく。ほどよい直毛で扱いやすい髪の毛だ。
ほの暖かいその感触を何度か確かめてから、最後にポンと頭を叩いた。
と、そこまでして、返事がないことに気付く。
恐る恐る目の前にあるその顔に目線をうつすと、両手をあげたまま呆然と俺を見つめていた。
……うわ、クソ。
また、無意識にやらかしてしまっていたらしい。もうするなよ、と適当に言い放って体を元の位置に戻した。
――これが問題だ。
認めたくないものを認めてしまってからか、勝手にふっきれたらしい体が勝手に動き出しては知らない間にやらかしていたりする。
今までだったら絶対にしないし、もちろん他の誰にもしないであろう、触れるということ。
何が良いとか、何をしようとか、理屈じゃないところが困る。
気付けば何かやっていて、というのが現状で、対処法は今のところ無い。
しかし、この間まで話さなかったときに比べると、かなり真逆の問題だ……。何やっているんだろう俺と思わなくもない。
「おい和磨、見ろ、我が鍛えられしこの筋肉を!」
……そして何やっているんだろうこいつも。
何がしたいのか、授業終わりに俺の席の前にまわってきて、大して盛り上がってもいない二の腕を見せられて、どうすればいいというんだろう。
ハイハイ、と叩くと、ぺちりと情けない音がした。
俺の反応が芳しくなかったことが分かると、田中は寂しそうに腕をしまい、またしても何やら独り言をブツブツと呟いている。
何か企んでいるらしい。
「今日は、スーパージャンボ弁当だぜ! 豚カツにコロッケにショウガ焼きに天ぷら、おでん……あと、爆弾おにぎり三つ」
「どんだけ食べるんだよ」
「いやー、男たるものガンガン食べないとな!」
箸で摘んだ豚カツ丸ごと一つを、大口を開けて放り込む。口一杯もぐもぐさせるも、しかし飲み込めないのが分かって苦しそうに眉根を寄せ始めた。
最終的に口元に手を当てると、うなり声をあげながら教室を飛び出していった。
何かコントをやりたいらしい。
「じゃあ、先に帰るね!」
放課後、帰りの挨拶を済ませると田中はそう言い置いてすぐに行ってしまった。
実はあの昼休みの後も、顔がどうの男らしさがどうの、見せつけたり触らせてきたりとちょくちょく俺に思惑ありげに絡んできた。
最後も何か披露してくるかと思ったが、そうでも無かったらしい。
「早いなー、そーじ。何か用事か? ミツカも帰る?」
「いや、俺は今日の宿題終わらせていく」
「えー、よくやるよなー。んじゃおれ、小太郎と約束してるから、先行くよ」
「小太郎? お前ら、そんなに仲良くなったのかよ」
「うん、小太郎っておもしろいんだよね、いろいろ話してるとさ」
……へえ、田中のこととなると見境のない変態の部類だと思うけど。朝も田中と一緒に登校しているようだし、今朝なんか手まで……繋ぐか普通?
朝の光景を思い出してまた妙にイラッとしてしまったので、やっぱり変態だからと決めつけて早々に考えを切り上げる。
「じゃあな」
そして一馬やクラスメイトたちに別れを告げ、俺は机に向かった。
一度寮に帰ってしまうと、勉強する気力がなくなるから、どうせだったら学校にいる今のうちに終わらせて部屋でゆっくりしたい。
いつもそうしているわけではないが、まあ、俺の他にそう考えるヤツはいないので、教室に残るは、俺のみだ。
忘れてきた英和辞書が必要になったのは外が薄暗くなったころで、この際仕方なく帰ることにした。
時計を見ると、あれから二時間経っていた。
机の上に広げていた数学と古典のノートをカバンに片づけながら、ふと後ろの席を見る。
早々に帰ったというか、あいつはまた他の男のところに奔走してるんじゃないだろうな……。
疑いながら睨み付けた机には、鉛筆で「宗二頑張れ」と落書きがしてあった。
「自分で自分を励ますってどういうことだよ」
相変わらず変なヤツ。
笑いがこみ上げ、自然と笑顔になる。
どういうつもりでコレを書いたか知らないけど、こういうところが……かわ……。
「早く帰るか!」
危ない思考回路を分断して、荷物を手に取った。早歩きで教室から出て、電気を消すと一気に視界が薄暗くなる。
一緒に気持ちも落ち着いて、はあとため息を付く。
何であんなこと考えなきゃいけねえんだろ……今日も、疲れた、いろいろと。
ひとけのない廊下を歩きながら、今日の夕飯だとか、テレビのことだとかどうでもいいことに考えを巡らせるのに集中することにする。
しかし、それだけでまたどうでもいい気力が減っていくので、今度は何も考えないようにすると、部活生が外を走る掛け声が聞こえてきた。
運動は嫌いじゃないが、部活とか人の集団に入って規則に従うのは面倒だと思う。
とりとめのないことを考えていると、靴箱に向かう途中で明かりの漏れる部屋を見つけた。
「図書室……まだ開いてるのか」
いつもだったら閉まっている時間だが、もしかしたら委員のヤツがいるのかもしれない。
先ほどやりかけた英語の宿題を思い出して、俺は止めた足をその扉に向けて再度動かした。
扉は確かに開いたが、中にひとけはない。
もしかして、電気の消し忘れか?
それだったらむしろ俺が戸締まりをして帰ってやるべきかと一瞬後悔したが、それはすぐ違う考えに取り変わった。
見渡した視界の先に、人を見つけた。
「……田中、なんでここに」
見覚えのある頭。
……今日、俺のこの手で触ったあの、髪の毛。
我ながら気持ちの悪い覚え方をしていると思うけど、瞬時に分かってしまったのは脳みそでなく体なのだからしょうがない。
机にうつぶせて、どうやら寝ているようだった。
「こんなところで寝るなよ。今何時だと思ってんだ?」
近づいて声を掛ける。が、すぐには起きない。身じろぎすらしないので、俺の声が聞こえないくらい爆睡しているということだろう。
なんでお前もそんなに疲れてるんだよ……というか、あれか? 一度寝たらなかなか起きない厄介な性質を持っているのかお前は。
前に中村とかいうヤツが来たときに倒れていたときも、なかなか起きなかった。目覚めたと思ったら急に取り乱して、あまつさえ脱ぎ始めて。
あのときの様子は尋常じゃなかった。
「たまに、お前がお前じゃなく思うときがあるんだが」
思い出しながら、田中の向かいに座る。机に肘を付いて、俺に気付かず寝こけるその姿を見やった。
儚くて、か弱い。いつもと違う、まるで女みたいなとき。
間近で聞こえる寝息。
朝は無意識だったかもしれないけど、今は触ろうと思えば簡単に触れる。寝ているのだったら気付かないうちに触って、俺だけが分かる。
「寝ているのが、悪い」
空いた手を伸ばす。
無意識に触れるときと違って、自分の腕が自分の一部だと当然のことを感じてしまう。熱い。気の遠くなるような距離だ。
しかし、触れる瞬間、田中の顔が苦痛に歪んでいくのが見えて、ふと止まる。睫毛がふるふると震え、唇からはだんだんと苦しそうな寝息が漏れ始めた。
「おい、田中……!」
「……っ!」
慌てて伸ばした手を肩にやり揺さぶると、弾かれたように田中が上半身を起こした。目の前に座る俺を見ていながら、口からは理解していないような言葉がこぼれている。
「どうした、大丈夫か?」
「え、あ、か、和磨」
「怖い夢でも見たのか。そりゃ、夜の学校で、しかも一人で寝てたらそうなる……」
冗談のように笑ってからかってやろうとしたが、それは失敗に終わった。
呆然としている田中の目から、流れ落ちてきたのは一粒の涙だった。
「あ!? な、泣くことはないだろ! そんなに怖かったのか!?」
何故!?
まさか思ってもみないことに、驚きのあまりみっともなく慌てふためいてしまう。そうこうしているうちに、田中の目からこぼれる涙は量を増していく。
なんで、何が、どうなった!?
「う、うええ」
声を上げて泣き出した田中を見つめながら、俺は立ち上がったまま何もできない。
……おい、ここでハンカチ差し出すべきか!?
もってねえんだけど!
っていうか、なんで急に泣き!? 全然理解できねえ!
「田中! なあ、どうしたんだよ。泣くなよ」
「うえっ」
俺の声がやっと聞こえたのか一度音が止んだ。
しかしホッとしたのも束の間、手の甲で目元をこするとまた声を上げて泣き始めてしまった。
「ううう! うえええうあふあう!」
「何!? なんて言ってるか分かんねえって!」
「わーん! なんでこんな目にあわなくちゃ、いけないのお! もう、やだあ!」
「お、おい」
「やだあ、どうしよお、こわい!」
ぐしぐしとしゃくりあげながら、人目もはばからず泣きわめく田中。言ってる言葉が鮮明になっても、内容はまだ理解出来なかった。
ただ、苦しそうに泣いている。溢れてくる涙を何度も何度も拭いながら、大きな声を上げて泣いている。
俺は手持ち無沙汰のまま、困惑の表情で田中を見つめることしかできなかった。
「どうしろっていうんだよ……」
「和磨あー!」
しかし、呼ばれた名前にハッと体が反応した。
苦しそうに泣いているのに、田中は今俺の名前を呼んだ。目の前にいるのは、俺だ。俺がいるから呼んだのか、そうでないかは知らない。
俺は何をしているのだろう。田中は今、目の前にいる俺を、必要としてくれているのだ。
そう思うと急に焦りが消えて、俺は優しく名前を呼んだ。
「大丈夫だ、もう怖くない」
必死で顔を拭う田中の手首を取ると、そのまま引っ張り上げた。驚いたのか泣き声が止まったが、構わずその顔を俺の肩口に押しつけた。
机を挟んで肩を抱いてやる。強く頭を抱える。涙も泣き声も全部、受け止めてやれればとそう思った。
「なあ、怖くないだろ」
耳元で優しく話しかけると、少しの間を置き、俺の腕の中で小さく頷くのが分かった。
落ち着いてきたようだが、まだ少しくぐもった泣き声がする。でもさっきみたいに苦しそうじゃなくて、悲しむような静かな泣き声。俺の背中の服をぎゅっと掴んで、すがりつくように泣いていた。
応えるようにさらにぎゅっと抱きしめると、不思議と柔らかい感触がした。守ってやりたいと思う、小さな体。
「何があったんだ? 話したくない?」
「……お、」
「お?」
「おば、おばけが……」
「おばけ?」
ポカンとしたのも束の間、次の瞬間、俺の体に強い衝撃が走った。
「おばけが出たのおおお! ぎゃあああ、怖かったよおお和磨あああ!」
「っんぐう!?」
「あのね、和磨! 白い布がね宙を飛んでいてね、ふわふわってね、怖いの!」
ぎゅううとさっきと比べ物にならないほどの力で抱きしめられる。俺の肩口から顔を上げて、涙ぐんだ目で伺うように俺を見上げている。
「なっ……!」
こういうときに女みたいだと思うからいけないのか。
いつもの小憎たらしい田中とは違って、その仕草がやけに、なんというか、その。あれだ。別にそうではなく、一般論で言うとだ。
か、かわいい。
「もう泣くなって……!」
やけくそ気味に、体を抱き寄せ、滲む涙を指先で拭ってやる。体がやわらかいとか、表情が艶めかしいとか、良い匂いがするとか、心なしか髪が伸びたとか、全部何かのまやかしだ。全部俺の勘違いだ。
が、願望か!?
「かずま……」
今名前を呼ばれると結構ヤバいんだが。見てはいけないと思うが、その顔からも目がそらせない。
ダメだ! 今の俺、すごい駄目だ!
「え、って、うわっ!?」
俺の中の本能に抗っていると、急に何かに気付いたような声を上げた田中が、俺から強引に離れた。
内心助かったと思いつつ、どこかショックな俺。マジ最低。
頭を押さえたり、その場で回ったり、変な動きを披露すると、俺に曖昧な笑顔を向けた。
「あ、ありがとう、和磨」
そして俺の足下から、田中のらしいカバンを手に取ると、一目散に図書室から飛び出していった。
「あ、おい! 田中!?」
俺の呼び声も虚しく、廊下を爆走する足音しか返ってこなかった。
なんだったんだよ……。
しばし呆然としつつも、思い返す数々の所業にいたたまれなくなり、俺も荷物を手に取ると逃げるように図書室をあとにした。
かずまくん……これ……あがが
あまりにも長くなって、いれたかったはずの話をちぎりました。
次話にもってくる予定ですが……
更新遅くてすみません!
いつも読んでくださるみなさまありがとうございます。
がんばろう日本!